小沢一郎氏「元号・平成は竹下さんと小渕さんと僕で決めた」
NEWSポストセブン / 2019年4月22日 7時0分
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小沢一郎。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)
◆「平成」誕生の真実(1989年1月)
〈新元号「令和」の発表と前後して、30年前の「平成」元号決定の過程が明らかにされてきたが、触れられていない秘話がある。有識者会議で3案の中から「平成」が選ばれた──とされるが、実はその前に「結論」は出ていたという。昭和天皇が崩御した1989年1月7日、首相・竹下登、官房長官・小渕恵三とともに官邸に詰めていた官房副長官・小沢一郎は、その経緯を知る唯一の生き証人だ。〉
小沢:僕自身は元号に関心がさほどなかったけれど、(官僚を通じて)最終的に総理のところに上がってきたのは2案でした。「どっちにしましょうか」と。それで、竹下さんと小渕さんと僕の3人で「どうする?」となった。
──3人だけで?
小沢:その段階ではもう役人を入れる必要がなかった。学者の先生が選んで、2案まで絞り込まれていたからね。上がってきた2案は、「平成」と「化成」でした。
──1字目が「平」か、それとも「化」か。
小沢:文化という言葉もあるし、(日本で最初の)大化という元号にも使われているんだから、化という字が悪いわけじゃない。けれども、3人とも「化けるより、平らかになるほうがよかろう」という単純な判断で平成を選びました。
──当時の有識者懇談会には「平成」の他に「修文」と「正化」の3案が示され、平成に決まったと伝えられている。
小沢:あの時もそんな会議をやったのかな……それくらい僕は(元号選びに)関心がなかったんだな(笑い)。でも、僕は「化成」っていう案は覚えています。「修文」とかは全く知らない。
〈平成の元号は、昭和天皇崩御の慌ただしい中で選考が行なわれた。元号選定に関わった的場順三・元内閣内政審議室長も「急いで決める必要があったから、本命の平成に誘導した」と当時を回想している。
有識者会議前に竹下、小渕、小沢の政権中枢の3人で「平成」と「化成」という候補から平成が決まり、有識者会議では「平成」に誘導するために、頭文字が昭和のSと重なる“当て馬”の2案を追加して提出された―─小沢と的場の証言を重ね合わせると、そうした経緯が浮かび上がってくる。〉
●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)※週刊ポスト2019年5月3・10日号
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