新潟でまたも大きな地震が発生した。
2004年の新潟県中越大震災からまだ3年も経っていないなかでの、今回の地震。確かに1回あったら当分無いということが約束されているわけではありません。ただ、まだ傷が癒えないうちの惨事だけに、心が痛みました。
そして、原発の火災にも驚きました。一瞬、チェルノブイリの惨事を思い浮かべたのは私だけではないと思います。
今朝、通勤の電車から降りて階段を下りていたところ、専門学生もしくは大学生と思われる二人の会話が耳に入ってきた。
「新潟でまた地震あったよね。」
「学校とか休みになるのかな~。」
「学校は避難所とかになっているし、施設も壊れているからたぶん休みでしょ。」
「いいなあ。うらやましいよ。」
あまりに不謹慎な言葉に、ついついジロッと彼らを睨んでしまいました。
「ボランティアとか受け付けてるかな」こんな会話を求めているわけではありません。彼らのすべての会話を聞いていたわけでもありませんから、その前段にはそんな会話があったのかはわかりません。
ただ学校が休みだから羨ましいというのは、小学生レベルの会話であって専門学校生もしくは大学生の会話とは思えません。
学校教育なのか家庭環境なのか本人の意識の問題なのかはわかりませんが、被災された方々のことを考えると少しにがっかりしました。
このような惨事を他人事と考えないで被災地・被災者の心配や自分たちに何ができるのか、そんな会話を耳にする世の中になれば素晴らしいのですが…。(SH)
2004年の新潟県中越大震災からまだ3年も経っていないなかでの、今回の地震。確かに1回あったら当分無いということが約束されているわけではありません。ただ、まだ傷が癒えないうちの惨事だけに、心が痛みました。
そして、原発の火災にも驚きました。一瞬、チェルノブイリの惨事を思い浮かべたのは私だけではないと思います。
今朝、通勤の電車から降りて階段を下りていたところ、専門学生もしくは大学生と思われる二人の会話が耳に入ってきた。
「新潟でまた地震あったよね。」
「学校とか休みになるのかな~。」
「学校は避難所とかになっているし、施設も壊れているからたぶん休みでしょ。」
「いいなあ。うらやましいよ。」
あまりに不謹慎な言葉に、ついついジロッと彼らを睨んでしまいました。
「ボランティアとか受け付けてるかな」こんな会話を求めているわけではありません。彼らのすべての会話を聞いていたわけでもありませんから、その前段にはそんな会話があったのかはわかりません。
ただ学校が休みだから羨ましいというのは、小学生レベルの会話であって専門学校生もしくは大学生の会話とは思えません。
学校教育なのか家庭環境なのか本人の意識の問題なのかはわかりませんが、被災された方々のことを考えると少しにがっかりしました。
このような惨事を他人事と考えないで被災地・被災者の心配や自分たちに何ができるのか、そんな会話を耳にする世の中になれば素晴らしいのですが…。(SH)