Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

1歳と1ヶ月

2010-04-18 | 竹斎先生



つい2~3日前に1歳のお誕生日したんじゃなかったっけ 先生?


もう1ヶ月、経っちゃったんだ...


早いなぁ




でも、思い返せば...そうそう

この1ヶ月で先生は、どんどん歩けるようになっていったんだった









もう今じゃ、ソファーの上に登るのもお手のものだよね




ご飯食の後はソファーでテレビ見て




「おいで」って呼ばれると(気が向いたときだけ)
ソファーからスルンと降りて、こっちに歩いてくる

落ちた時のために、って、
キミがソファーによじ登るようになってからずっと敷いて来た
クッションにしてた子供布団も、もう卒業かもね







今度は正座してテレビ見てんだ^^




で...テレビが...なにかちょっと...気に入った感じの展開になって...




傍まで行ってかぶりついて...

(因みに先生は今、どこにもつかまらず両手を宙に浮かしたまま立ち上がれるようになったのです)







もう、お気に入りのテレビは終わったっぽいね




じゃ 先生


先生


こっちにおいでよ





お   い   で









て け て け . . .



てけてけてけてけてけてけ......






早っ










>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>






先生は遂に、自分の意志で「歩きたい」と思うようになった


今までは、好奇心を満たしいから目線を高く持ちたくて
ハイハイから立ち上がって
でも転ぶのが怖いから、すぐ座ってしまっていた


でも遂に、歩くのが楽しくなったんだ

パパにはわかるよ...その変化が




パパも床に座って、そして先生をちょっと離れたとこに立たせて目を見ながら
「焦らなくていいからね、ゆっくり歩いて来てごらん」て声をかけながら
ゆっくりゆっくり手を離す

そうすると先生はホントにゆっくり落ちついて歩いてくる

目を合わせたまま、込み上げる嬉しさを薄笑いに浮かべながら


そして最後は僕の腕の中に飛び込んでくる
それをギュッてして
「よ~しよしよしよしっっっ!」って声をかけるのです

1メートルもない短い距離で、何度も何度も

そしてそうするうち間もなく先生は自立歩行するようになった



先生が生まれた時にプレゼントしていただいた松田道雄著の育児百科の中に
子供の歩き出す月齢はもちろん個人差があるものだけど
つかまり立ちしだしてから「親が励ますようにしてやると1週間とかで自力歩行しはじめる」
と書いてあった

先生は昨年の暮れぐらいには少しつかまり歩きしてたのに
今年になってからも随分、自立歩行になるまで時間がかかった

それも赤ちゃんそれぞれの個性だから全然かまわないのだが
自立歩行に入る最後のところで僕は
「親が励ます」という行為が子供の成長を促す、ということが
日々の中で本当に起こっているんだと感じられる貴重な体験をした




短い距離を歩いてきて腕に飛び込んで来た時
僕は嬉しいから「よ~しよしよしよしっっっ!」ってギュウギュウするんだけど
腕の中の先生の顔をふっと覗き込むと
もう先生は「次の事」を考えてるのがよくわかる

驚喜したパパの腕の中に拘束されてるより、もっと歩きたいのだ


子供の成長を見守る親心とはきっとそんなものなのだろう


我が子を励まし、そしてその成長を涙が出るほど喜び
自分の腕の中にしばらく抱きしめておきたいと思っても
子供自身はもう次の事に挑戦するのに夢中なのだ


よくわかったよ
そういうことが


自分の親にも感謝してる


我が子可愛さに無理に抱きしめ続けぬようにもしよう



家族も友達も誰も彼も人の子なんだから
僕がどんなに嬉しく思ったとしても抱きしめ続けぬようにしよう

そういう喜びに依存し過ぎないようにしよう




嬉しく思った一瞬に
人は感謝しながら生きて行くしかないのだ


そして余った分の溢れた想いは
きっと大きな意味のために使うのが
幸せに向かうことなんだろう





先生!


また少し歩こうかっ^^





















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ラブヒゲ 富士 2010/4/17

2010-04-18 | 過去のライブ後記


僕は子供の頃から自意識過剰なので
人の目が気になって気になってしかたないところを
大人になるにつれ、努めて気にしないようにどんどんしようとしていって
結局、自意識過剰は無くなり切るわけでもなし
それでいて「気にしない」という天然ぶりだけが新たに備わってしまって
変な大人に仕上がったのだった

皆が一つのジョークで笑い合ってるとき...笑えない...

それどころか、(うかつにも)我を忘れて笑ってしまったとき以外では
どうも上手く笑えない

ステージでニコニコなんて絶対出来ない

こないだ妻に「あなたは是非見るべきだ」と勧められて、アメトークとかいう番組の
人見知り芸人、というのを見た

どれだけ人見知りが辛いかを芸人達が語って行くのだが
人見知りじゃない人間からは全く理解されない苦労の数々を聞いていたら
結果
大爆笑した

僕がテレビを見て大爆笑、なんて
そんな...滅多に無い事なんです


そして、人見知り芸人達っていうのは
要するに自意識過剰からきてるのは明らかなのだ
そして、彼らの「目力」は弱くて
みんな、うるうるしている
(僕も自分の目力がうるうるしてると、ずっと前から思っていた)

彼らは番組の中で
人見知りである自分の苦労を語り
自分が苦労してるからこそ別の人見知り芸人の苦労を笑いころげ
普段目力の弱い、うるうる達は、気が付けば
最後には全員で腹を抱えてゲラゲラ笑い合っていた
(僕も気付けば、お茶の間でそれに参加していた)

自意識過剰の人見知りの苦労はホントに身に沁みてわかるので
テレビの中で我を忘れて笑っている彼らを見ていたら
今度は泣けて来た

笑いながら涙が出てくる

こうなってはもう滅茶苦茶だ
とてもこんな姿は他人には見せられない、と頭をよぎるが
いや...
この滅茶苦茶を、むしろ出して行くことにしようと思い直す

よしっ...
これからの僕の目標は
「我を忘れて笑う」、にしよう

ステージで我を忘れるのだ

忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ



そして今日
だいぶ忘れてステージをやってきたのです


僕の大お気に入りの、タカシさんの駄洒落がまた
ぐいぐい引っ張ってくれるし
それに助けられて今日はかなり「忘れた」


こういう嬉しい時間を持てた後は
すぐには元に戻れないので
静岡から帰る東名高速の上で今度は涙が出て来たのです


こういう濃いことばかりしてたら寿命は縮まるんでしょうかね
それとも、多くの喜びを受けて長生きするのかな



結局、自分一人で
どんなふうに自分を弄くりまわしてみても
こんなふうにはなれない

誰かと関わる中でしか得られないってことが
今日みたいな日にはハッキリ見える

笑いと涙はやっぱり地続きで
充実は得れば得るほどエネルギー消費するから
廃人になりそうに疲れる


誰にどう思われるかなんて忘れ去って利己的に笑い尽くしたら
皮肉にも皆と繋がってる


こういうことなんだよな...

そう

もうだいたいわかる


こういうことなんだ


感謝も幸せも笑いも涙も
全部そういうものは、こういうのの中にあるんだ...







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