一昨日、昨日(2024/01/26~27)の2日間、石川県・輪島市を訪問。
令和6年能登半島地震の被災地で避難所設置の業務に従事した。
久しぶりに足を運んだそこは、幾つかの意味で「遠いところ」に感じた。
「距離的・時間的な間遠」。
そもそも能登半島は広い。
日本海側の海岸線で突出する半島としては最も面積が大きく、
金沢-輪島間の距離は100キロを超える。
平時でも車で2時間ほどを要するのだが、到着まで倍以上の時間を費やした。
地震によって道路状況が悪化、所々凹凸やヒビ割れが発生、片側交互通行も。
加えて、季節は冬。
降雪、路面凍結、渋滞が行く手を阻む。
奥能登は一層の遠隔地となり、支援が届き難いのは納得するしかない。
能登半島の奥に進むに従い、空気が重苦しくなってゆく。
上掲2つの画像にある様な「山滑り」や「倒壊家屋」が視界に。
それは間違いなく気の滅入る光景なのだが、まだほんの序章に過ぎなかった。
「遥か遠くに霞んで見えない復旧」。
自然災害から立ち上がる際、人の心理は概ね次のように推移するという。
① 被害の全体像がつかめた
② 不自由な暮らしが当分続くと覚悟した
③ 毎日の生活が落ち着いた
④ もう安全だと思った
⑤ 仕事・学校が元に戻った
⑥ 家計への災害の影響がなくなった
⑦ 住まいの問題が最終的に解決した
⑧ 地域の活動が元に戻った
⑨ 自分が被災者だと意識しなくなった
⑩ 地域の道路が元に戻った
⑪ 地域経済が災害の影響を脱した
発災から1ヶ月が経つ輪島では、まだ①「被害の全体像」を掴み切れていない方も少なくない。
⑪「地域経済が災害の影響を脱した」実感に辿り着くまで、
どれだけの時間がかかるのか想像もつかない。
逆に、これから進む道が遠く困難なことは容易に分かってしまう。
そんな中、いやでも明瞭に浮かび上がるのは②「不自由な暮らしが当分続くと覚悟」。
ほんの短時間の滞在ながら、垣間見た街の人々には笑顔がなかった。
勿論、非常時なのだから致し方ないのは当然だが「無表情」が多く見受けられた。
--- 「ポーカーフェイス」には2つの種類があると思っている。
一つは、野心家の過剰な演出。
一つは、消失がもたらす喪失。
この場合はやはり後者である。
「遠く彼方へ去った記憶」。
この地震で象徴的な存在となったのが「横倒しのビル」と「朝市の焼け跡」だろう。
報道を通じて何度も接してきたのだが、いざ目の当たりにすると衝撃は小さくない。
それは僕の記憶とはあまりに違う。
あまりの変わりように茫然とする。
思い出は、あっという間に遠く彼方へ過ぎ去ってしまったのだ。
設置した避難所のテントが少しでも役に立つことを願う。
---と同時に一日も早く用済みになり、遠い過去になることも祈って止まない。