つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

よう子とサラと聖少女。~ベロニカは死ぬことにした。

2019年02月26日 08時30分22秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第百五弾は「真木よう子」と「サラ・ミシェルゲラー」。

若さと美しさ、素敵なボーイフレンドたち、堅実な仕事、愛情に溢れた家族。
中欧の小国に生まれた「ベロニカ」は全てを手にしていた。
でも、何かが欠けていた。
ある朝、死ぬことに決め睡眠薬を大量に飲み下す。
しかし、思惑は達成できず、サナトリウムのベッドの上で目を覚ます。
自殺未遂の後遺症により、残り数日となった人生。
狂人たちと過ごすことになった彼女の中で、何かが変わり始める。

ベストセラー小説「ベロニカは死ぬことにした」。
著したのは、ブラジル生まれのコスモポリタン。
世界45ヶ国、500万人以上がページを開いた。
また、2度に亘って銀幕を飾っている。

最初は、極東の島国で映像化。
主演は無名塾出身の「真木よう子」。
彼女の出世作になった。

次は、アメリカ・ニューヨークが舞台。
主演は子役時代からの人気者「サラ・ミシェルゲラー」。
現時点(2019年・2月)では、彼女のキャリア最後の映画主演作である。

「真木よう子」と「サラ・ミシェルゲラー」。
僕は、どちらも好きな女優さん。
なれども、どちらも未鑑賞。
近いうちに拝見したい。

さて、主役の名前は、一人の少女を連想させる。

時は紀元前、ゴルゴダの丘。
「キリスト」が、自身が磔になる十字架を背負い、
よろめきながら石畳の道を登っていた。
荊冠から血が滲み汗に汚れた「キリスト」の顔は、
肩に食い込む十字架の重みから、苦痛と苦悩に歪む。
群衆は、刑吏を怖れて遠まきに見つめていた。
・・・と、その時。
人垣をかき分けて現れた少女が「キリスト」の前に跪き、白い布で顔の血と汗を拭った。
彼女の名前は「ベロニカ」という。

小説の主人公は、狂人に囲まれ死を意識する中で、自慰により「希望」を見出した。
「聖少女」は、傍観者に背を向け勇気と行動を以て、死出の道行きに光を灯した。
同じ名前を与えられた2人の女性のアプローチは、大きく異なる。
しかし、伝えているのは、どちらも「生き甲斐」なのかもしれない。
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津幡短信vol.55

2019年02月24日 07時27分29秒 | 津幡短信。
津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回はコチラの3本。

【梅綻び、犬着飾る。】
先週、春の兆しとして膨らみ始めたコブシの蕾を掲載した。
あれから7日が経った昨日、梅の開花を観止める。

「東風(こち)吹かば思いおこせよ梅の花 主(あるじ)無しとて春な忘れそ」
有名な「菅原道真」が詠った和歌だ。
都落ちを嘆く気持ちを込めたと言われる。
一斉に咲き一斉に散る桜に対し、一輪一輪花開き息長く咲く梅は可憐だ。
早春によく似合う。

そして、もうすぐ春の花の一つに由来する「桃の節句」。
商店街に「犬の雛飾り」が登場した。

度々話題にしている通り、津幡町には「忠犬伝説」があり、
家々や商店の軒先には犬の置物が多い。
その春バージョンだ。

【旧・鍛治商店事務所に後釜。】
津幡町のスーパーマーケット「カジマート」。
かつては、中央銀座商店街に事務所があったが、現在は移転。
跡地に新しい会社が収まった。

株式会社鍛治商店(カジマート)HPによれば、創業は大正初期。
株式会社として船出したのは、昭和26年2月とのこと。
100年企業だ。
ますますのご発展をお祈りします。


【春の行事近付く。】
昭和の時代、津幡町の合併を記念して行われていた「町内一周駅伝」。
平成4年から名称コース等を変えて開催しているのが「つばた健勝マラソン」。
交通規制の案内看板が出ていた。

今年は、春分の日(3月21日)。
春到来を告げる行事である。

<津幡短信vol.55>
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初七日あたり。~平成三十一年・如月。

2019年02月23日 19時13分19秒 | 日記
本日(2月23日)は、祖母が旅立ってから8日目にあたる。
身内だけでしめやかに見送ったのが、何だか遠い昔に思えるから不思議だ。

亡骸を荼毘に付した後、セレモニーホールに戻り食事をいただいた。
ご近所の仕出し屋さん「富久膳(とくぜん)」で用意してもらった御膳。
蕎麦は地元の「倶利伽羅そば」。
刺身蒟蒻、香の物、白和え、天麩羅、炊き合わせ・・・。
どれも美味かった。

さて、通夜当日「庄区 追悼法要」が重なった。
昨年、不幸があった家から遺族達が「庄町振興館」に集い、
揃って故人を偲ぶ。
一種の「合同法要」とも言える。
選挙イヤーだからか?
町長、町議会議員、県議会議員などが来賓。
焼香を済ませ、読経が終わり、一区切り。
帰り際にお土産を頂戴した。

「ちぃーまん」。
「松の実パイ」。
「こがね焼き」。
いずれも和菓子餡と洋風素材の組み合わせ。
久しぶりに口にしたが、どれも美味かった。
製造元は「小泉菓子舗」。
津幡町民には馴染みのお菓子屋さんだ。

今朝、散歩の折に足を向け、商売繁盛を祈った。
コメント (2)
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monotone Journey 4.~LOST WORLD~

2019年02月18日 11時07分41秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第四篇。


拙ブログに度々登場する「津幡城址」。
かつて津幡宿があった旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地「大西山」にある。
津幡城の始まりは、源平合戦・倶利伽羅峠の一戦を前に平家軍が築いた砦とか。
その後、戦国武将「上杉謙信」が陣を張り、加賀藩祖「前田家」が支配し、
「佐々成政」が軍議を開いたという。
それらの遺構・形跡が残っていれば貴重な史料になっただろうが、
津幡小学校旧校舎建築の際、殆どが失われた。
今は、物言わぬ石碑が建つのみ。


地場資本の家具店「KAGUYA」が営業していたのは、20年近く前になるだろうか。
個人的には、CDラックと椅子を購入した事がある。
「寺本家具」の工場が隣接しているから、そこが経営母体と思われるが、
今は、どちらも幕を引いた。


かつて「スペースつばた」というスーパー銭湯があった。
ここも無くなって20年は経つ。
今は駐車所案内看板が残るのみ。
往時は賑わったであろう場所は資材置き場へ転用され、訪れる人影はない。


崩れかけたとある民家の板壁。
建っているのが不思議なくらいの破損度合だ。
今は人の気配はなく、物音一つ聞こえない。
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津幡町、春遠からじ。

2019年02月17日 17時31分08秒 | 日記
太陽の光は、季節によって具合が変わる。
地球と太陽の距離はほゞ一定だが、地表面への照射角度が変化する事で、
光は強くなったり弱くなったり、日照時間も長くなったり短くなったりする。
春は「麗らか」。
夏は「炎暑」。
秋は「清涼」。
冬は「寒冷」。
それぞれ、何となく光の色も違うように思う。

ここ一ヶ月あまりは、雪や氷雨続きで断念してきたが、
ようやく今朝、久方ぶりの散歩が叶った。
愛犬と連れ立って、待望の街歩きに出て間もなく気が付く。

「春の光だ」。

どうやら、冬が終わろうとしているようだ。

その証拠に、コブシの蕾が膨らみ始めている。
麗らかと呼ぶのは憚るものの、
自然は来るシーズンに向け、着々と準備を進めていた。
そして、人も備えに余念がない。

アスファルトの残骸。
冬にダメージを受けたものを剥がしたと思われる。
これもまた、春への営みの一つだ。
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