時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(八十)

2006-12-24 11:23:14 | 蒲殿春秋
「そうじゃな、義仲殿は武芸に優れているとも聞く。八条院様の御料地には関係ないが、何かにつけて役に立つかもしれぬ。木曽にも令旨を送ろう」
と頼政。

「ならば」
と仲綱も発言する。
「父上、知行国にいるあの流人にも令旨を出しませぬか?」
「あの流人?ああ、頼朝のことか。いくらなんでも流人に令旨を下しても仕方あるまい。流人ではなにもできまい」
「ですが父上、戦況が変わった場合伊豆の国人どもも父上の知行国主の命として
動員せねばならぬことも出てきましょう。
そのとき我らが彼の国に赴くことができるかどうか判りませぬ。
誰ぞ代官が必要になる場合もあるやもしれませぬ。
その時に頼朝ならば代官をつとめられるのではないかと思います。
頼朝は叙爵*されたこともありますし、在庁の北条の婿にもなりました。
我等の代官程度ならばできましょう。
必要な時に代官として動かせるように念のため
あらかじめ令旨を出しておいた方が良いかも知れませぬ」
だが頼政はあまり良い顔をしていない
「義仲が武芸優れているのと同様
頼朝の武芸も中々のものだと狩野介から報告も来ております。
伊豆国の狩においても頼朝は中々の腕前を見せているようです。」
仲綱は譲らない。

一度は終わるかに見せた密議も八条院領地以外の者にも令旨を下すことにした為
また、長い長い話し合いを続けることになる。

やがて、密議は終わり、以仁王から正式に発行された令旨は
八条院蔵人の資格を得た源為義の子新宮十郎行家の手に託され
諸国の勢力に運ばれることになる。

彼らの最初の計画には無かった義仲と頼朝に令旨が下されたことにより
この後のこの国の歴史が大きく変わるということを
頼政以下ここにいる誰もが知る由も無かった。

*叙爵 従五位になること この位階以上を有すると数々の特権が得られる。
    一般的に五位以上がこの時代「貴族」に属すると考えられる。

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蒲殿春秋(七十九)

2006-12-24 11:00:33 | 蒲殿春秋
「以仁王の令旨」の草稿を目の前にして源頼政とその子弟たちが密議をこらしていた。
「まず、この令旨をどこに出すかが問題なのだが」
と上座にいる頼政。
「もちろん、八条院さまの御料地をお預かりしているものどもに出すことになるでしょう」
と、八条院の下司職(現地管理者)の名簿を父に差し出す仲綱。
一同はそれをしばし凝視した。
「それにしても、清和源氏の者が多いですね。」
と頼政の甥の兼綱。
「そうよなあ、藤原氏の者もいるにはいるが、源氏が多いな」
「で、その藤原氏の者ですが、下野の足利殿は外したほうが良いように思われます。彼らはここのところ、とみに、平家に接近しております。
八条院さまの御料地をお預かりしていると申しても、平家との誼でこの計画を密告されかねません。」
と仲綱。
「では、他に藤原のものは?」
「同じ下野の小山殿には令旨を出しましょう。彼らは平家とはそこまで深く繋がっておりませぬ。それに、彼らは足利と争っております。この令旨は小山にとって足利を追い出す好機となるやもしれませぬ。他にも・・・」
こうして、名簿を見ながら令旨を出す先を彼らは検討しているのである。

「源氏の方はどうだ?」
「常陸の佐竹はやめておきましょう。彼らも平家には深い誼がございます。」
「平家と言えば、甲斐の武田も止めるべきなのでは、
一族の中には平家の婿になったり家人になっているものもございます。」
「そうよのう。だが、彼らも一族の多くを八条院様に仕えさせておる。
ここは一つの賭けとなるが、われらと親しい加賀美殿を通して探りをいれてみるか」
続々と密議はつづく。

果てしなく続いた密議、だがやがて
「これで、令旨の下す先は決まったな。畿内や美濃に我らに同心しそうな者が多いのが心強い限りじゃ」
と頼政が宣言する。

「しばしお待ちください」
と、今まで沈黙していた頼政の猶子仲家が口を挟んだ。
「何だ?」と優しく答える頼政。
「信濃の国木曽に私の弟が住んでおります。
前伊豆守様が加冠*してくださいました義仲でございます。
かの者にも令旨をお下しくださいませ。
何かのおりには、その令旨を奉じてお役に立てる日がくるやも知れませぬ。」

*加冠する=元服すること、ここの文章は仲綱が義仲の烏帽子親になったとの意に解釈してください。

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蒲殿春秋(七十八)

2006-12-24 10:01:44 | 蒲殿春秋
八条院にどのような思惑があったにせよ、それを実行、計画するものがなければ
それは発行されることはなかったし、後の歴史の大転換は無かった。
その行動の主体が誰であったのかの評価は後世判断はさまざまにわかれる。
けれども一枚の文書が以仁王の名で発行され
その文書がこの国に十年にも及ぶ全国的な内乱を引き起こしたことは事実であった。

「下 
 東山東海北陸三道諸国軍兵等は
 清盛法師とそれに従う謀叛の徒を打ち滅ぼすこと

 最勝親王様(以仁王をさす)のお言葉を受けて前伊豆守源仲綱が宣言します。
 清盛ならびに宗盛などは、威勢をもって、帝を滅ぼし
 凶悪なものを使って国滅ぼし、朝廷の役人と諸国の民を悩まし
 国土を乗っ取ろうとしてます。
 彼らは法皇様をも幽閉し、忠臣を流罪しました。
 卑怯な手を使って大切な官位を彼らの思うがままにしています。
 そのため、忠臣は法皇様の御所にも上がることもできず、
 きちんと修行を積んだ僧侶達は囚人となってしまいました。
 比叡山の大切な年貢は、謀叛の輩に分け与えられます。
 天地は非常に悲しみ、人々は憂いております。
 院の御子であらせられます最勝親王様は
 このことを大変案じられ
 法皇様をお助けし、民の心を安らかにさせようと
 天武天皇の例にならい皇位を簒奪したものを退け
 聖徳太子の例にならって仏法の敵を倒そうと
 お立ちになられることをお心に定められました。
 親王様はかならずや世の中を安らかに治められるでしょう。
 しかしながら、親王様のご決心を成就させるには
 神仏のご加護と諸国の人々の協力が必要です。
 諸国の源氏と藤原氏ならびに諸国の勇者の人々は
 最勝親王様に従って清盛追討に立ち上がりなさい。
 この命令に従わない者は清盛の同類と認め罰を与えます。
 けれども、この命令に従って最勝親王様に味方し、功績を立てたものには
 諸国に派遣する代官を通して
 最勝親王様ご即位の暁には、必ず恩賞を与えましょう。
 この令旨を諸国の人々は謹んでお受けするように
 
                    治承四年 四月」
 
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