つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その6。

2011年05月09日 22時07分15秒 | さらば、母校よ。
シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は「かつての前庭」である。

画面右、3羽の石の鳩を乗せた校名のプレート台はそのまま。
その奥、隠れているが鯉が泳ぐ池と周囲の木々もそのまま。
画面左、数多の学童達を迎え見守ってきた松の木もそのまま。
しかし、慣れ親しんだ風景は、こんなに空が広くなかった。

津幡町にお住まいの方、縁のある方なら御存じの事と思う。
撮影場所になった大西山には、かつて城があった。

源平合戦の折、平家軍が街道を見下す砦を造ったのがルーツ。
戦国期には「上杉謙信」が陣を取り、七尾城平定の足掛かりになる。
やがて、織田軍団の将「前田利家」の支配下に入り、
加賀と能登を繋ぐ要衝として、重要な役割を果たしてきたが、
太平の世の訪れと共に、廃城。

こうしたプロフィールは、以前の投稿でも書いたとおりである。
そして、昭和生まれの僕にとっては、
旧・津幡小学校こそ、堂々とした城だった。

正面にショベルカーのアームが見える。
手前には、解体現場を遮る塀が見える。
かつて、そこには4階建の校舎が見えた。

 

いつも目にしてきた学び舎が、ついに消えた。
コメント
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