時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(八十一)

2006-12-27 21:37:50 | 蒲殿春秋
密かに諸国に発せられたはずの以仁王の令旨。
だが、その計画はすぐに漏れた。

令旨を各地に送っていた八条院蔵人源行家。
彼もまた令旨を受けていた一人であったが、
自分自身も挙兵しようとして故郷熊野で徴兵工作をしてから各地へ令旨を配り始めた。
だが、熊野には反平家の動きがある一方で、平家に親しい勢力もあった。
そして、熊野傘下の諸勢力はいずれに付くかを決めかねていた。
そのような態度を決めかねる勢力いずれかが親平家方に事の次第を知らせてしまったのである。

以仁王の計画を知った平家は即日天皇に奏上して
以仁王を臣籍に下し土佐に流すことに決定。

治承四年五月十五日検非違使達が以仁王逮捕に向かった。
だが、検非違使がその邸宅に向かったところ以仁王はすでに逃げた後だった。
以仁王逮捕に向かった検非違使の中に、頼政の甥の兼綱がいた。
そして、何食わぬ顔をして以仁王の逮捕に向かっていたのである。
このとき頼政一族がこの計画に加わっていることを彼らの他は誰も知らない。
兼綱から密かに報を受けた以仁王はひっそりと邸を抜け出し
どこへとも無く消え去った。

数日後、平家は以仁王が園城寺に匿われているとの報を受けた。
通報したのは園城寺の別当八条宮円恵法親王。
それを受けて平宗盛が以仁王の身柄を引き取りに使者を派遣したのだが
以仁王に同心する僧侶らによって使者が追い払われてしまった。
園城寺の内部も一枚岩ではない。
以仁王を引き渡すべく平家に通報したものの
自分の力では以仁王を支持する勢力を抑えきれないという円恵法親王も困り果てている。
さらに、以仁王には近江源氏や南都の勢力が同心しているとの噂も流れた。

緊迫の中数日が過ぎていったが
遂に五月二十一日、園城寺を武力攻撃することが朝廷で決せられた。
園城寺攻めの主力は勿論平家一門。
それに、源三位頼政も加わることになっていた。

だがその翌日、源三位頼政は一族全てを引き連れて以仁王の立てこもる
園城寺に入ってしまったのである。
勿論以仁王と合流するためである。
この出来事に都の人々は仰天した。

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