ムクドリのオス
メスも
ツガイでした
オスは頻りに警戒してて
メスは安心してるのか無心に食べてます
人も鳥も関係なく男女っていうのは
根本的にそういう役割分担なのかと...
勉強になります^^
植物たちが網を上ってくると僕は
無条件にワクワクします
ずっと植物を観察してると
人間と同じような共通項があることをいくつも発見してゆき
最後には結局人も植物も同じだと気付きます
脳を持たない植物がこうして果敢に成長してゆくのを眺めていると
人が頭で考えての義務感、例えば
努力せねばとか忍耐せねばとか勉強せねばとか
そういったものはとりあえず横に置いておいても
もともと備わっている命の力で逞しく生きて行けることを教わるから
だからワクワクしてます
僕も網を上れる力を生まれ持っているんだなって
オカワカメがいつの間にかこんなに葉数を増やしてました
植物っていうのはちょっと見ぬ間に
急成長してるから驚かされます
それから植物越しの空の写真撮るが好き
希望的な心が自分の中で広がる感覚になる
トマトの実は3つになりました
トマトに虫が付かないための用心棒軍団の香草類
今は大葉の天下です
一つのプランターでトマトを中心に
大葉、パクチー、バジル、フウセンカズラが
これだけ密生してるのに栄養不足な症状が全く出ないのが不思議です
こういった人知を超えた素晴らしい自然からの教えは
人間関係や自分の音楽にも活かせそうだなって思う
インゲン
こっちのインゲンは目隠しパネルのせいで
ちょっと日当たりが悪いけど頑張って伸びて来てます
ゴーヤ
横並びに蔓植物をいろいろ植えてるので
摘芯をすると葉数で網が過密になりすぎちゃうかも?って
摘芯するか否か迷ってます
時計草
一応、滞りなく成長はしてるけど葉が縮れ気味なのが気になる
調べたらハダニか水やりが多すぎて根腐れ気味な場合
葉が縮れるそうで
ハダニは居ないので水やりを控えることにしようと思うが
ただ
同じプランターで隣がゴーヤだからなぁ
そっちには沢山水やらないと...
同じプランターに植える相性を間違えたかな
南国植物だからね
夏までもってくれたらたっぷり水やっても
強い日差しできっと元気になると期待してる
烏瓜
朝顔
セージの花が咲こうとしてる
少し前からメダカがお腹に卵を抱えてる
親メダカは生まれたての稚魚を食べてしまうから
卵を隔離したいのですど
水槽でないので産みつけた場所がわからないのです
でも水中には水草の茂みが出来てるから
幾らかは食べられずに生き残ってくれるだろうと
自然のままに任せることにしました
これは僕のお気に入りの風景
水辺の小さな水草たち
挿し木の三つ葉は古い茎が萎んで
種から発芽したかのような姿
人も
心が折れても
このように再生する力があるってことだなぁ
明日はひばりカフェさんで歌声喫茶VOL:3です
僕はポピュラーミュージシャンの中では
だいぶ変わり者かもしれないですが...
ミュージシャンなら誰もが
大勢のオーディエンスの前で自分の音楽を披露することを
成功の象徴と感じているであろう中
昔から今のところまで
あまりその意味を感じられないのです
元々、人見知りという性格もあるのでしょうが
大勢集まっての「入り乱れた気の流れ」が苦手
人が放つ心のベクトルの向きが様々に入り乱れ過ぎて
滅茶苦茶な空間に感じてしまうようです
いつまでも混沌として
その中で演奏するのが苦しいようです
例えば僕が矢沢永吉さんとかのような
大勢をまとめる技量や強さがあったり
性格もそういうことが好きな人間だったら
僕の音楽の形も今とは全然違ってたでしょう
ただ
持って生まれた(もしくは幼児体験時に大方決定した)自分らしさ
を横に置いて音楽を押し進めても
結局は途中で息切れするだけですから
自分らしさは大切にしないと
多分...
僕は
自分が「奏でる」という行為に対して無意識のうちに
そこに集った人の心の良きも悪しきも入り乱れがちな人の心を
一つの善き方向へと導いて皆でまとまりたい
という強い望みがあるのではないかと思います
導く、とか書くとおこがましいですが...
決して上から目線ではなく
邪念のない嬉しい共有を求めている自分が強く居る気がします
それは自分が幼年期から思春期まで育った環境から生まれた
自分特有の望みなのだと思います
それがそのまま音楽家としての自分の特色になってるのだ
とも思います
一番しっくりくる形は1対1です
それか少人数を相手に
っていうのが性に合ってます
ひばりカフェさんでの歌声喫茶は
キャパ的にも10人ちょっとしか入れないので
僕の性に合ってます
それでも
音楽っていうのは人それぞれの嗜好が強く反映されるものだから
そこに集ってくださった皆さん全員が100%満足するようには
なかなか運べないのですね
気の利いたギター伴奏をすること以外に
様々な嗜好によって散らばっているベクトルを
一つ方向にまとめなきゃいけないのが僕の役割ですから
まさにそこには人間関係や政治の縮図が在るといっても
過言ではないわけです
そして
まとめる力はどこに宿るかというと
僕がどれだけ邪念無く音楽して来たかの蓄積だけが
僕の出せる力の拠り所です
植物などの観察をミクロの方向へどんどん分け入ってゆくと
この世界には瑞々しい自然の営みが存在していることを諭され
自分の身近に抱えきれないほどの幸せが既に存在してることに気付かされます
それと同じで
現在の僕の音楽活動は表面上は小規模なものが多いですが
小さな世界の中に数えきれないほどの不思議と
そして抱えきれないほどの幸せも感じるのです