快晴に恵まれた空の下「つばた幼稚園PTA」による資源回収が行われた。
事前配布の案内文によれば、その目的は『園の備品拡充』。
集まった資源ゴミを売却し、利益を施設のために活かす訳だ。
@新聞・雑誌・古紙・段ボール。
@牛乳パック。
@アルミ缶。
@日本酒(一升)・ビール・ジュースなどのビン類が対象。
今朝早くから、路上には予め分別された回収物が配置されていた。
こうした、ゴミを「最初の段階で区分けする」のは、世界的には少数派。
一旦まとめて回収し、専用施設で集約してから分けるのが主流なのだそうだ。
入口でやるか、出口でするか。
考え方の違いは、バックボーンの違いが影響しているのかもしれない。
紙が貴重品だった江戸時代。
使い古しは回収され、汚れ具合によって選り分けて再生するのが一般的。
天秤棒を担いで長屋を回る「紙屑買い」→「古紙問屋」→
「漉き返し業者」→「紙問屋」を経て利用者の手に戻る。
循環型リサイクルが確立されていたのだ。
そんな歴史背景から「入口分別」が定着しているのではないだろうか。
そう言えば、最近は「ちり紙交換」の声を聞く機会が減った。
【♪え~毎度おさわがせしております。こちらはちり紙交換車です。
ご家庭でご不要になった古新聞、古雑誌、ダンボールなど御座いましたら、
多少に関わらず、ちり紙、トイレットペーパーと交換致します。
なお、御用の方はお手を上げて、お知らせいただければ、
お近くまで参ります。 こちらはちり紙…♪】
独特の節回しのテープ音声を流しながら、オート三輪や軽トラが巡回していた。
回収物を渡すと、小さな「バネ秤」で重さを量り、
紐で括ったB5サイズ位の白い紙束をくれたっけ。
住宅街を巡る移動販売も多かった。
納豆、豆腐、石焼き芋、ラーメン。
パン、わらび餅、鮮魚、竿竹(物干し竿)。
それらのアナウンスや鳴り物を耳する度、妙にワクワクしたのを覚えている。
(※「津幡の風景今昔」パンフレットより引用)