時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百九十三)

2007-10-23 05:08:24 | 蒲殿春秋
全成は突然話題を変えた。
「ところで、最近鎌倉殿はやたらとわれらが祖、源頼義殿、八幡太郎義家殿
のことを口にすることが増えました」
源頼義、義家は頼朝・範頼らの数代前の祖先である。
「ここのところ鎌倉殿は御家人に対して、前九年の役、後三年の役の
彼らの祖の活躍を褒め上げます。
その後で必ず、頼義殿や義家殿の名を持ち出すのです。」
「ほう」
御家人達がその先祖の輝かしい戦功を褒め上げられるのは喜ばしいことである。
しかし、その都度自分達河内源氏の祖先を持ち出すのはいったいどのような理由なのであろうか。

頼義や義家がいかに彼らの祖先を重んじていたか
彼らの祖先の頼義、義家に対する忠節を決して忘れはせぬ
という頼朝の言葉が付け加えられることもあるという。

それは事実であろう。
ただし、東国の豪族達にとってそれはあくまでも「過去」の話である。
彼らにとって現在必要なのは
頼朝が今の自分達の要望を満たしてくれるのかどうか
ということである。
それが満たされなければ、彼ら東国武士団は甲斐源氏や木曽義仲といった
別個に反乱を起こしている他の源氏の棟梁に従うか、平家に再び臣従するのみである。
実際に頼朝に臣従する一方で甲斐源氏や木曽義仲とも主従関係を結んでいる者も
少なくない。
東国の豪族達が頼朝に従ったのはあくまでも彼らにとって都合のよい人物がたまたまそこにいたからということであって決して先祖からの縁故によるものではない。

そのことを重々承知している筈の頼朝が何故古い祖先の話を持ち出すのであろうか。

けれども、祖先を褒め上げられて御家人達が悪い気持ちがしないというのも事実である。
さり気に付け加えられた、東国武士の祖と頼朝ら河内源氏の祖先たちの主従関係は
誉められた言葉にそっと添えられて東国武士夫々の心の奥に徐々に浸透していくのであるが
その効果が現れるのはかなり後になってからのことである。

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