太平洋戦争で海外に出征した旧日本軍の兵士に贈られた日章旗の写真が、米国在住の日本人女性から東京新聞に寄せられた。米国兵が戦地から持ち帰り、子孫が保管していたという。記者は兵士の地元を訪ね、日本遺族会に調査を依頼したが、遺族らの消息はつかめなかった。戦争の記憶が遠のく中、「遺族が分かれば返還したい」と女性らは願っている。(酒井健)
◆米兵だった祖父が持ち帰った旗
日章旗には、出征兵士「小池千之君」の名と「東京都本所区東両国四丁目」の地区名。続いて「町会長 小林浩治」とあり、当時の住民とみられる人びとが名を連ねている。
本紙に情報を寄せた藤平マイルズ和子さん(63)=米カリフォルニア州=によると、日章旗は、息子の知人でテネシー州在住の米国人アル・バセットさんの実家に保管されていた。バセットさんの亡き祖父は米国兵で、「硫黄島から持ち帰った」と伝えられているという。
◆ルソン島で戦死した衛生兵か
まずは日本国内の資料に当たってみた。フィリピン・ルソン島の駐留部隊を記した「アシンの谷間に 南方第十二陸軍病院の記録」(1978年、玉村一雄編)の遺芳録に、衛生兵「小池千之」の名が載っていた。ルソン島バギオで戦死したとみられる。
日章旗に記された「東両国四丁目」は、現在では墨田区両国4丁目付近。現町会長の山下悦男さん(70)の案内で記者が集会所を訪ねると、かつて町会長を務めた小林さんの名が町会の名簿に残り、写真もあった。
◆空襲で95%焼失、人の入れ替わり激しく
戦後78年以上が過ぎ、当時を知る人は少ない。「時間がたちすぎたかもしれない」と山下さん。この地で生まれ育った高橋秀光さん(91)も当時は幼く、茨城県に疎開していた時期もある。「すぐ近所なら分かるだろうけれど、小池千之さんの名は心当たりがない」と話す。
すみだ郷土文化資料館(墨田区)の石橋星志学芸員によると、両国は当時から人口密集地。東京大空襲では両国を含む本所区の95%以上が焼失した。疎開や空襲、戦後の開発で住民の入れ替わりは激しく、足跡をたどるのを難しくしている。
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