「暑い・暑い」と毎日口を開けば自然と出てしまう言葉でありますが、そんな中でもオリンピックで活躍している選手たちの姿をテレビで見ると、少しは自分もシャンとしなければ!と思わずにはいられなくなるのは何故なんだろう。オリンピックの大舞台に立つまでに、選手たちは本当に苦労し、頑張って、その切符を手にしている。またその選手を支えてきた多くの仲間や家族がその後ろにはある。そんな事を知れば知るほど、選手の活躍を願わずにはいられない。
ただ今回のロンドンオリンピックでは、いろいろ首をかしげる場面に幾多となく遭遇している。特にバドミントンの無気力試合には驚いた。かって、こんな場面は見たこともなく、まさにスポーツマンシップに反する出来事だと、世界中のスポーツを愛する人々が思ったに違いない。我々は、もてる限りの身体的能力の発揮と鍛え上げられた勝負に対する精神力の真摯なぶつかり合いに感動を覚えるのであり、だからこそ勝敗に関わらず惜しみない賞賛を与えるのではないのだろうか。
無気力試合の背景には何があるのか、非常に難しい問題が見え隠れしているように思える。多分ロンドンオリンピックが終わった後、この事例はメディアを賑わすこととなるであろう。試合に関しては、当然、日の丸を背負った選手を私は応援する。選手たちは国を背負って大会に出場し、国民は自国の選手だから応援する・・・純粋に応援しているが、どこか愛国精神またナショナリズムの高揚に繋がっていることは否定できない。
冷めた眼は、自分の国・自分が生まれ育った国の選手だから応援し、相手の選手・相手国を敵視していく事は、ややもすればゆがんだ愛国心を生み出しかねないのではないか。あるいはかつてのナチスドイツのオリンピックのように、政治的に利用し意図的に愛国心をあらぬ方向に導くことも考えられるのではないか、といらぬ心配をする。
メダリストたちの栄誉を祝し、国歌が流れ国旗が掲揚される・・・スポーツの祭典は平和でなければ成り立たない。観客はそれぞれの選手に惜しみない拍手を送る。しかし私たちは、その拍手が表彰台だけに向けられたものではなく、ともに戦い続けてきた全ての選手に向けられている拍手である事を知っている。
「ヒロシマ」「ナガサキ」と終戦とオリンピック・・・熱い8月に想うこと多し。(M)
おまけの写真は、8/4(土)夏の海。
比較的早い時間でしたので、入道雲は現れていませんでした。(Chu)
釣り人がただ一人、青い海を独占していました。
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