つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大晦日、凍える津幡と熱い浜名湖。

2020年12月31日 13時12分33秒 | 賭けたり競ったり
     
令和弐年の大晦日、津幡町は予報通り雪になった。
強烈な寒気が列島を覆い、強い冬型の気圧配置。
これから元日にかけて、大雪になる見込み。
外は今も雪が降り続いている。



降雪量も心配だが、低温にも要警戒。
辺り一面が凍り付き移動の足を掬う。
自動車の運転、徒歩、いずれも慎重を期さねばならない。



落葉し枯れ木のような街路樹や寒さに震える生垣とは対照的に、
豊かな実りを結ぶのが「橙(だいだい)」だ。



橙はミカン科ミカン属の香酸柑橘。
コイツは一風変わっている。
実が何年も木に付いたまま落ちないのだ。
冬は橙色に色付き、暖かくなると青くなり、次の冬にはまた橙に色付く。
こうした営みを繰り返すことから「回青橙(かいせいとう)」とも呼ばれる。
長寿の縁起物として、正月飾りなどでも見かける機会が多い。



寒さに負けない橙の実に身を寄せる、一匹の「蝸牛(カタツムリ)」。
(※赤い矢印の真下)
カタツムリは冬眠する。
外敵に襲われないよう落ち葉や石の下などに潜むケースが多いが、
常緑の葉にすがり、樹上で過ごす場合もあるのだろうか?
何にせよ、どうか元気で。

--- さて、斯様な具合の北陸だが、遠州・浜名湖競艇場では熱い戦いが最高潮!
今夕、年間女王決定戦「クイーンズクライマックス」優勝戦が行われる。



年間賞金ランキング上位12名から半分がふるい落とされ、
最後のピットへ舳先を進めたのは、以下の6名。

1号艇:平高奈菜(香川)
2号艇:守屋美穂(岡山)
3号艇:平山智加(香川)
4号艇:小野生奈(福岡)
5号艇:大山千広(福岡)
6号艇:遠藤エミ(滋賀)

ポールポジションは、予選道中を2着、2着、1着と手堅くまとめた平高奈菜! 
枠番の利を活かして真っ先にゴールすれば、
彼女にとって初のビッグタイトル戴冠となる。

その可能性は大きい。
機力も気力も実力も兼ね備え、女王の資格は充分。
--- 振り返れば、SG「オールスター」準優勝戦で、
一線級男子と繰り広げたデッドヒートには、胸が熱くなった。
夏にケガを負い戦線を離れることがなければ、
賞金トップで最終決戦を迎えることも夢ではなかったが、4位で浜名湖に
その座に着いたのは「守屋」、2位が「平山」、3位は「小野」。
3人は、今日の2号艇、3号艇、4号艇。
激しい争いになりそうである!

優勝戦の発走は、16:17頃。
ティアラを頭上に戴くのは、誰だ?!

< 実力日本一の初戴冠。:2020/12/31夜 追記 >

ティアラを頭上に戴いたのは「平高 奈菜」だった。



レースは進入から乱れる。
大外・6号艇の「遠藤」が舟を回して前に付け、「小野」・「大山」が後ろに引く。
スローは1236/ダッシュが45。
ブレーキのない4つの舟は、追い風に背中を押されて前へ前へ。
奥の2艇がたっぷりと勢いをつけて捲り潰そうと近づいてくる。
しかし、最内の「平高」がトップスタート!
最初のターンで後続を突き放し、あっと言う間に一人旅。
独壇場の圧勝劇だった。

戦前に投稿した通り、彼女は夏にレース中の事故で腕を骨折した。
暫く治療とリハビリに専念しなければならなかった。
この戦線離脱がなければ、トップランカーになっていた可能性は高い。
年間ランク4位の「実力日本一」。
なるべく人が、女王になった。
お陰で、僕の舟券も的中🎯をもらった。

これにて拙ブログの投稿も、今年は最後だ。
皆様、よい年をお迎えくださいませ。
では、また。
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冬に生まれたワンコ。

2020年12月30日 07時55分25秒 | りくすけ
     
今日(12/30)は、わが愛犬「りくすけ」の誕生日である。
去勢雄のチワワで、満12歳になった。
人間に例えると還暦を超え、僕よりも年上になった計算。
すっかり白髪頭のシニア犬になった。



以前も投稿したが、僕が拙ブログを立ち上げた理由は、
彼を飼い始め、散歩に出かけるようになったからだ。

歩きの速度で街を見回すと、色んな発見がある。
例えば、季節に応じて姿を変える花々や木々。
例えば、空を往く雲の種類。
例えば、小さな生き物の営み。
例えば、川の流れや吹き抜ける風。
--- それらを感じることを、僕は忘れていた。

また、記憶の中と目に映る風景とのギャップにも気づいた。
街角の商店や施設など、子供の頃に過ごした場所が、幾つも消えていた。
北陸の片田舎も、ゆっくりとだが確実に変化している。
当たり前だ。
時の流れは止まることはなく、万物に永遠はない。
--- だからこそ、記録しておきたいと思った。

写真と文章で、身の回りの「今の質感」を残しておきたい。
また、自分の記憶を手繰り、失われた光景についても書き起こしてみたい。

そんな気持ちに至ったのは、一匹の小さなチワワと巡り合ったからだ。
以来、僕たちは、いつも連れ立っている。
風薫る春、暑熱の夏、実りの秋、震える冬を共に過ごしている。
彼なくして、こうして皆様に拙文をご覧いただくこともなく、
再び絵筆を握ることもなかったかもしれない。



相棒、誕生日おめでとう。
どうか、これからもよろしく頼む。
やがて別れが訪れるその時まで。
     
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津幡短信vol.83 ~ 迎春準備風景。

2020年12月29日 16時08分37秒 | 津幡短信。
   
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、1本のみ。

【迎春準備の津幡町。】

令和2年も残すところあと3日。
ここ津幡町は2週間前に降った雪もすっかり消え、暫く雨が続いていた。
ようやく晴れ模様となった今朝、久しぶりに愛犬のリードを握り散歩に出かける。
あちらこちらで、来る新年への準備が目に付く。


津幡銀座中央商店街の掲示板に、清水八幡のお知らせが出ていた。
初詣は例年通りのスケジュールながら、全国各地で「分散」が進んでいると聞く。
既にお参りを済ませた方、三が日を過ぎてから参る方も多いらしい。
また、左義長はぜんざいや餅の振る舞いを中止との事。
もちろん、コロナちゃんのせいである。


バー「ソラナム」店頭には、可愛らしい門松。
門松は、正月にやって来る「歳神さま」のご案内目印。
一般的に12月28日に飾るのがいいんだとか。
「八」は、その形状や狂言の演目から末広がりでお目出たい数字とされる。
どうやら、こちらのお店は由緒正しく執り行ったらしい。


お米やギフト品を販売する「勝泉商店」には、来年の干支「丑」の置物が並ぶ。
「丑」という字は、指を曲げて物を握る様子を表す。
つかむとか、からむとかの意を含むため「紐(ひも)」は糸偏に丑と書く。
丑年は“先を急がず物事を着実に進め、将来の成功につなげる”タイミングとか。
コロナ禍の今に、巡り合わせたかのようだ。


和菓子店「加賀藩たかくら」では鏡餅の出荷が最盛期。
昔の鏡--- 丸い形の銅鏡(どうきょう)を模した丸い餅を、
月と太陽、陰と陽の関係になぞらえて二段重ねにした鏡餅。
紅白の組み合わせは、石川県独特だと聞く。
前田家の祖「菅原道真」の故事に倣い紅梅・白梅にちなんだ。
津幡町・倶利伽羅峠の源平合戦(平氏の赤旗・源氏の白旗)がルーツ。
五穀豊穣を願い餅に雑穀を混ぜた。
--- など、由来には諸説アリ。


津幡町役場・新庁舎が完成した。
2年前の夏から始まった工事も予定通り終了。
コロナ禍の中、ご苦労が多かっただろうと察する。
これを機に組織改革も行うとの事だ。

館内では、2021年1月4日からの運用を目指し町職員が準備の真っ最中。
おそらく正月返上になるのではないだろうか?

<津幡短信 vol.83>
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赤いクスリのハナシ。

2020年12月27日 15時22分40秒 | これは昭和と言えるだろう。
      
ここ最近、石川県内では「ドラッグストア戦争」が繰り広げられている。

地場資本の雄は、石川県・白山市(はくさんし)に本社を構える「クスリのアオキ」。
「青木さん」が興した「青木二階堂薬局」に始まり、
薬類に加え、生活用品や飲料、生鮮食品も取り扱うドラッグストアへと業態変化。
今では石川県内~中部・関東・近畿・東北にまでチェーン展開していて、
東京証券取引所第一部に上場する程、大きくなった。

しかし、ライバルが次々と参入。
愛知県の大手ドラッグストア、スギ薬局。
岐阜本社のVドラッグ。
九州を地盤にするコスモス薬品らの店舗も増え、鎬を削る様相になっている。
僕は、業界の事情や商売の仕組みはよく分からないが、
それぞれの会社の方々は大変だろう。
そして大資本攻勢に煽りを食うであろう
「街のクスリ屋さん」のご苦労もいかばかりかと想像する。



画像は「津幡銀座中央商店街」にて撮影。
やや右手の茶色い建物は「クラチ薬局」。
(おそらく)店じまいしたと思われる。
いつも扉は固く閉じたまま。
ショーウインドウ内のディスプレイは取り払われて久しい。
錆びの浮いた「Happy Family Life」の自販機が物悲しさを誘う。



さて、そんな身近な話題に加え、先日、淋しさを覚えるニュースを耳にする。
東京・世田谷区の「三栄製薬」が、
2020年12月25日包装分をもって「赤チン」製造を終了。
国産の歴史に幕が下ろされた。
昭和時代、子供たちのひざやヒジを赤く染めていた薬には、
僕も随分とお世話になった。



正式には「メルブロミン」という有機水銀の化合物。
安価で手軽な消毒薬だが、製造過程で発生する水銀が問題視され、
昭和30~40年代に100社あまりあったメーカーは、年を追う毎に減少していった。
更に昨年、厚生労働大臣が定める医薬品規格基準書「日本薬局方」から削除され、
姿を消すことになったのだという。

赤チン以前、消毒液の主流は「ヨーチン(ヨードチンキ)」。
成分にアルコールが入っていたので、傷口に沁みた。
対する“赤いヨーチン”は、沁みにくく、効き目が穏やかで長時間持続。
広く日本中に流通していたのも今は昔である。

ありがとう、赤チン!
さようなら、赤チン!
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恋する巨匠。~ ベートーベンと女性たち。

2020年12月26日 14時55分00秒 | 手すさびにて候。
      
僕が「津幡中学校」の生徒だった頃、印象に残る音楽教師の話から筆を起こす。

名前は「西尾先生」。
彼は吹奏楽部の顧問でもあった。
同部の校内演奏会での一幕 --- 照明を反射し、ピカピカ光る管楽器が並ぶステージ上、
登壇したセンセイは、口を真一文字に結び、眉間にシワを寄せ真剣そのもの。
視線を落とし、周囲を一瞥もせず中央へ歩み出ると、サッとタクトを構えた。
やや伸び加減でウエーブがかかった髪を振り乱しながら指揮を執る様子を見て、
僕は、音楽室に飾られた“楽聖”の肖像画を連想した。

日頃、クラシック音楽に縁の少ない方にとっても、
「ベートーベン」は覚えがある音楽家の1人ではないだろうか。
巨匠の生年月日は1770年12月16日。
今年は生誕250年の節目にあたる。
コロナ禍でなければ、今頃はもっと盛んに「第九」が歌われていたはずだ。

「ルートビッヒ・ヴァン・ベートーベン」が生まれたのは、ドイツ中西部の町「ボン」。
宮廷歌手「ヨハン」と、母「マリア」の長男として生を受ける。
「モーツァルト」のライバル「アントニオ・サリエリ」に師事し、
熱狂的なスタイルを築き上げ、「モーツァルト」没後、ウィーンのアイドルに。
多くの聴衆が彼に賞賛を惜しまず、貴族夫人や令嬢のピアノ教師として引っ張りだこ。
人気者になった「ベートーベン」を、しかし、苦難が待っていた。

彼が聴力障害を患ったのは、キャリア絶頂期に差し掛かった28歳の頃。 
最初は左、やがて右、10年後には絶え間ない耳鳴に襲われた。
同時に難聴も進行して、45歳頃には完全に聴力を消失。
--- 音楽家にとって致命的に思えるが、ここから本領を発揮する。

元々、他人の作品や評価に影響を受けにくい性格でもあり、
外界の雑音を遮断した事で、己の内なる宇宙と向き合い、
交響曲第3番「英雄」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」など、傑作を完成させた。
“音のない世界”に生きながら、最晩年まで創作の量と質を維持し続けたのは、
やはり強い精神力を備えた、天才ならではのミラクルと言っていい。

そんな、偉業の原動力が恋だったことは、よく知られたエピソードだ。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百六十一弾は「ベートーベンが恋した女たち」。



数多或るピアノ曲で最も有名な作品の1つ「エリーゼのために(LINK有)」。
そのモチーフになったのは、懇意にしていた医者の姪「テレーゼ」。
「ベートーベン」は彼女に求婚したが、
貴族階級との身分違いの恋は成就しなかった。
明るく楽しい雰囲気で始まるも、途中、物悲しく激しく転調する構成は、
叶わぬ思いの吐露なのか?
本来の曲名は「テレーゼのために」。
悪筆で解読不可能などの原因で「エリーゼ」になったという説が有力だ。

また「テレーゼ」の妹、「ヨゼフィーネ」との恋に邁進していた頃の作品が、
交響曲第4番(LINK有)」。
「ヨゼフィーネ」は、出会って程なく27歳年上の伯爵と結婚するが、
お相手はわずか4年足らずで他界。
未亡人になってしまった「ヨゼフィーネ」に宛てて情熱的なラブレターを贈り、
2人は恋人関係に。
「交響曲第4番」は、前後を挟む第3番「英雄」、第5番「運命」に比べ、
何とも穏やかで優しい。
しばらく蜜月が続いたものの、彼女は別の男爵と再婚。
またも、恋は破れてしまうのである。

ピアノソナタ第14番「月光(LINK有)」は、
ピアノを手ほどきしていた伯爵令嬢「ジュリエッタ・グイチャルディ」に捧げられた。
「月光」の題名は、後に詩人が付けたもので、静かな月の夜を思わせる第一楽章を指す。
第二楽章以降は、恋するオトコの胸の内を表すような、激しい舞曲が展開。
静から動、動からテンポアップしていくピアノソナタは、当時画期的だったという。
元々「ベートーベン」は「幻想曲風ソナタ」として発表していることから、
2つの題名を融合させ「月光ソナタ」とも呼ばれる。

この様に「ベートーベン」には、階級社会の時代における身分差、
年齢差(年下)のある女性に熱をあげ、失恋を繰り返した一面がある。
天才は惚れっぽかったのかもしれない。

--- さて、冒頭に書いた「西尾先生」だが、
記憶が正しければ僕の同級生と結婚したはずだ。
確か、彼女は吹奏楽部員ではなかっただろうか。
“津幡中学校のベートーベン”は、教師と生徒という立場の違いを乗り越え、
推定20年余り年下のお嫁さんを射止めたのだ。

その後、どうしているのだろう?
今のセンセイの暮らし向きは、存じ上げない。
     
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