時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(六十七)

2006-12-07 19:15:19 | 蒲殿春秋
ある日八田局と共に範頼は日光山を訪れた。
範頼の父義朝が下野守在任中に建立したところである。
日光山を見上げるたびに父の面影を追い求める。
そして、八田局から父の話を色々と聞いた。

山から下りたところ一人の男が控えていた。
八田局は親しみをこもった眼差しを向け彼を招きよせた。
男の名は佐々木太郎定綱。宇都宮一族の縁戚に連なり八田局とは近い身内であった。

佐々木定綱は近江の出身であるが、父秀義が平治の乱において源義朝に従っていたため近江の所領を失ってしまった。
その後秀義は後妻の父渋谷重国の元に身を寄せたのであるが
先妻の子である四人の子供達は、今は成長しそれぞれ寄る辺を頼って
独立していた。
定綱は母の縁を頼って時折宇都宮にやってくる。
普段は、伊豆の源頼朝の元に伺候しているという。

「よくいらっしゃいました。ここにいるのをよくご存知で」
「小山殿よりこちらにいらっしゃると伺ったものですから」
「あなたが六郎様ですか。佐殿(頼朝)から時々あなた様のことを伺っております」
大柄な範頼を見上げて定綱は軽く礼をした。
「兄が?」
範頼が密かに伊豆の兄の配所(流刑地の住まい)を訪れてからもう何年も経つ。
その日から一切の音信は交わしていないしそれは許されぬことであった。
それでも自分のことを兄は気にかけてくれている。
ありがたいと思うと同時に申し訳なさもこみ上げてくる。
「兄上は息災ですか?」
「まあ、お元気です」
と、定綱が歯切れ悪く答えた。
その歯切れの悪さに範頼は余り注意を払わなかった。
とりあえずの、元気という言葉に安堵した。

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蒲殿春秋(六十六)

2006-12-07 19:11:48 | 蒲殿春秋
範頼を初めて見た八田局は
「大きくなられました」と一言言った。
「私は、お小さい頃の六郎様を存じ上げておりました。」
八田局は、義朝が下野守となったその年わずか十六歳の若さで
その嫡男三郎君━後の頼朝の乳母にと付けられた。
が、三郎はすでに七歳。他に後の比企尼、山内尼となる乳母達が
既に仕えていた。

下野を無事に治めるためには土地の有力者との提携が欠かせぬということで
下野一ノ宮の神職にある宇都宮宗綱の娘であり、大豪族の嫡子小山政光の新妻
であった彼女が新たに乳母に採用されたのである。
宇都宮氏小山氏にとっても急速に中央で頭角を現しつつあった
下野守義朝との提携は歓迎すべきこと。
かくして、七歳の養い君と十六歳の乳母という奇妙な関係が成立する。

人間の相性と言う物は不思議なものである。
この年の近い乳母関係というより姉弟関係に近い二人は
他の乳母達とはまた違った形での親密さがあった。
若いなりに八田局は頼朝に尽くし、頼朝も彼女を慕った。

しばしば、義朝の屋敷に伺候し頼朝に尽くすうちに平治元年を迎える。
それまでの間、まれに都に上ってくる範頼を八田局は見かけていた。

夫は都と本領の間を何度も往復する。
八田局は都に留まり都での夫との生活の間に幾人かの子を産んだ。
頼朝の養育の為都に留まる必要があったから。
けれども、やがて平治の乱が起こり義朝は失脚、殺害され
養い君頼朝も謀反人として流刑に処された。
八田局も子供達を連れて本領のある下野に戻った。
そして姑亡き今小山の女主として夫と共にかの地を護っている。

夫と彼女に、混迷する下野の情勢の中で小山が如何にして生き延びるかということが重く圧し掛かっている。
そして、実家の宇都宮も八田局にとっては大切な家。
どちらも彼女が護らなければならない家なのである。
数々の争いごとも、都との人脈を駆使し、婚姻の力を借り、あるいは武力で威圧し
なんとかここまで乗り切ってきた。
それでも状況は予断を許さない。
数知れぬ争いの中でいつしか彼女は疲れ果てた。
その中である想いが心の中にわいてくる。

「誰か、坂東のこの争いを鎮めてくれる人がいないかしら」
ある日、八田局がぽつりと言った。
「このままでは、血で血をあらう戦が絶えぬだけ。
戦によって得たものは恨みを買う。
敗れたものは首をとられる。
戦い続けて勝ち続けて今の小山も宇都宮もあるのだけど
いつまで勝ち続けるか判らない。
私の子供達が勝ち続けるとも限らない。
いつか戦で命をうしなうのかもしれないと思うと・・・・

そのうちこの坂東は戦で荒れ果てましょう。
わざわざ都に赴かずとも坂東の地にあって争いごとを裁定してくださるところがあれば・・・」
八田局は長年心の底に育てていた想いを搾り出すようにつぶやいた。

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