時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百九十六)

2009-06-28 05:21:59 | 蒲殿春秋
鎌倉に向かう中途、範頼は遠江の安田義定の居館に立ち寄った。
義定の所へも頼朝からの要請は届いていた。
「蒲殿が鎌倉殿の意向を受け入れるならば、わしも鎌倉殿に協力する。」
義定はそう言った。

鎌倉に入ると、そこの空気は緊張感でみなぎっていた。
さほど広くない鎌倉の街に武装した兵が満ち溢れている。
範頼は大蔵御所へと向かう。
対面した頼朝は言った。
「都へ軍を上洛させる。子細は後から言う。」
それだけ言うと頼朝は範頼を下がらせた。

その日の午後鎌倉に衝撃が走った。

一旦は頼朝に離反して奥州藤原氏に同意する動きを見せた上総介広常。
その広常が鎌倉において殺害されたのである。

奥州藤原氏が越後の城長茂の動きに神経を尖らせて坂東への進出活動が手薄になってしまい奥州をあてにしていた上総介広常はこれ以上頼朝に逆らい続けることができなくなったのである。

そのような上総介広常は奥州の支援を諦め、再度頼朝への臣従を誓いせんと図った。
その願いをうけた頼朝は書状ではそれを了承していた。
広常は頼朝に呼ばれ鎌倉へとやってきた。
大蔵御所に入ると広常は歓待された。
広常はすっかり気をよくしてしまった。

そこへ梶原景時が現れ、頼朝との面会を待つ間双六をしようと誘った。
広常は了承した。
和やかな雰囲気で始まったこの双六も時間がたつと白熱する。
やがて些細なことで広常が激昂する。
それに対して景時も怒った、ように見えた。

その諍いは激しさを増す。

不意に景時は太刀を抜く。

広常は、とっさに何の対応もできない。
気が付くと供回りにつけていたものが誰もいない。

あ、と思ったときには広常の体にとてつもない痛みが走っていた。

寿永二年十二月 上総介広常とその嫡子は鎌倉に於いて殺害された。

供回りのものも一人残らず命を落とした。

その頃上総国は足利義兼、千葉常胤らに率いられた兵が満ち溢れていた。
上総介広常から離反した在地のものたちは常胤についた。
広常の一族も、広常に従っていた者達も、何の抵抗もできなかった。
上総国衙から上総介広常勢力は一掃された。
上総介広常の死に際する上総国における動揺は未然に防がれた。

大勢力でそれでいて奥州にも通じた上総介広常の存在は不気味すぎた。
それを放置して上洛するわけにはいかない。
上洛させるまえに上総介広常を消し、彼が支配していた上総国の人々が頼朝に対して歯向かわぬようにしておかねばならない。

かくて広常はこの世から姿を消した。
表向きは梶原景時との双六の上での諍いの果ての殺傷、
もしくは上洛しようとする頼朝に反対するのは院に対する不忠の念があった家人の征伐ということになるのであるが・・・

とにかくこれで坂東から軍を上洛させる上での最大の懸念は去った。

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