時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百八十八)

2007-10-17 10:05:58 | 蒲殿春秋
後白河法皇は平家の総帥平宗盛に源頼朝からの密書を見せて
坂東の頼朝との和平を勧めた。
しかし、宗盛の答えは否であった。
あくまでも武力で全ての反乱勢力を壊滅させるというのである。
宗盛の強硬な姿勢に法皇は和平の提案を引っ込めざるを得なかった。

平家が強気なのには理由があった。
未だに各地で反乱が起きてはいるもの畿内の反乱、美濃尾張の反乱を平家は武力鎮圧した。
その実績があるだけに北陸の反乱を平定する自信は平家にはあった。
食糧の配給地である北陸を押さえれば各地の反乱を抑えられると踏んでいる。

また、源頼朝は全国各地に播居する反乱勢力の一つに過ぎない。
しかも都とは遠く隔たった南坂東を制圧しているのみである。
頼朝と畿内の間には、甲斐源氏、木曽義仲、北陸反乱勢力が存在し
彼らの勢力は頼朝に比して劣るものではない。
頼朝はあくまでも全国各地の反乱勢力の中の一つに過ぎないのである。
その頼朝と和平を結んだとてその頃の平家にとっては何の利益も得られないと思われた。

この、後白河法皇と平宗盛の話し合いを複雑な想いで見つめている人物がいた。
法皇の近臣藤原範季である。
範季は法皇の側に長いこと近臣として仕えている。
しかしその一方で、近年宗盛の叔父平教盛の娘と結婚した。
院の近臣であり、平家の縁戚でもある、それが現在の範季の立場である。
範季は話し合いの推移がどのようになるか固唾を呑んで見守っている。
院、平家どちらも範季にはかかわりの深い存在である。

また、範季は右大臣九条兼実の家司でもある。
院の近辺で起きたことは逐次報告するように、と兼実から固く仰せつかっている。
法皇と宗盛の間に交わされた話の内容と義兄通盛が北陸に向けて出兵の準備を進めていることを
範季は兼実に報告する。
兼実はその事実を後に「玉葉」と呼ばれる日記に書き留める。

兼実の館からの帰り道範季は思わずため息をついた。
範季にはもう一つ気がかりな事があった。
猶子として長年育ててきた源範頼の消息である。
範頼実父義朝の死後、範季は養父として何かと範頼の世話を焼いていた。
彼は遠江国蒲御厨にいた。
その範頼は前年の源頼朝の挙兵の後ぷっつりと消息を絶った。
難を避ける為遠江から去ったらしい、ということだけは判った。
しかし、その後どうしているのか全くもってわからない。
生死すら不明である。
範頼が生きていたとして範季の何の接触をしてこないのは
反乱者源頼朝の弟ということで養父である範季に迷惑を掛けたくない
という想いがあるのではないのかとは想像している。

都には範頼の存在を知る者は少ない。
頼朝、甲斐源氏の動向を知らせるものはあっても範頼の消息はまったくもってわからない。
「文の一つでもよこせばよいものを」
帰宅する車の中で範季はふと、一言もらした。



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