つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

常滑三英傑、揃い踏み。<追記>

2023年06月25日 20時45分00秒 | 賭けたり競ったり
※以下本文:6月25日 昼12時半投稿 末尾に追記アリ
 7時半の投稿は文面が改行されなかったため、削除してやり直し。
 朝投稿した記事にリアクション頂いた方、スイマセンでした。

                             
今夕、山口県・周南市の「徳山競艇場」に於いて今年3つ目のSG競走、  
「第33回 グランドチャンピオン」優勝戦が行われる。  
前年の同大会優勝者、前年グランプリの優勝戦出場者、  
その年のボートレースオールスターの優勝者、  
過去1年間のSG優勝戦の完走者、SG予選での得点上位者が出場。  
            
俗に“SGの中のSG”と称されるハイレベルの激戦を勝ち抜き、  
最後のピットへ舳先を進める6戦士は以下の通り。  
            
1号艇:磯部 誠(愛知)  
2号艇:石野貴之(大阪)  
3号艇:平本真之(愛知)  
4号艇:坪井康晴(静岡)  
5号艇:池田浩二(愛知)  
6号艇:茅原悠紀(岡山)  



きのうの準優勝戦、3つのレースはいずれも「イン逃げ」で決着した。  
きのうの10R、1号艇の「平本」は横綱相撲の完勝劇。  
きのうの11R、1号艇の「石野」は5コースからねじ込まれた渾身の勝負手を躱し1着。  
きのうの12R、1号艇の「磯部」はシリーズリーダーらしく堂々の逃げ。  
             
結果は順当。  
配当面での波乱は起きず、残念に思う穴党ファンも多いだろうが、これもまた競艇。  
予選道中の上位通過者が内側に陣取り、がっぷり三つ巴の優勝戦となった。  
              
特記しておきたいことが2つある。  
まずは昨10Rの敗者「寺田 祥」の奮闘だ。  
今節、唯一の地元・山口支部所属。  
抽選で引き当てたモーターは素性がよくなく、初日1走目は5着。  
その平凡な相棒を何とか立て直さんと連日整備を施し、努力を重ね、  
水面でも気合に満ち溢れた走りを見せてくれた。  
優勝戦まで漕ぎつけて欲しかったが、願いは叶わず。  
しかし、ナイスファイトだった。  
                    
次は優勝戦が「常滑三英傑」揃い踏みのレアケース。  
5号艇:池田、3号艇:平本、1号艇:磯部。  
いずれも愛知支部、常滑競艇場をホームプールにする師弟関係にある3人が顔を揃えた。  
中でも一番年若い磯部は、SG初戴冠がかかるポールポジション。  
彼は歴戦の強者・諸先輩方と戦い、  
同時に自分との戦いにも臨まなければならない。  
プレッシャーを撥ね退けて大願成就なるか!?
注目である。  
                  
ファンファーレは、本日(2023/06/25)午後4時40分。  
ネットでもTVでも生中継アリ。  
都合と時間が許せば、是非観戦してください!!  

※以下追記:6月25日午後8時45分投稿
                              
<出藍の誉れ。>




『1つ結果が出せてよかったです。』

「第33回 グランドチャンピオン」優勝戦直後、
勝利の感想を求められた「磯部」は、絞り出すようにそう答えるのが精一杯だった。
喜びより、安堵。
本人初、平成生まれ初のSG戴冠がかかる大一番。
ひたすら重圧に耐え、緊張感に縛られていた時間から解放された正直な気持ちだった。



レース展開は、最も有利な枠番「1コース」の利を活かした「逃走」。
しかし、ゴールへの道のりはワインディングロードだった。
一時は5艇身はあったであろう2番手「石野」が凄まじい猛追をみせ、
最終ターン手前では、あわや逆転か?!と思えた。
それを振り切って真っ先にゴールイン。
常滑三英傑の先輩2人---師とも言える「池田」と「平本」を差し置き栄冠を手にしたのだ。



2連単、1番人気。
3連単、3番人気。
手堅い配当になったが、歴史の転換点とは案外あっさり訪れるのかもしれない。

磯部、おめでとう。
                                      
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小品、カキとクモ。

2023年06月24日 17時45分45秒 | 自然
                           
朝イチ(6:10)に近所のコンビニへ出かけ、
スポーツ新聞を買うのが、ここ5日間の日課になっている。
それは僕にとって、競艇SGレース開催期間中のルーティーン。
--- 勝負の行方は後に譲るとして、今回はごく短い道行きのハナシだ。

同じ時間、同じ道を歩き、見るともなしに同じ景色の中に身を置いていると、
ちょっとした変化に気付く事がある。
今朝のそれは「青柿」。



梅雨入りした頃は萼(がく/花びらを支える器官)に隠れていた実が、
いつも間にか随分大きくなっていた。
青葉に包まれた熟す前の柿の実は目立たず、認識しずらい。
今朝も、もし「異色」が混入していなかったとしたら、
目に留まらなかったのではないだろうか。



何故か気の早い一葉。
孤独な柿紅葉に惹かれてスマホカメラを近づけると---
『おやっ?!』
--- 朱色の上で蠢く影が。
「ハエトリグモ」だ。



腹部に灰褐色の条紋。
「マミジロハエトリ」の様な気がするが、まだ小さく特徴がハッキリ現出しておらず、
特定は難しい。
そもそもハエトリグモの種類は多い。
世界中で5000を超え、日本国内でも100を下らない。
こいつは中々優れたハンターで、自身の何倍もの距離を飛び跳ね、
ハエ、小型の蛾、ダニ、蚊などを狙う。
ゆえに人間にとっては「益虫」とも言える。

無事に成長できたなら、この木に於けるミニマム級チャンプに君臨するだろう。
暫く、柿の実が色づくあたりまでは観察してみるとしようか。

『ガンバレよ』
                        
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母校の景趣。

2023年06月18日 20時11分11秒 | 大西山の丘辺に立てば。

わが母校「津幡小学校」の開学は、明治6年(1873年)春。
今も津幡川のたもとに建つ寺院---
「弘願寺(ぐがんじ)」の境内に設置した仮校舎が始まりである。
当時の学年は4ヶ年で、読書、習字、算術などの科目を教えていた。


 
津幡小学校 開学の前年、
近代化を急ぐ明治政府は「国民皆学」のスローガンを掲げ義務教育をスタート。
しかし初期の就学率は、30%程度がせいぜい。
改善すべき点が多かった。
年齢に応じたカリキュラム、教科書を作成。
師範学校で養成した教育のプロ「先生」を派遣。
授業料を無償化するなどして、子供たちが通いやすい環境を整備。
就学率もアップし、いよいよ「大西山(おおにしやま)」に校舎が建設される。



『古城址(こじょうし)に河北の花と 
 大西山の丘辺に立てば
 山はみどりに 潟ひらけたり 
 わが学び舎ここに立てり』

「津幡小学校校歌」冒頭にそうあるとおり、
旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地「大西山」は、かつての「津幡城」跡。
ここに木造校舎が建ったのは、明治20年(1887年)夏のこと。
男子・女子がそれぞれの校舎に別れて勉強していたという。
また、赤ん坊を背負った児童が授業を受ける風景があった。
当時、主に女の子が裕福な家の子守役として働くケースは珍しくなく、
それをこなしながら通学できるようにと「子守学校」が開設されていたのだ。

--- とまあ学校初期の姿をざっと書き出すと、そんな感じになる。
そして、150年の時が流れた。





既にこのカテゴリーで投稿してきたとおり、
僕は、母校の「150周年記念事業応援団」の末席に名を連ねている。
この1年余りの間に、担務セクション毎に何度か話し合いを重ねてきたが、
先日、年度替わり経て定まった新体制下での全体合同会議が開催された。





記念式典部会、記念事業部会、記念誌部会、
それぞれの進捗状況の報告と確認があり、内容もかなり具体化してきた。
式典執行は令和5年(2023年)の秋。
然るべきタイミングになれば、拙ブログでも発表致します。

さて、僕の役割といえば---「150周年記念 音声プログラム」を制作するのが1つ。
学校の音楽室で録音した新旧校歌。
過去の校舎へ通学した方へのインタビュー。
明治~大正~昭和~平成・令和、各時代の様子を紹介するナレーション。
こうした要素を織り交ぜたラジオ番組のようなもので、
尺は60分くらいを予定している。
こちらも然るべきタイミングに詳細を明らかにしたい。
                               
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令和五年 太白祭。

2023年06月17日 14時14分14秒 | 日記
                              


津幡中央銀座商店街のワンコディスプレイが「カエル仕様」に変わって数日後。
北陸に梅雨入り宣言が出て、およそ1週間が経過した。
雷を伴いひどく降る日があれば、そうでもない日もある。
今日(2023/06/17)は後者、朝からよく晴れ渡る散歩日和だ。



数日前から、同商店街に気になる幟が立っていた。
風に揺れる「太白(おおしろ)祭」の赤い旗。
津幡町 津幡に鎮座する「太白山神社」の例大祭である。
同イベント、拙ブログに登場するのは4年ぶり。
ブランクの訳がコロナウィルスなのは言わずもがな。





以前は境内ステージでの催しもあったが、今年はお茶・お菓子の振る舞いのみ。
和服姿のお姐様方が、甲斐甲斐しく来客の世話を焼いてくれていた。
ちなみに菓子は地元の「小泉菓子舗」謹製。
実に微笑ましい光景なのである。





以下「太白山神社」について、お宮前に建つ石碑より引用する。

『御祭神:大禍津日神(おおまがつひのかみ)
 御神徳:生命の修理固成を司り、万物を生かす霊威を包合し、
     殊更に罪穢を忌嫌われ罪穢を浄化し給う霊力のある神なり。
 由 来:当社は、現在の清水八幡神社(延喜式内笠野神社と言われる)が
     慶長元年(西暦一五九六年)まで大白山に鎮座せし跡地を
     聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社大白山社として
     創祀したに始まる。
     明治二年風災により神祠損壊し、同二十四年社殿新築竣工まで
     本社清水八幡神社御神輿渡御の神事は、この由縁に基づくものなり。
     昭和三年十月八日指定村社に列格、神饌幣帛料供進神社となる。
     昭和八年六月三十日本殿新築、慶賀祭斎行。
     昭和十五年年六月二十一日社殿創建五十年慶賀祭斎行。
     昭和五十五年六月二十一日社殿創建九十年祭斎行。
     右縁起如件
     昭和六十三年 六月吉日』



参道を出た県道には露店がズラリ。
焼きそば、たこ焼き、リンゴ飴、かき氷、フライドポテトなど、
殆どが「飲食ブース」だ。
金魚すくいとか。
射的、輪投げとか。
型抜きとか。
ヒヨコ売りとか。
お面売りとか。
白蛇の見世物とか。
試験管に入った深紅のジュースとか。
華やかな色絵を彫ったお兄さんとかは、すっかり見かけなくなった。
--- これも時代なのである。
                           
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C特急 東駅にて。

2023年06月14日 10時10分10秒 | 手すさびにて候。
                            
このカテゴリーの先回「コーヒー」に関して投稿した。
今回は、その続篇と言えなくもない。
もう一つの世界的な嗜好飲料「茶」についての雑文である。

僕が常日頃愛飲しているコーヒーが南蛮船に乗って日本に上陸したのは、江戸時代。
一般に受け入れられたのは明治末~大正時代頃。
それに対し、茶の歴史はよほど長い。
奈良・平安時代、遣唐使や留学僧によって大陸からもたらされたと推定され、
鎌倉末期から南北朝にかけ、寺院が所有する荘園で栽培が広まり、
武士階級の社交ツールとなり「茶道」が形作られてゆく。
また、早くから庶民にも身近な飲み物となっていた。

古い付き合いだから、茶は日本語表現の中に度々登場する。
「お茶を引く」。
昔、客のつかない遊女が臼で茶葉を挽いて抹茶を作り時間をつぶしたところから、
その日の仕事にあぶれることを指すようになった。
「茶番劇」。
江戸時代の劇場で、観客にお茶をだす仕事「茶番」を務める下っ端の役者が演じた、
他愛のない出し物の名称で、やがて見え透いた行為に対して使われた。

他にも枚挙に暇がない。
適当な言動でごまかすのは「お茶を濁す」。
まじめな話を冗談めかしてからかう「茶化す」。
無邪気な子供っぽい悪戯を「お茶目」。
ありふれたことを意味する「日常茶飯事」。
手軽な物事に引用される「お茶の子さいさい」。
そして尊敬や親愛を込め「御」を付加するのが定着していることからも、
その浸透度合いの深さが窺える。

何はともあれ、季節は高温多湿。
「梅雨」の盛りだ。
一服いただきながら涼感や爽快感を得たいものである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十六弾「お茶 with 大和撫子」。



今投稿のタイトルを<C特急 東駅にて。>としたのは、ある書物に着想を得ている為。
「沢木耕太郎(さわき・こうたろう)」著『深夜特急』である。
著者が26歳の時、実際に旅した経験がベースになった紀行小説は、
シリーズ累計600万部超えのベストセラー。
ご存じの向きにはイマサラだろうが、簡単に概要を記してから引用へつなげたい。

1970年代当時、ルポライターとして活動していた「私」は、ある日仕事を全て放り出す。
インド・デリーから乗り合いバスを継いでロンドンまで。
ユーラシア大陸2万kmを横断する“酔狂な旅”に出た。
香港、マレー半島、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコ。
ひたすら西を目指しヨーロッパに到達した「私」は、気持ちが萎えたことを自覚する。
好奇心とエネルギーに満ちていた熱い時が、霧散してしまったのだ。
消失の理由に思い当たったのは、ギリシャの古都アテネの街角だった。

【 私はようやく3日目に理解した。何かが起きそうで起こらない。
  それはやはり私がこれまでとは違う土地へ来ていたからだ、と。

  そういえば、とイスタンブールのハナモチ氏が言っていたことを思い出した。
  カタコトの日本語だけでなく、英語も私などよりはるかにうまく話すハナモチ氏は、
  外見に似合わずなかなかのインテリで、大学卒だというのもまんざら嘘ではなさそうだった。
  その彼とチャイハネでチャイを飲んでいて「茶」の話になった。
  私が、これまで通ってきた国では、どこでも人々は「茶」を飲んでいたが、
  面白いことにどこでも「チャ」や「チャイ」と発音されてたという話をすると、
  ハナモチ氏はそうか、そうかというように深く頷き、
  トルコ人はチャイが大好きだが、ギリシャ人はチャイを飲まずにコーヒーを飲むのだと言う。
  そして、チャイの国はみんな仲間なのだ、と言い出した。 
  なるほど、「アジアはひとつ」などという言い方には
  どこからどこまでがアジアなのかわからないという曖昧さがあったが、
  茶を飲む国とコーヒーを飲む国に分ければ分かりやすい。
  もしそれを基準にすれば、トルコまでがアジアということになる。
  「万国のチャイ国よ団結せよ!」
  調子に乗ってはしゃぐハナモチ氏に、しかし、と私が水を差した。
  「イギリス人も紅茶が好きだよ」
  すると、ハナモチ氏は困ったようだったが、すぐにこう訊ねてきた。
  「英語でチャイは何という?」
  「ティー」
  「フランス語では?」
  「テ」
  「ドイツ語では?」
  「たぶん、テー」
  「ほら」
  「何が」
  「彼らはTで始まるチャイを飲んでいる。僕たちはCのチャイを飲んでいるのさ」
  その時は笑うだけだったが、あるいは一面の真理をついていたのかもしれなかった。
  いずれにしても、私はトルコからギリシャに入ることで、アジアからヨーロッパへ、
  イスラム教圏からキリスト教圏へ、茶の国からコーヒーの国へ、
  「C」の茶の国から「T」の茶の国へと、違う種類の国へ来てしまっていたのだ。 】


(※【  】内/1992年刊『深夜特急』第三便より抜粋引用、原文ママ)

僕が『深夜特急』で印象に残るシーンは幾つもある。
上記「亜欧分離CT理論」もその1つ。
ちなみに、提唱者イスタンブールのハナモチ氏とは、あるトルコ人男性のこと。
「鼻持ちならない」を『ハナモチ』と喋る様子から「私」が付けたニックネームだ。

さて、ハナモチ説に明確な確証はないだろうが、まんざら的外れでもない。

茶の樹の原産地として有力な中国南西部の高原地帯から、
シルクロードなどを通って伝播する内陸コースは、広東語由来の「Cの茶」。
チベット、インド、ロシア、ペルシャ、トルコ、アラブ、日本等がその系統。
東端の日本は「C特急の東駅」といえるかもしれない。
一方「Tの茶」は海運コース。
オランダ、ドイツ、フランス、スペイン、イギリス等、
ヨーロッパ~アメリカがそれ。
当時の交易港・福建の方言が元になっている。

2つのルートを通り東と西へ旅をした茶は世界中で愛飲されるようになり、
アジアとヨーロッパで違う名前を冠した。
まるで二つの文化圏を分けるように。
しかし---。

再び『深夜特急』第三便から抜粋/引用する。
主人公「私」が大西洋を望むポルトガルの町、ヨーロッパの最西端に辿り着いたワンシーンである。

【「これが紅茶というポルトガル語ですか」
  私が「CH’A」という単語を指差して訊ねると、鬚の息子はそうだと頷いた。
  何ということだろう。私は、あのイスタンブールのハナモチ氏が言っていた通り、
  ユーラシアの果ての国から出発して、アジアからヨーロッパへ、
  仏教、イスラム教の国からキリスト教の国へ、
  チャイ、チャといった「C」の茶の国から
  ティー、テといった「T」の茶の国に入ったものだとばかり思っていた。
  事実、ギリシャもイタリアも、フランスもスペインもすべて「T」の茶の国だった。
  ところが、そこを通り過ぎ、ユーラシアのもう一方の端の国まで来てみると、
  茶はふたたび「C」で始まる単語になっていたのだ。】


「T」に囲まれたポルトガルで茶が「C」になったのは歴史が織り成す綾。
大航海時代、オランダ、スペインの向うを張るポルトガルでは、
自前の植民地・マカオから直接茶葉を運んでいた為、広東風が定着した。
差し詰めそこは「C特急 終着駅」になるだろうか。
                            
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