時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(七十四)

2006-12-20 22:12:37 | 蒲殿春秋
清盛が窮余の一策として行った軍事的圧力による後白河院政の停止。
そのことは図らずも平家の最盛期を到来せしめた。

治承四年(1180年)二月二十一日
高倉天皇が東宮言仁親王に譲位、安徳天皇の御世の開始である。
摂政は近衛基通。
高倉上皇は治天の君として院政を開始する。

清盛にとって
天皇は外孫。
摂政は娘婿。
治天の君たる高倉上皇は、義理の甥でなおかつ娘婿である。

朝廷を支配するのに必要不可欠な
天皇、治天の君たる院、摂政を全て清盛の身内で固めることができた。

三年前の「鹿ケ谷事件」では後白河法皇の関与を了承しつつも
清盛は後白河法皇に何の手出しもできなかった。
「治天の君」の代わりがいなかったからである。
しかし、安徳天皇の生誕によって
その父の高倉上皇が治天の君になることが可能となった。
それゆえに清盛は後白河院政を停止し法皇を幽閉するという
大胆な行動を起こすことができたのである。

安徳天皇が即位する頃は
朝廷の官職の主なものは平家一門か縁戚もしくは息のかかったものが独占し
日本全国六十六国のうちその半数が平家の知行国となった。
まさに平家全盛の世を迎えたのである。

だが皮肉にも、平家はその全盛期を迎えたが故にその滅亡に繋がる動きが
すぐに発生してしまったのである。

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