きばらし（佐渡市佐和田） 投稿者：メシュラン覆面調査員

無事に「友」を出た後、僕は自然にラブジャンキーの方向に向けて歩き始めた。この通りを左折しすぐ右折すると、スナック「アリス」の斜め向かいでスナック「愛」の隣に、これまた今にも潰れそうな外観のスナック兼居酒屋「きばらし」を見つけた。僕はおそるおそる引き戸を引いて中に入ってみた。店内は薄暗くて狭く、カウンターだけの立ち食い飲み屋のような雰囲気だった。カウンターの向こうには、タバコのヤニで薄汚れた歯をむき出しにして微笑むおばちゃんがいた。先客は常連客が一人だけいた。この客は僕には全く無関心で、無言でおばちゃんが作った肴をつまみに黙々と焼酎を煽っていた。

東海林さだおの漫画に出てくるような髪形のおばちゃんはにやりと笑うと、「お客さんお飲み物は何になさいます？」と尋ねた。僕は「ウイスキーの水割りをお願いします」と答えた後、「メニューはありますか？」と聞いた。するとおばちゃんは「えーとねえ～、メニューはこれだけなのよ」と壁際を指差した。見ると、煮物、煮魚、焼き魚、刺身、干物、おにぎり、漬物、トースト、インスタントコーヒーなどの文言が並んでいた。おいおい、インスタントコーヒーかよお～？うわあ～、ちょっとマズイ店に入っちゃったかなあ～と一瞬思った。するとおばちゃんはすかさず、「刺身はこのお客さんに出しちゃったからもうないのね、煮魚、焼き魚も終わり、余分な物は置かないようにしてるから」と言った。僕が「刺身は好きじゃないから別にいいよ。干物は？鯵の開きとかないの？」と尋ねたら、「干物はあたりめだけしかないの」と言った。僕が「あたりめねえ～」と言いながら、「じゃあ～漬物でいいや」と言うと、おばちゃんは背後にある冷蔵庫の中をごそごそやった後、「それもないのよお～」と繰り返した。「じゃあ～、あるものは何？」と僕が変な質問をしたら、おばちゃんは「それじゃあ、今私が作ったばかりの、ひじきと茗荷の和え物なんかどうかしら？」と言ったのでそれを注文することにした。

このくそ暑いのに店内にはエアコンは稼動しておらず、扇風機だけが回っている。BGMは前世紀の遺物と思われるエイトトラック版のど演歌風、おまけにおばちゃんが「ラーク」というタバコを吸い始めたので、知らない人が見たらまるでお化け屋敷の中にでもいるような錯覚に陥るだろう。真夏の夜の妖怪か？なんか、キワモノっぽいなあ～。怪談話もここまでくるとエアコン無しでも十分涼しい。するとおばちゃんが、「お客さん、お肉とかは食べますう～？」と聞いてきたので「いや肉はダメなんです」と答えたら、「ああ～よかったあ～、うちはお肉ないんですう～」と言った。このおばちゃん、笑うとなかなか憎めないあどけない表情を示すのでこのままずるずる長居しそうな気配になってきた。慌てた僕は出された和え物を一気に口の中へと掻きこんだ。意外とこの和え物は美味しかったのだ。するとおばちゃん今度は、「ああ～よかったあ～、食べてくれてえ～」とはずんだ声で言った。あれもダメ、これもダメと言う神経質そうな客を前にさすがのおばちゃんも食べてもらえるかどうか不安を覚えていたのだろう。何よりもその言葉に実感がこもっていた。おばちゃあ～ん、喜んでくれて有難う。いよいよ店を出るに出られない状態になってきてしまった。熱心な読者さんも罪な事をしてくれちゃったよなあ～、全くう～と思ったが時すでに遅しだ。おばちゃんは「お客さん、肉ダメ、刺身食べないと言ったら一体何を食べるんですか？」と尋ねてきたので僕が「野菜と海藻類ですよ」と答えたら、「分かった！だからスリムなんだ」と得心したような表情で頷いた。お代の千円を支払い、僕はこの奇妙にしてそれでいて心温まる小さな場末のスナック兼居酒屋を後にした。佐渡の皆さん、肝試しに、きばらしに、冷やかしにそして恐い物見たさに、このお店を一度訪ねてみませんか。きっとご満足頂けると思いますよ。