思春期に羅針盤を失って
それからもう一度手に入れるのに30年かかった
今、それほど航路を誤らなくなったのは
羅針盤には誤差があり、時には狂うこともあると知ったから
常に疑い続けることを覚え
そして...子の父になった
そして結婚した相手が所属しているフィールドは教育学という学問
そこでいつ孵るかわからない学びの卵を温めながら
年に1回、学会というものに出席する
今年は京都 同志社女子大が会場となり
妻がメインメンバーとして参加してるプロジェクト以外の講義は
様子を見ながら抜け出してなるべく母乳育児をしよう、という名目で
その手助けをするため家族3人、車で出掛けることになった
僕にとって、通わなかった大学というところには何か、
学びの喜びが、そこここに転がっているようなイメージを抱いてしまい
ミーハー的に憧れてしまう自分がいる
僕にとって母乳育児のサポートをする、という名目はあくまで表向きで
単純に「大学」という空気に触れてみたがっているのだ
学者、という人種をよく知りもせず、今まで興味も持たずに来たが
本番前夜、覚醒した妻が次々に面白い摂理を発見してゆく姿や、
本番で開いて放出する様はまさにライブ
ミュージシャンと同じだと知った
そうでないスタンスもあるのだろうが、そこには全く興味が無い
違う名が付けられてしまった二つ以上のフィールドの垣根を
そんな垣根は初めから無かったのだ、というところが話のスタートであってほしい
だからもともとミュージシャンでありながら音楽の話が大嫌いだ
1たす1は2ですよね
と話しているようでつまらない
1たす1は
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みたいなのじゃないと面白くない
妻という学者の卵(一生孵化しないかもしれない)が、学会というライブをやっていると知ってからは
会話が俄然面白くなった
違うフィールドのノウハウをオールジャンル共通言語に変換して会話して行くのは
それがそのまま真理の発掘作業なのだし
従来の固定観念を片っ端からぶっ壊してゆくクレイジーな勢いがある
当然、今夜の宿泊場所
大阪京橋の小さな歓楽街の中にある安宿の部屋では
脳味噌の大運動会となる
それは最高の部類に入る快楽だ
話がずれるが...例えば今回の旅の徒然に読んだ
「差別感情の哲学」中嶋義道 著なんかは
この快楽の国への切符を確実にくれる
僕等両親がこういう状態の時
息子もクレイジーな興奮状態に入る
ベッドの上で、さっきオムツ替えの時、ホテルのベッドにうんちが付かないように施して敷いたティッシュで
仔猫のように戯れ遊んでいた
開放は伝染する
それの最たるものがライブだ
今宵、ここがいったいどこなのかよくわからぬまま
場末感漂うこのホテルで我々家族はクレージーなライブを繰り広げている
孵らぬかもしれない学者の卵よ
明日は自分のフィールドに立ち
気違い扱いされてこい
寝たり覚醒したり滅茶苦茶な波に揉まれながら明け方眠ったら
こんな夢を見た
超人類という生き物に人類が負けて
この先の未来では二度と鰻重を食べることが禁止された
その不条理に対し、何くそという不屈の心を持って
何故だか尺取り虫のように地面を這い進んでいる自分の姿に
(この行為の意味するところは自分でもよくわからないのだが…)
人類としての全身全霊からほとばしり出た誇りと健気に自ら感きわまり、涙を流し
横隔膜を大きく痙攣させながら、喉の奥でオンオンと声を上げて泣きつつ目が覚めた
あぁ..
開いているなぁ
今日は朝から京都に移動して大学に入る
僕と息子は、たまに授乳にやってくる妻を待って
一日中、二人、車中で過ごすのだ