欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

秘密

2006-11-15 | poem
私の胸の中にある、そのものはいったいどんな形をしているの?
私の胸の中にある、そのものはこれからどんな風に変化していくの?
私の胸の中にある、そのものは最後の最後まで私にその姿を見せてくれないの?

私が変わっていく最後のカタチがそれだということに私はもう気づいているのに、私はそのもののことをなにもわかってなくて、ただ胸の中におさめているだけ。
最後の最後にそうならなければならないものがこの私の胸の中にあるというのに、私自身はそれをすこしも理解できないまま、ただ外に向かってなにかを探し求めている。

私の中の秘密。
最後の最後までわからない私だけの秘密。

私に最後がやってきた時、私の胸の中にある、そのあるものがついに明かされる。
私の胸の中に常にありながらも、最後の最後までわからなかったそのあるものがーー。
それは私が最終的に変わっていく最後のカタチのもの。
その時の私と同じカタチであるなら、そう、それは自分の歩む方向が正しく意義あるものだったということ。
よかった、私は間違っていなかったんだと、胸をなでおろせる。
はたしてそのものは、私の最後のカタチと同じであろうか・・。

私の中の秘密。
最後の最後までわからない私だけの秘密。
最後の私が、自分の胸の中にある秘密と同じカタチであるならば・・。
いや、そうあってほしいと願う今の私。

冬はもうそこに

2006-11-13 | essay
今からは本当に寒くなりますけど、カゼなどひかないようお気をつけ下さいまし。
山はもうすぐ雪になります。でも、もうその備えを終えているようなそんな雰囲気です。
私たちもぼちぼち冬への準備をしっかり終わらせないといけないですね。
来たる春のために。おだやかであたたかい風が吹く頃までの、長い長い休みの時期に入ります。

自然でいられる場所

2006-11-13 | poem
ねぇ、やっぱりあそこへ帰りましょう。
私たちが笑顔で暮らしていたあの頃、あの場所へ。
小さいけど花の咲く庭。
家の前から海まで続く道。二人で暮らすにはちょうどいいレンガの建物。
花が咲いたら二人で笑って。
夕方にはいつも家の前の道を海まで一緒に散歩した。
あのレンガのわが家へ。

あの頃の私たちにはいつも笑顔があった。
とてもおだやかな会話や笑えるような出来事がたくさんあった。
それは今に比べたら、ほんとにささやかな小さな生活だったかもしれないけど、それでも今の私たちより喜びや楽しみがたくさんあった。
いつも一緒でいられたし、いつもおだやかでいられたじゃない?

ねぇ、あそこへ帰ることは考えられないの?
あそこへ帰ることすら考えられないなにかを、あなたは背負い込んでしまったの?
私は帰りたいわ。あの頃、あの場所に。
あの頃にはたくさんあったものが、今はひとつひとつなくなっていくのがとてもつらい。
あの頃には自然と持っていたものを、今はそれを持っていたことすら忘れてしまうような、そんな毎日にはもううんざり。
私たちにはあそこが一番居心地がよかったのよ。
あそこが私たちの居場所だったの。

ねぇ、ちょっと力を抜いて考えてみてよ。
心の中に残っている、あの頃のことを思い出してみて。
あの頃の私たちがなにを思い、なにを大切にしていたかを。
時の流れとともに得るものと失うものが変化していくなかで、私たちが自然と手放していたものたちを。
それは今私たちが本当に必要なものなんじゃないの?

ねぇ、あそこへ帰りましょう。
私たちが笑顔で暮らしていたあの頃、あの場所へ。
あの頃と同じになるのはもうムリかもしれないけど、でも、きっとあの頃と同じような気持ちには戻っていける。
小さいけど花の咲く庭。
家の前から海まで続く道。二人で暮らすにはちょうどいい私たちのわが家へ。

やっぱりあそこが一番居心地のいい私たちの居場所なのよ。
やっぱりあそこが一番自然で、いつもおだやかに過ごしていける、私たちの場所なのよ。

昼の時間・夜の時間

2006-11-09 | essay
みなさんは一日のうちで、自分の心が微妙に変化していることにお気づきだろうか。
心の運び方とでも言おうか。
気持ちの浅い深いとでも言おうか。
人は昼の時間仕事をしたり、日常のいろんな事をするために動いている。
そこは実質主義の時間。
自分が今日しなければならないことを遂行する時間。
では、夜の時間はどうだろうか。
夜は家でゆっくりと一日の疲れを癒す時間。
また明日からのやるべきことに備えて、心も身体も休めていく時間である。

みなさんはこんな経験をしたことはないだろうか。
夜、寝床に入ってから、ふと、自分の今日した行動を信じられなく疑ってしまうことが。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
どうしてあの時あんな行動に走ってしまったのだろうか。
今考えればすんなりとわかることなのに、どうしてあの時はそんなことも考えられなかったのだろうかと。

なにかの本で読んだのだが、人は昼間の時間は心が浅くなっているようである。
それは日常のいろんな雑事の中ででも、自分のやるべきことを遂行するために。
昼間の雑然とした雰囲気の中でなにかを迷いなく行うためには、いわゆる単純な思考回路じゃないと、とてもじゃないけど振り回され惑わされてしまうのだ。
そうした単純回路で動いているからこそ、今言ったように自分のやるべきことを遂行しやすくなるし、また夜の時間はすんなりわかることもその時にはわからない。目もくれないというわけである。

確かに私たちにとって昼の時間は、もっとも重要な時間ではあるのだが、その昼の時間を有意義なものに満たされたものにするためには、夜の時間の過ごし方がとても重要になるということだ。
日常は雑然と過ぎていく。
浅い心のまま、小さな過ちをずっと見過ごしていれば、いずれ大きな間違いが起こる。
深い思考回路をもつ夜の時間は、そんな雑然としている昼の自分を見直せる唯一の大切な時間なのである。
ああ、あの時こうしておけばよかった。
あの時言われたコトバはこういう意味だったのか。

夜のひとときはとても重要な時間である。
自分を休め、そして、明日からの準備とその方向性を決める。
深い心の自分が、今後どう生きていくか。今の現状をどううまく切り抜けていくか。
深い深い夜の時間の自分。
その過ごし方は自分の人生にとってとても重要な時間なのである。

11月中は

2006-11-03 | essay
11月中はいろいろとやることがあって、思うように書き込みができないようにあります。
11月が終わる頃にはすこしは時間がとれるようになっているかな・・と。
いつもブログを読んでくれている方々には申し訳ないですけど、たま~にの更新になると思います。
とりあえずお知らせまでに。

※11月になってもまだ蚊がいます。温暖化の影響で、たまに夜中にブーンという音で起こされます。いったいいつまで夏気分なのやら・・。