つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

或る日、或る道すがらのワンシーン。

2016年03月27日 22時01分31秒 | 日記
何かが往来するために整備されたところを「道」という。
世界には無数の道が張り巡らされ、絶えず人や物が往き来している。
どんな道でも果たす役割に大きな差異はないが、知名度の格差は実に大きい。

パリの「シャンゼリゼ通り」。
マンハッタンの「ブロードウェイ」。
シカゴ~サンタモニカ間の歴史街道「ルート66」。
ヨーロッパと東洋の交流隊道「シルクロード」。
東京「原宿通り」。
大阪「御堂筋」。
歌や小説、映画などの題材・舞台になった道に比べ、
わが津幡町を走る道に関心を払う人は、著しく限られているだろう。
しかし、僕にとっては大切な存在。
記録と記憶に残したく考え、今回は今朝の散歩ルート…
「石川県道59号高松津幡線」の風景を投稿しようと思う。
石川県 羽咋郡 宝達志水町と河北郡 津幡町 太田を結ぶ主要地方道だ。

@道沿いの風景1「ダイドードリンコ金沢東営業所」。

およそ1年前に現在地に移ってきた同社が、津幡町に拠点を構えている期間は長い。
そのお蔭か、町内には「ダイドー」の自販機が目立つ。
これからの季節、散歩中の喉の渇きを癒す際に重宝する。
個人的には、やや甘みの効いた濃厚なコーヒーが好きだ。
配達車両には、海洋深層水由来のミネラルを添加した水「miu」の広告。

モデルでタレントの「松井愛莉(まつい・あいり)さん」を起用。
可愛らしく笑顔がいいなと思う。

@道沿いの風景2「電波天国」。

アダルトグッズ・コスチュームなどの無人販売所だ。
中に入った事はないが、どんなアイテムが並んでいるのかおよその想像はつく。
多くは語るまい。
黄色いコンテナショップの奥に見えているのは、
随分前に営業を終えた家具類販売店「KAGUYA」の上物。
いつかはこの景色も失われてしまうだろうと思えば、
抜け落ちた電飾看板のうらぶれた演出も伴って哀愁を誘う。

@道沿いの風景3「七尾線」。

道路に並行して真っすぐに伸びる本津幡駅~能瀬駅間の鉄路。
画像右側にあるのが「JR西日本」の「能瀬変電所」だ。
厳重に仕切られたフェンスの看板には次の警告が。
『この中には強い電気が来ていますから危険です。はいらないでください。』(※原文・文字色ママ)
辺りに人家はなく、敷地内には草木一つない。
相当な高電圧が流れているのだろうと想像し身震いする僕の横を、
電車が猛スピードで走りぬけていった。


@道沿いの風景4「名車」。

第二次世界大戦勃発前、悪名高い稀代の独裁者が掲げた「国民車構想」によって、
フォルクスワーゲン・タイプ1(通称:ビートル)が生まれたのは有名な話だ。
巡航速度は時速100キロ程度。
乗車定員は大人3人と子供2人。
エンジンは空冷。
燃費は15リッター/キロメートル。
しかも安価で丈夫。
「フェルディナント・ポルシェ博士」が開発した傑作である。
80年以上昔から基本構造が変わらず、今も現役で走る乗用車を僕は他に知らない。
デザインも秀逸。
名車と言って差し支えないだろう。

…以上、或る春の日の「石川県道59号高松津幡線」のワンシーンでした。
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津幡短信vol.14

2016年03月26日 10時08分39秒 | 津幡短信。
自分の目で見た、津幡町に関するごく短いニュースの不定期通信。
今回はこちら。

【人と野が報せる春。】

本日の津幡町は晴天に恵まれた。
おかげで朝の散歩も清々しい。

曇天の下、雨を気にしながら歩かなくていい。
濡れた路面に足を滑らせる事もない。
降り注ぐ日差しに包まれながら往くのは、いいものだ。
また、其処ここで新しい季節の訪れを告げる景観に出逢うのも嬉しい。

旅館・銭湯・食事・宴会処を営む「勝崎館」の看板には“歓送迎会 花見弁当”の文字。
春である。
更にその傍の空き地には、土筆の群生。

春である。
きっと毎年、同じ頃に同じ様な風景を目にしているのだろうが、
新鮮な思いがするのは、やはり麗らかな空気のお蔭なのだろう。

今から5年前(2011年3月31日)に、土筆を食べた思い出を投稿したが、
眺めているうちに、ふと、初めて口にした時の水っぽい食感が蘇ってきた。

「久しぶりに食べてみようかな」。

そう思った時、一足早く連れ合いが動いた。

土筆畑に鼻を突っ込み、盛んに顔を動かす「りくすけ」。
コイツも春を楽しんでいる。

<津幡短信vol.14>
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I WANT TO HOLD YOUR HAND!

2016年03月21日 21時49分04秒 | 音とアート。
度々参加してきた【gooブログ「お題」投稿】。
本日がキャンペーンの最終日という事で、最後に選んだテーマは、
「ビートルズで好きな曲は?」。

答えはI WANT TO HOLD YOUR HAND

本国・イギリスでは5枚目のシングルだったが、
日本では、昭和39年(1964年)2月5日にデビュー盤として発売された。
つまり、この国とのファーストコンタクトを飾った記念すべきナンバーである。

当時ヒットチャートに登っていたのは、
ああ上野駅/井沢八郎、あゝ青春の胸の血は/舟木一夫、
アンコ椿は恋の花/都はるみ、幸せなら手をたたこう/坂本九。
洋楽でも、アイドルを探せ/シルビィ・バルタン、花はどこへ行った/キングストン・トリオ、
ラスベガス万才/エルビス・プレスリー、シェルブールの雨傘(映画音楽)など。
そんな牧歌的ラインナップの中に、突如、現れたダイナミックなイントロ!
「レノン=マッカートニー」のユニゾンにCLAP(手拍子)を重ねた歌い出し!
美しいハーモニーと、正確で大胆なリズム!
充分に五月蝿く、刺激に溢れたサウンドに与えられた邦題が「抱きしめたい」!
…ラジオから初めて流れた時、
文字通りの「衝撃」だったであろう事は想像に難くない。

それからおよそ3年が経った、昭和41年(1966年)4月27日。
読売新聞の朝刊に、一種の【宣戦布告】が掲載された。
『読売新聞社は、協同企画、中部日本放送と協力して、本年6月、
 現在世界で最も人気のあるボーカルグループ「ザ・ビートルズ」一行4人を招き、
 極東で初めての演奏会を開催する事としました。
 我が国音楽界最大の話題であり、音楽愛好家にとっては、
 まさに千載一遇の機会であります。ご期待下さい。』

この記事をキッカケに、日本がにわかに騒がしくなる。

会場になった日本武道館の外の警備を担当する「警視庁」では、
会議室にレコードを持ち込み、神妙な面持ちで耳を傾けながら、空前の警備計画を練った。
次に、会場内部を任された「消防庁」は、
2階席からメジャーを垂らしてダイブする距離を計る女性ファンを目撃して、決死の覚悟を固めた。
プラチナ・チケットの入手方法は、企業協賛分を除くと、葉書による抽選販売。
主催者は、集った20万人以上の入場希望者の中から、3万人あまりを選出し、
全てのチケットに手作業でナンバリング。
やがて喧騒は、街中からマスコミ、国会へと飛火して、社会現象に発展。
そして、深夜の羽田空港に「ビートルズ」が上陸。
決戦の日がやって来たのだ!

見る側、招く側、両者の戦場になった日本武道館とは、
実は演る側~「ザ・ビートルズ」の4人にとっても同じ意味を持っていた。
過去に彼等が演奏したのは、ヨーロッパとアメリカ、イギリス領・香港など、
「英語を理解する」観客の前だけだった。
来日も初めてなら、言葉の通じない大観衆を相手にするのも未知の領域。
また、宿泊先から会場へ向かう沿道や、客席の最前列に、
自分達をガードする警官隊が直立不動で並ぶ異様な風景は、嫌が上にも不安を煽った。

しかし心配は、程なく取り越し苦労に変わる。
何しろ「ロックンロール・ミュージック」から「アイム・ダウン」まで、
全11曲のステージは、絶叫に包まれたままだったから…。

たった3日間の来日公演以降、二度と訪日は叶わなかった「ビートルズ」。
短くとも、遺したものは絶大だった。
合計5回のパフォーマンスの観客動員は、日本新記録の5万人強。
警備に当たった警官の数はのべ9,000名近く。
実施費用は当時のレートでおよそ1億円。
補導された少年少女は6,500名以上。
どれも過去に例を見ない数字ばかり。
結果、音響、ステージ装飾、チケット販売、警備のやり方など、
現在のエンターテイメントの運営方法の基礎が築かれた。
また、大規模なコンサートが企業の販促に貢献するツールとして認知され、
流通の仕組みにも、新たな一石を投じたのである。

「ビートルズ」が日本に刻んだ103時間は、文字通りのエポックメイキング。
その最初の一歩が「I WANT TO HOLD YOUR HAND」だった。

彼らの登場まで、演奏者自身の手によるソングライティングは稀なケース。
作り手と担い手の分業制が普通だった音楽の現場において、
自作自演のオリジナル・ヒットを連発したのは「ビートルズ」が初めて。
メンバー全員が楽器を演奏しながら歌うというスタイルも、斬新。
また、シングル・リリース中心の音楽市場で、
より芸術性の高いアルバムによる展開を始めたのは「ビートルズ」が元祖。
何もかもが新鮮な驚きに満ちていた。
リバプールの元不良少年達…「ジョン」「ポール」「ジョージ」「リンゴ」は、
ポップミュージックのOSを刷新したと言って過言ではない。
優れた発明・発見によって讃えられる偉人は大勢いるが、
このスーパーグループも、間違いなく同じカテゴリーに分類されるだろう。

そして先ごろ、その扇の要だった人物が鬼籍に入った。
「サー・ジョージ・マーティン」、平成28年(2016年)3月9日没。享年90。

ご冥福を心からお祈りし、拙文の結びとします。
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津幡短信vol.13

2016年03月21日 11時57分56秒 | 津幡短信。
自分の目で見た、津幡町に関するごく短いニュースの不定期通信。
今回はこちら。

【杞憂に終わり、胸を撫で下ろす。】

先月11日の記事「マチの粉モノ見聞録」にて、
津幡町・横浜の「いのうえ」存続を憂慮する投稿をしたが、無事、営業を確認。
昨今流行のスタイル…外カリカリ~中フワフワとは無縁のオールドファッションド。
小麦粉をみっちりと固めた逸品を堪能!
10個でお値段350円也。
別売り1ヶ10円のマヨネーズをのせていただく。

旨し!
満足感・満腹感も良し!
次回は、単価400円の焼きそばを求めようと思っている。
一人前の分量は分からないが、大盛りで僅かに50円増しという良心価格だ。
これからも商いを続けて行って欲しいと、心から切に願っている。
拙ブログをご覧の皆さんも、機会があれば是非足を運んで欲しい。
のれんを構える場所は、津幡町の県道59号線・横浜交差点角だ。


【2つの春の風物詩】


およそ2年前にも、同じイベントについて投稿したが、
春分の日の振り替え休日にあたる本日、
「第24回 つばた健勝マラソン大会」が行われた。

朝早くから、息を切らして路上を走るランナーたちを見送り、
春の訪れを実感した後、井上集落を歩いていると久しぶりの音に気付く。

田起こしの準備を進めるためだろう。
津幡川から引き込まれた水が、側溝をサラサラと流れていた。
これもまた春の風物詩である。

<津幡短信vol.13>
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ここから始まる。

2016年03月20日 12時52分18秒 | 草花
本日(平成28年3月20日)は「春分の日」。
ここを境に昼の長さが夜のそれを凌駕する。
仏教では「彼岸の中日」にあたり、前後3日間・合計7日間が春の彼岸。
「暑さ寒さも彼岸まで」と例えられるように、いよいよ冬に別れを告げ、
本格的な春が、ここから始まる。

北陸の空は雲が多く体感温度はダウン。
今朝は、冬物を身に着けての散歩となったが、
あちこちで開く花々の様子が、季節の変わり目を感じさせてくれた。


<満開の梅の花>


<染井吉野より一足早く咲く、小彼岸>

きのうは全国のトップをきって福岡で染井吉野が開花。
午後には名古屋でも開花宣言。
これから続々と、各地から花の便りが届いてきそう。
ちなみに、金沢の予想は今月末だ。

実は、僕も「サクラサク」の朗報を心待ちにしている。
発信元は「平和島競艇場」。

16日(水)から、明日・21日(月/振休)まで「第51回 ボートレース クラシック」を開催中。
今節に掲げられたキャッチは「決戦の舞台、ここから始まる。」
今年初のSGシリーズなのだ。

本日の終盤3レースは、予選を突破した18人による準優勝戦。
11Rで「毒島 誠」が乗艇する。
黒いカポックをまとっての2号艇ながら、
スタート一撃や鋭角差し抜けの可能性は低くない。
たとえ後手を踏んでも、抜群のターンで2着以内を奪い取れば優勝戦進出。
他の5艇は強豪ぞろいだが、何とか勝ち抜いて欲しい。
そして、明日は歓喜の瞬間を見せて欲しい!
頑張れ、ブス!!
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