つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その10。

2011年05月31日 07時36分17秒 | さらば、母校よ。
シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は、正面玄関を入ってすぐ…履物の収容スペース。
既に、下駄を履く機会などメッキリ減って久しい昭和40年代、
それでもそこは、「下駄箱」と呼ばれていた。
それは、21世紀になった今も同じ。
「ゲタバコ」という音の響きがしっくりくるのか、
あまり「クツイレ」とは耳にしない。
やはり、何事もネーミングが重要なのだと思う。

さて、下駄箱は、児童全員が、毎日必ず利用する場所。
週休2日制導入以前、
通学は年間およそ250日×登下校の1日2回×6年間としても…
僕は、この下駄箱を3000回以上通った計算になる。
複数回利用した日も多く、実際は倍近い数になるだろう。
ずい分と、沢山使ってきたものだが、
一度に費やす時間は極めて短く、文字通り“通過地点”だった。

学園物に登場するシーン…
「下駄箱にラブレター」とか「下駄箱に画びょう」など、
ドラマチックな舞台になる事もなく、僕の中では印象が薄い。
誰かが明るい外へ駈け出してゆく瞬間や、
友達と笑い合った様子が思い浮かぶくらいである。

しかし、先日、ある光景を目撃して、そこは記憶に刻まれる場所になった。

 

解体作業期間中の早朝。
散歩で通りがかった、校舎と体育館を結ぶ渡り廊下から中を覗くと、
むき出しのコンクリートが露わになった正面玄関。
当然、下駄箱は消えていた。
何かが失われていく過程とは、酷く空しさを感じる時がある。
思い出の詰まった校舎なら、尚更だ。
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津幡の火消しと微笑むポスター。

2011年05月30日 18時31分54秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町消防本部前にて撮影。
火災予防を促すため掲示されている、ポスターである。
一体、いつ頃からだろう?
防火運動に女性タレントが華を添えるようになったのは?
疑問に思い調べてみたところ、向かって左側…
黄色いバックのポスターについて「社団法人 日本損害保険協会」のHPに、
次の記載があった。

『「防火ポスター」の歴史
 防火・防災意識の高揚を目的に、1949年度から制作し、
 消防庁へ寄贈しています。
 当初は、デザイン・標語を一般公募し、入選作をポスターにしてきましたが、
 1979年度からは、ポスターをより親しみやすいものにするため、
 女性タレントの起用を始めました。
 これまでに「松田聖子さん(1981年度)」「中山美穂さん(1986年度)」
 「酒井法子さん(1987年度)」等を起用し、大きな話題となりました。
 最近では、「柴咲コウさん(2001年度)」「上戸彩さん(2002年度)」、
 「上野樹里さん(2003年度)」を起用しています。
 モデルの方々は、「防火ポスター」登場をきっかけに、
 各界でご活躍されています。』(※2004年9月発行のプレスリリースより、原文ママ)

1979年、32年前から行われていると分かり、
かなりの有名どころが起用されてきた事も判明。
そして、制作が「消防庁」ではない事に、驚く。

ちなみに向かって右側…
赤いバックのポスターは「全国消防協会」つまり総務省・消防庁が発行した、
「春の全国火災予防運動」のもの。
起用されているのは、どちらも10代のタレントさん。
特に思い入れはないが、整った面立ちの可愛らしい女の子だと思う。

正直、これまでは意識してこなかったが、
散歩を始めて目についたのも何かの縁だ。
世の流行や、ブレイクしそうなタレントさんの動向を知る上でも、
参考にしてみよう。

思えば小学校時代、こうした公共運動の標語が決まる度、
図工の授業でポスターを描いたっけ。
防火は勿論、火災予防、交通安全、飲酒運転撲滅、
不法電波撲滅、歯の衛生週間、愛鳥週間などなど。
たしか一度も入選した事はなかったなぁ…。
絵心のなさを痛感する。
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薫風に ブランコ揺れる 津幡町 。

2011年05月29日 18時40分24秒 | 日記
今日の一枚は「揺れる無人のブランコ」。
今も昔も、公園にはつきもののアイテムである。
僕も、よく近所の小さな公園でブランコに揺られて遊んだ。

2本の太い鎖で吊下げた木製の「踏み台」は、チープなアクロバット指定席。
風を切る爽快感。
周囲の風景が前へ後ろへ移り変わるスピード感。
振り子運動の頂点で、一瞬、動きが止まるスリル。
なかなか楽しい。

乗り方も様々あった。
@踏み台にお尻を乗せ、両足を揃えて空中をかく様に動かし、
 その反動でブランコを動かす「座り乗り」。
 大きく長く揺れようと思うと持久力が要求される。
@立ったまま両足を乗せ、体全体を使ってグイグイと揺り動かし、
 より高い到達点を目指す「立ち乗り」。
 効率よく力を伝えるバランス感覚が大切だ。 
@腰の辺りに踏み台を当てた状態で後ろへ下がり、
 助走で勢いをつける「飛び乗り」。
 うまく加速するため、どのタイミングで座るか。
 座った直後にどう足の動かすか…経験とテクニックが必要。 
とにかく、年齢が上がるに従って、
より高度(または危険)な方法を使うようになった。

そんなブランコを使った遊びで僕が気に入っていたのは
「サンダル飛ばし」である。
まずは「飛び乗り」でスタートダッシュ!
何度か揺れを繰り返し、揺れが大きくなるのに比例して、
鎖とポールをつなぐ滑車が発する音が甲高くなる。
そして、振幅の最後尾で片足の膝を曲げ、最突端に戻る直前、
裂ぱくの気合い諸共、思いっきり振り上げる!

『いっっっけぇぇぇぇぇえ!!』

足から放たれたサンダルが宙を舞い、
公園の遥か向こうに難着陸。
記録を更新した時は、無上の歓喜に包まれた。
…子供の頃の話である。
おそらく大した飛距離ではなかったろう。
だが、当時の僕には、それで充分満足だった。

さて、最近のブランコは進化しているようである。
例えば…
 
踏み台が木製ではなく、強化ゴム製。
ささくれで怪我をしないよう、また、割れたりしないための配慮だろう。
ブランコを吊下げるのは鎖ではなく、化学繊維のロープ。
手にサビが付かないよう、また、指を挟んだりしないための選択だろう。

こんなものもあった。
 
踏み台が撓んでいる。
お尻が痛くならないよう考えられたのだろうか?

使い勝手は向上しているのだと思う。
しかし、僕は揺らすとキィーキィーと音が鳴る
オールドファッションなブランコが好きだ。
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今は昔、津幡に国の道ありき。

2011年05月28日 07時45分14秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町内を走る、県道59号線。
撮影場所は、旧・津幡小学校があった大西山の裏手。
家から散歩に出かければ、片道数分の距離である。
だが、小学校低学年の僕にとってそこは、最果ての場所。
「ルビコン河」並みの「国境」だった。

『あそこは、自動車が多くて危ないから近寄ってはいけない!!』
当時、母親は事あるごとに、そう口にしていた。
何度も、何度も…。

確かに、交通量が多かった記憶はある。
トラックやダンプが朦々と排気ガスを撒き散らしていた。
現在と比べると、インフラが整っておらず、
道路には信号機が少なく、横断箇所も限られていたはず。
周辺道路の本数も少なく、交通が集中したであろう事は想像に難くない。
歩道も狭く、子供にとっては危険。
だから、10歳を超えるまでは、一人では決して越えてはいけない道、
足を踏み入れてはいけない道だった。

昭和40年代…「いざなぎ景気」を謳歌していた日本は、
物流に勢いがあっただろう。
その後のオイルショックを経て、ガソリン価格がグッと下がり、
モータリゼーションが加速し、自動車は「一家に一台」の時代に。
交通事故が社会問題になり、
津幡町でも「人と自動車の共存」を意識し始めた頃である。

県道59号線は、かつて七尾と金沢を結ぶ幹線道路…
「国道159号線」の一部だった。
しかし、津幡町内の交通の流れが変わった今は、
羽咋郡・宝達志水町~津幡町・太田間の主要地方道にすぎない。

ずい分と自動車の量も減り、歩行者にとっては優しい道になった。
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今は昔、津幡中学校へ通ふ吾人ありけり。

2011年05月27日 08時29分51秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡中学生の自転車通学風景。
撮影場所は、県道59号線・清水交差点近く。
時刻は、朝7時すぎ。
…改めて写真を見てみると、服装・装備について3つ気付いた点がある。

①ヘルメットがスタイリッシュ。
⇒現在のシルエットは、空気抵抗を少なくするためか、
 頭部前面から後ろに行くに従って細くなる流線形。
 全体に通気用の穴が開けられた二重構造のようだ。
⇒僕が中学生だった頃のそれは…
 旧・日本陸軍が被っていた鉄兜のような丸型。
 通気孔はなく、暑い季節はいかにも蒸れそうだった。

②交通安全ベストを着用。
⇒現在は、薄暮・夜間通行に配慮し、
 蛍光色のベスト型反射材を身に付けている。
 両肩から腰を結ぶ形状は、バッグの取っ手のようだ。
⇒僕が中学生だった頃…
 そんなものはなかった。

③通学バッグが黒い。
⇒自転車の荷台に括りつけられた現在のバッグ、帆布製だと思うが、黒い。
 おそらく肩掛けベルトは脱着可能。
 また、位置を変えれば、背負えるようになるようだ。
⇒僕が中学生だった頃のそれは…
 生成りの帆布製。
 肩掛けベルトは本体に縫い付けられ、脱着不可能。
 そのベルトに蛍光反射材が接着されているのだが、
 1年ほどで剥がれてきたものだ。
 そして、正面には、校章が染め付けられていた。
 
比較してみると、何だかカッコよくなっている。
世の流行の変化であり、30年の時の流れを感じるのだ。
しかし、変わらないものもある。

 

左手奥の男子が手に持つ「ナップサック」である。
オレンジ色のナイロン製で、黒のインクで校章をプリント。
僕の記憶の中にある姿と同じだ。
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