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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

休止のお知らせ。

2025年04月21日 05時33分33秒 | 日記
                           
拙ブログをご覧の皆様へ

本来なら最新投稿は1週間前に足を運んだ名古屋旅、
「ディープNAGOYA」の続篇のはずだった。
そのための準備も進めていたが、gooブログ終了発表を受けて心変わり。
店じまいが決まった場所の暖簾をくぐる気になれないのだ。

万物流転は世の常。
何事も永遠には続かないし、終わりは(始まりも)いつも突然やって来る。
カイシャが運営しているなら、尚更である。
真に残念だが、責める気にはならない。

ご意見様々あるだろう。
ならば止めてしまおうと考える方もいるだろう。
僕は、新天地へ移住することにする。
データ移行がスムーズにできなかったら、いちから出直すつもりだ。

始まりは、すでに世を去った愛犬との出会いだった。
町の記録。
季節の記録。
自然災害の記録。
個人旅行の記録。
拙いイラストと雑文。
ブログは「僕自身の記録」であり「発露」である。
なくしてしまう気にはならない。
自分の意志で筆を折る「その時」までは続けてゆきたいと考えている。

移住先は改めてお伝えします。
では、また。

令和7年4月21日 りくすけ拝
                        
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サボタージュの終焉。

2025年04月06日 20時00分00秒 | 日記
                        
(2025年)昨年度末~4月一週目まで、僕は忙殺されていた。
朝早くから夜遅くまで仕事に追われ、休む間もない日々が続いた。
記事更新はおろかフォローブログのチェックもままならず、
随分とご無沙汰してしまった。
しかし、何事にも終わりは来る。
ようやくひと心地付けるようになり、こうして投稿を再開。
今後もどうぞよしなに。





サボっている間に季節は春へ。
やゝ肌寒い気温ではあるが、桜(染井吉野)が目を楽しませてくれている。
上記掲載画像は、街中心部の小高い丘「大西山」で撮影。
拙ブログでは何度も紹介しているとおり、ここはわが母校が建っていた地点。
1枚目の背景に写っているのは忠魂碑。
2枚は桜の枝越しの小学校グラウンド。
日曜日だけあって静謐な時間が流れる。
明日・4月7日(月)の入学式を過ぎれば子供たちの元気な声が帰ってくるだろう。



同じ大西山、かつて母校の前庭だった辺りに在るのが「津幡ふるさと歴史館 れきしる」。
館内 民俗資料コーナーでは農期のはじまりに歩調を合わせ、農機具の展示が始まったばかり。
米作りが機械化される以前の農具が並ぶ。
田植えの際に苗の位置を測った木枠。
田起こしに用いたであろう鍬。
水車は用水路から田んぼの灌漑用と推測。
汗を流して作業にあたった先人の苦労が偲ばれる。



失われた水郷地帯では、秋になると収穫した稲を満載した小舟が行き交っていた。
画像が撮影された昭和30年当時、米価は5kgで500円強。
現在の価値に換算すれば6,000円超。
社会情勢による変動はあっただろうが、銀シャリはなかなか安くなかったのである。

---まあ考えてみれば、昔の農家の皆さんは農繁期に休日などなかったであろう。
たかだか1ヶ月程度休みがなかったと不平を言っては、罰があたるというものだ。
                      
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営みは春へと向かう、人も、花も。

2025年03月09日 23時00分00秒 | 日記
                                    
ここ数日は「余寒」と言っていいだろう。
最高気温が一桁を超えるに至らず、屋外では厚手の服が、屋内では暖房が欠かせない。
明日(2025/03/10)は、全国的に春らしい陽気になる予想。
2日ほどで天気は下り坂となるが、来週は二桁の暖かさが望めそうだ。
やゝゆっくりとではあるが、ここ北陸の季節も歩みを進めている。


駐車場の残雪。
アスファルト接地面が濡れているのは融け出している証拠なのだが、
未だ消雪には至っていない。


町から地区ごとに分配された除雪車。
この冬、ずいぶん助けてもらった。
唸りをあげ雪を吹き飛ばす雄姿は忘れられない。


枝から取り外された「雪吊り」。
雪の重さから木々を護る頼もしい縄張りが彼方此方で見受けられたが、
どうやら役目を終えたようだ。





津幡川沿い、護岸で風に揺れる水仙。
日本での名称の由来は、美しい立姿や清々しい香りから仙人を思わせるかららしいが、
原産地はヨーロッパや地中海沿岸。
学名は学名は「ナルキッソス」。
花言葉が「自己愛」。
いわゆる「ナルシスト」がギリシャ神話に由来しているのは有名な話である。

大勢の女性たちに想いを寄せられるも全くなびかず、
冷淡な態度を取り続けた美貌の少年・ナルキッソス。
余りの冷淡ぶりから、ついに命を絶つ者まで現れ、
事態を重く見た女神が、彼に自分しか愛せない呪いをかけた。
水鏡に映った自分の姿に恋したナルキッソスは水を飲むことも忘れ、
やがてやせ細って死んでしまう。
そこに咲いたのが水仙の花なんだとか---。

寒さに負けず凛と咲く水仙。
確かに他とは隔絶した孤高の印象がある。
ともあれ、いち早く春の訪れを予感させてくれる花の1つだ。
                              
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スポーツの未来。

2025年01月19日 21時00分00秒 | 日記
                       
明日から大寒を迎えるのに10℃を超える小春日和の本日(2025/01/19)、
「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」設立10周年記念式典が開催された。
会場は「津幡町文化会館シグナス」大ホール。
1階638席の埋まり具合は6~7割。
僕も観客の1人となる。









集客の呼び水なったのは
「金城 梨紗子(きんじょう・りさこ)」「恒村 友香子(つねむら・ゆかこ)」両氏。
旧姓「川井」姉妹によるトークショーだと思う。
お2人はわが津幡町出身。
小中と地元公立学校に通う傍ら、母がコーチを務めるレスリングクラブで競技を始め、
姉・紗子選手がリオ、東京2大会連続でオリンピック金メダル。
妹・友香子選手も東京大会で金メダルを獲得した。
同会場1階ロビーには、その軌跡と偉業を称える展示もある。



「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」は、平成26年4月に法人格を取得。
町内の地区体育協会7団体、競技団体39団体、
ジュニアスポーツクラブ(教室)34団体が加盟。
平成27年4月からは、指定管理者制度により津幡町総合体育館・津幡町テニスコート・
津幡運動公園・津幡町艇庫の管理運営を行っている。
人口4万に満たない町としては、スポーツが盛んな土地柄と言っていいだろう。
やはり同会場1階、各教室案内チラシ掲示は賑やかなのである。



本日の式典では壇上に於いて町長を筆頭に来賓の挨拶・祝辞があった。
協会の歩みを振り返る中でほゞ共通して繰り返されたキーワードは、
「(日本)社会の変革」と「少子化」。
2025年現在、この町から競技スポーツの舞台で活躍する選手が登場しているのは、
関係各位の尽力の賜。
素直に拍手を贈りたい。
そして、確実に来る高齢社会へ向け、更なる取り組みを期待したい。
                        
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未だ過ぎ去らず。

2024年12月31日 15時15分15秒 | 日記
                             
思えば今年は震災から幕を開けた。
元日夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」である。
度重なる緊急地震速報。
何度も襲い掛かってくる震え。
その度に柱や壁がミシミシと音を立てる---。
怖ろしくて仕方のない時間は、忘れられない記憶だ。
「あの日」から明日で丸一年が経つが、それは「過去」ではない。





わが津幡町から車で20分あまりの内灘町・西荒屋。
能登半島地震では、激しい揺れとともに地下から水や砂が噴き出し、
家は沈み、道路は広範囲で波打ったような状態となった。
応急危険度判定で「危険」と判定された建物も少なくない。
上掲画像は1ヶ月ほど前に撮影したもの。
通行に支障のあった県道は、現在応急復旧工事が完了し「おおむね」平坦になったと聞くが、
元通りとなるまでは道半ばである。

甚大な被害が出た奥能登地域の道路事情も同様。
きのう(2024/12/30)輪島まで足を運んだ際に通った「のと里山海道」は、
ひび割れ・崩落により生じた路面のアップダウンが激しい。
場所によって車の底を擦ってしまうほどだった。
金沢との全面通行は実現したが、すんなりとはいかず不便なまま。
それが、偽りのない実感である。





明日(2025/01/01)、輪島市の「日本航空学園能登空港キャンパス体育館」に於いて
「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨犠牲者追悼式」が催行される。
セレモニーは亡くなってしまった方々へ思いを致す意味で大切。
しかしこれは区切りでも、節目でもない。

奥能登4市町の人口は地震前と比べ7.8%減。
全国平均を大きく上回っている。
特に子育て世帯の流出は深刻だ。
輪島市では小中学生がこの1年間で3割マイナス。
過疎化の加速が懸念される。
1月の地震と9月の豪雨が与えた打撃は大きい。
整備・復旧は前進しているが、復興となると道のりは遠くゴールは見えない。
「あの日」から続く苦闘は、まだ過ぎ去ってなどいないのである。
                      
さて、今回が拙ブログ今年の投稿ラスト。
拙ブログをご覧いただき誠にありがとうございました。
読者諸兄姉におかれては、どうかよい年をお迎えくださいませ。
では、また。

令和6年(2024年)大晦日 りくすけ
                            
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