Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

実家の庭

2009-06-24 | 記憶の風景

今も、じっと耳を澄ますと聞こえてくる

あの頃から繋がってる声





実家の槙の木

子供の頃、二階の窓くらいまでの高さのこの木を見上げ
この木を登って家の屋根の上に出たら、それはもう雲の上に出たも同じ
ジャックと豆の木のような見たことのない世界がありそうな気がしてた

今もまだその感覚の名残が僕の中にある




   
ピンクと水色の一輪ずつが織り姫と彦星のような風合いに残っていた

ぼくは水色の紫陽花が一番好き
そして花の位置は腰より下がいいな
その理由はきっと
遥か昔、確かあったはずの母方の実家の玄関横の紫陽花が
そんな感じだったのだと思う

きっとその場所が好きだから
その花が僕の中にすり込まれたのだ





前回来た時には無かったキュウリがツルを伸ばして実をつけていた
そのキュウリで作ったっていう酢の物を出してもらった

若い頃にはわからなかった幸せ





サルスベリ
幹がツルツルしてるから木登り上手な猿も滑っちゃうからサルスベリ

僕が小学生の頃、爺ちゃんか父がメインの幹を2メートル半くらいの高さのとこで切った
その切り口に何故か缶がかぶせてあって
何年もそのままだったのを、ある年の夏に
梯子をかけて登って、缶をとったら3匹のヤモリがいた

男子にとって爬虫類を見付けるってのは嬉しい

そういえばこの庭にはいろんな生き物がいた

10年以上居たヒキガエルは、ウチの「主」と呼ばれていたが
いつのまにか居なくなってしまった



この灯籠の下には僕と同じ年の池がある
僕が生まれた時に親が掘って作ったのだそうだ

この池にもいろんな生き物が入れ替わり住んでいた

オタマジャクシ、ヤゴ、ドジョウ、ザリガニ、金魚、
メダカ、クチボソ、タナゴ、(海で穫って来た)ベンケイガ二まで

かつて生きるのがイヤになった時、母が自分の墓穴にするのだと言った
今ではその墓で毎年、金魚が卵を産む

猫にやられて減ってしまったが、最初に10匹ほど買ったやつが
もう延べで100匹には増えた

猫にやられるから今は水槽に非難して、金魚達は今年も元気にいる


体長1.5センチほどのこいつは、息子と1日違いで生まれた子


そしてその親たち
親の中にも親子が存在する


 
金魚藻もブクブクやって日光に当てれば家でどんどん増えてく


そして柿がもう実をつけていた


オマケに柿の幹に、キノコが生えてた


田舎を持たない僕は、思い返せばこの庭の土に触れながら育って来たのだ




先日、今住んでる団地のエントランスの植え込みの中をまじまじと覗いてみたら
そこにはアリとダンゴムシが大工事現場を繰り広げていて
自分より大きな物を運んでたり押しのけてたり
それは、どんなオモチャより面白い
自分はこういうものに触れながら育ったってことを思い出していた





自然の景物に触れて生まれる感情は
自分の心のもう一つの形


誰にも気付かれない静かなトリップ










コメント
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