時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(六十四)

2006-12-03 08:26:54 | 蒲殿春秋
範頼が下野に到着したのもそのような在地勢力の諍いが絶える事の無い時節だった。
当時下野において大きな勢威を誇っていたものは
一国の竜虎と称された
小山氏と藤原姓足利氏
それに、一宮の神官職についていた宇都宮氏
中央官人として都に主軸を置きながらも在地に発言権を増しつつあった源姓足利氏
彼らの勢力は下野に留まらず
宇都宮氏は常陸に、藤姓足利氏は上野にも所領を抱えており
下野の諍いは他国にも及び
他国の諍いが下野にも及ぶことも多々あった。

彼らの諍いは国衙だけでは治めることができず
しばしば中央政界の有力者に相談が持ち込まれた。
だが、都へは片道5日近くあり、有力者も地方の騒動に関しては関心が低く
裁定は後日に持ち越される。
裁定を待つ間に武力闘争が起こりそれで決した既成事実が先行してしまうこともままあるらしい。
また、相談を持ち込んだ有力者が政変で失脚すると
在地の勢力まで一変する。

現在の下野の知行国主は後白河法皇。
在地領主が管理する荘園の多くの主は八条院。
それぞれの家が便宜を図ってもらおうと法皇、
法皇に対して強い発言力を持つその同母姉上西門院、
荘園領主八条院の側に一族を送り込んでいたが
なおかつ一歩他を圧そうともさらに平家やその他有力者に近づいたりしていた。

範頼が下野国府に到着すると国守藤原範光が憔悴しきった顔で出迎えた。
国府の中の奥に通された範頼に向かって範光が現在の下野の状況を
説明した。
現在のところすぐさま武力衝突に発展しそうな諍いはない
けれども冷たいにらみ合いは続いている。
その冷たい空気は国衙の中に満ち溢れており
在庁の現地の官人も足利派、小山派などに分かれていて
小さな諍いが絶えない。

その小さな諍いがいつ大きな諍いに発展し
武力衝突になり国守の自分の身にどんなとばっちりが降ってくるか判らない。
初めて東国の国守になった都育ちの範光は
至る所で刀傷や矢傷をうけた人々が歩き
有力者の屋敷の中で人の生首が転がっていることが珍しくない
東国の気風に衝撃を受けた。
在地の罪人の処分は荘園の保護下にあるものを除いて国守にゆだねられていたが
鞭打ち、指つめ、果ては斬首という処分が
何のため無いもなく進言される。
それに対して諾を下すが苦痛だった。

範頼に対して範光は辛い立場を洗いざらい語った。
その表情は硬い。

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