つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

艶姿“戦国”ナミダ娘。

2023年11月30日 11時30分30秒 | 手すさびにて候。
                               
「彼女」の事を知った時、脳裏に「歌のタイトル」が浮かんだ。



ちょうど40年前、昭和58年(1983年)にヒットした『艶姿ナミダ娘』。
リリース当時のシンセ・サウンドを纏うポップで軽快なアレンジとは裏腹に、
マイナーキーを活用した旋律は、どこか後ろ向きな印象を抱かせる。
歌詞の字面を追ってみよう。

艶姿ナミダ娘 色っポイね
ナミダ娘 色っポイね

夕暮れ抱きあう舗道 みんなが見ている前で
あなたの肩にチョコンと おでこをつけて泣いたの
あなたは淋しくないの? 離れて淋しくないの
Bakaだね 明日また会えるよと 余裕があるのね

ダーリン、ダーリン、ダーリン、My Love 意味深 I Love you(×2)
なぜなの涙がとまらない あなたを見ているだけ

艶姿ナミダ娘 色っポイね
まつ毛もぬれてて 色っポイね

わたしはアヤフヤだけど 少しも迷っていない
恋して抱き合うことは 自然なことと思うの
時々恋人たちは あっさり別れちゃうから
心配事が突然増えて 不安になるのよ


ダーリン、ダーリン、ダーリン、My Love ほどよく I Love you(×2)
心のあらしに体まで 巻き込まれて行きそう

艶姿ナミダ娘 色っポイね
うつむく仕草が 色っポイね


~~~ 後略 ~~~

改めて読んでみると、なかなか仄暗い。

愛に揺れ、恋に悩む女心。
幸せの向うに透けて見える不幸せ。
制御できない運命に翻弄されそうな不安。
取り分け赤い文字で表記した箇所は“美貌のおんな城主”に重なるかもしれない。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三十一弾「お艶の方」。



戦国時代に活躍したのは、猛々しい武将ばかりではない。
男たちを支えた妻や娘・「姫」が果たした役割も大きい。
彼女たちは、歴史に咲く花として語り継がれる存在だが、
過酷な運命を背負ってしまうケースは、珍しくなかった。

「艶」もその一人である。

誕生は、乱世の只中・天文年間(西暦1500年代半ば)。
父親は、あの「織田 信長」の祖父
つまり、彼女は“魔王”とほゞ同年代の叔母にあたる。
また、織田一族の姫の系譜を継ぐ眉目秀麗だったとか。

室町幕府の力が弱まると、各地に新興勢力(戦国大名)が台頭。
彼らは領土拡大、あるいは領地防衛などの為に他国と連携を図る必要が生じる。
その道具として用いられたのが「結婚」。
大名家の子女に当人の自由意思はなく、
家の政略・戦略に基づき、同盟の証として人質という名のお嫁さんになった。

「艶」の最初のお相手は信長の盟友“美濃のマムシ”「斉藤道三」の家臣。
しかし、道三の死後、時勢が変わり斎藤家は信長によって滅ぼされ、彼女の夫は戦死。
2度目の結婚は、実名不詳の織田家臣。
だが、これも死別。
3度目に嫁いだのが鎌倉時代から続く豪族「遠山景任(とおやま・かげとう)」。
美濃国・恵那郡(現:岐阜県・恵那市)の「岩村城」城主である。
複数の勢力がせめぎ合い境を接する地を治める遠山氏にすれば、
“甲斐の虎”「武田信玄」の圧力を削ぐため。
信長にすれば、武田をけん制するため。
互いの利害を一致させる縁結びだった。


(※岩村藩 藩主邸/再現_りくすけ撮影)

ようやく名のある武家に輿入れした「艶」だったが、またも幸せは長く続かない。
夫の病没によって、婚姻関係は10年あまりでピリオド。
子宝にも恵まれなかった。
ならばと信長が動く。
遠山家の実効支配を目論み、自らのまだ幼い五男を養子に据えた。
実際の采配は、未亡人「艶」が振ることに。
---“おんな城主”の誕生である。

それからわずか2ヶ月後、早くも危機が訪れた。
信玄が西上作戦を開始。
織田・徳川との対決、上洛も睨んだ多方面大規模侵攻の矛先は岩村城にも向き、
武田軍の将「秋山虎繁(あきやま・とらしげ)」率いる数千の軍勢が包囲。
「艶」は甲冑を身に付け、大小を帯びて指揮を執ったという。
兵力のうえでは圧倒的に不利。
頼りにした信長は、対抗勢力と対峙し武田本隊に備える必要から手一杯。
戦の趨勢は明らかになり、降伏が呼び掛けられた。

『武田に降(くだ)られよ。さすれば、皆のお命お救い申す』

致し方なし。
代わりに首を差し出す覚悟を決めた「艶」だったが、後に続く言葉に耳を疑った。

『そなたは誰のために城を守り、誰のために生きておるのか。
 もう誰かのためはやめ、己の幸せのために生きるがよい。
 どうだろう、これよりの行く末は某(それがし)に預けてはくれまいか』

いわばプロポーズである。
固く閉ざされていた城門が開き、約束どおり兵も民も信長の子も死を免れ、
「艶」は敵将と祝言を挙げた。

--- これに、信長は激怒したという。
織田の姫君と城を奪い取った秋山。
秋山と結婚し武田に寝返った叔母。
2人に対し憎悪を募らせるのだった。

やがて、西上作戦の途上、最強のライバル“甲斐の虎”が倒れ、復讐の時が満ちる。
鉄砲三段打ちで有名な「長篠の戦い」で武田騎馬軍団を破り、天下統一へ踏み出す。
手始めの1つが岩村攻め。
再び城は大軍によって包囲された。

織田方を率いる信長の嫡男「信忠(のぶただ)」が選択したのは兵糧攻め。
各方面の補給路を断ち、城内を飢餓状態に陥らせる。
籠城側は窮地を脱しようと打って出るも返り討ちに。
大将格20人以上、兵1/3以上を失い戦意喪失、白旗を掲げた。


(※岩村城址/本丸 六段壁_りくすけ撮影)

大叔母(お艶)の口添えが功を奏したのか、大甥(信忠)は助命の嘆願を快諾。
ところが本陣に招き入れた途端、掌を返す。
縄をかけ拘束すると有無を言わさず岐阜へ連行。
長良川の河原で待っていたのは「磔(はりつけ)台」。
2人は逆さ吊りにされた。

重力に引っ張られた内臓が、肺が、心臓が悲鳴を上げる。
逆流した血の圧力により、視界が霞み、脳の血管が破裂。
呼吸が困難になり、意識が混濁する。
艱難辛苦から解放されるまで三日三晩を要した。
絶命の際「艶」は心中の恨みを吐露。

『おのれ信長、いずれ非道の報いを受けよ!』

彼女の声が岐阜城の天守から睥睨する人物の耳に届いたかどうかは分からないが、
予言は的中する。
7年後---“魔王”は本能寺で紅蓮の炎に焼かれた。
                               
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悲喜交々。

2023年11月27日 09時46分46秒 | 賭けたり競ったり
                       
きのう(2023/11/26)福井県 坂井市 三国町の「三国競艇場」に於いて、
「SG第26回チャレンジカップ」優勝戦が行われた。
年末の大一番「グランプリ」への出場をかけた最終トライアル競走で、
1月1日から10月31日迄の獲得賞金上位者34名が参戦。
5日間の激闘を生き抜き、最後の6ピットは以下のメンバーが陣取った。

1号艇:片岡雅裕(香川)
2号艇:池田浩二(愛知)
3号艇:峰 竜太(佐賀)
4号艇:今垣光太郎(福井)
5号艇:山口 剛(広島)
6号艇:茅原悠紀(岡山)

僕は4号艇を駆る地元・福井支部の金看板にして大ベテラン、
“北陸の蒼き狼”の1着に銭を張った。



『たぶん(年齢的に)ボクが三国で走る最後のSG。
 今まで〝大会を盛り上げられたらいい〟という気持ちで走っていたけど、
 今回は〝優勝かそれ以外か〟のつもり。優勝を意識して走ります!』

戦前、そう語っていた彼の一撃に期待したのである。
しかし--- 。



本番で痛恨のピット離れ失敗。
本来は、赤と黄色の間に入らねばならないが、
他艇に出し抜かれ最も外の位置からスタート体制に侵入。
ダッシュで伸びるパンチ力をつけようと調整した結果、出足が失われてしまった。







回り直して何とか4コースは確保したものの、
助走距離の短いスローになってしまっては、攻撃力半減以下。
さらに、出足がないためスタートは5番手。
ファーストターンを周った直後、あっという間に差を付けられ
見せ場すら作れないまま最下位の6着に終わった。



優勝は1号艇の「片岡」。
レース内容としては文句なしのイン逃げ完勝。
自身2度目のSG制覇だ、おめでとう!
優勝賞金3400万円を加算して、年間ランキング31位から10位にジャンプアップ。
文字通りチャレンジを実らせ「グランプリ」への切符を手にした。
(※日本一決定戦・グランプリは年間賞金1位~18位が対象)

実は敗れた「今垣」も下剋上。
優勝戦への進出で加算した賞金年間ランキングは、戦前の21位から17位に浮上。
グランプリ出場は決めたものの、笑顔は見せなかった。
それほどまでに、この三国SGの優勝に懸けていたのだ。



さて、今節はもう一つ女子レーサーたちの戦いが並行開催されていた。
「GⅡ第10回レディースチャレンジカップ」である。
女子年間賞金ランク上位20人が対象。
こちらの優勝戦組合せは以下の通り。

1号艇:守屋美穂(岡山)
2号艇:三浦永理(静岡)
3号艇:長嶋万記(静岡)
4号艇:遠藤エミ(滋賀)
5号艇:藤原菜希(東京)
6号艇:西橋奈未(福井)

個人的には、メンバー内の最若手、6号艇を駆る「西橋」に期待した。
前述「今垣」同様、地元ビッグレースの舞台で連日奮闘。
並みいる女傑たちを押しのけて優勝戦に舳先を進めた。
しかし---。



こちらも空振り。
上掲画像下部、赤い丸で囲った緑の選手がファーストターン時の「西橋」。
画像上部の上位陣とは大きく差が開いている。
逆転は不可能だった。
だが最後まで諦めず攻めに攻め、4着でゴールイン。
意地を見せ、自身の未来に糧となる頑張りを見せてくれた。





勝ったのは3号艇の「長嶋」。
3コースから、1号艇と2号艇の間を割る素晴らしい切れ味の「捲り差し」を決めた。
お見事!
おめでとう!

悲喜交々。
涙と笑顔が交錯した今節が終わり、いよいよ来月、大舞台の幕が上がる。
令和6年(2023年)の王様は、女王様は、誰だ?!
                           
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蒼き狼の咆哮。

2023年11月26日 07時30分30秒 | 賭けたり競ったり
                             
「三国競艇場」の場所は福井県 坂井市 三国町。
全国の競艇場は24を数えるが、北陸及び本州日本海側では、ここが唯一。



開設は、昭和28年(1953年)春。
当初は九頭竜川(くずりゅうがわ)河口にあったが諸般の事情により移転。
昭和43年(1968年)夏から現在地でレースを開催している。
あまりビッグレースには縁がない「三国競艇」だが、今(2023/11/26)、
久々に賞金カテゴリー最上位のSG(スペシャルグレード)競争が行われている。



「SG第26回チャレンジカップ」。
年末の大一番「グランプリ」への出場をかけた最終トライアル競走で、
1月1日から10月31日迄の獲得賞金上位者34名が参戦。
優勝賞金は3400万円。
第17回大会からは、女子レーサーを対象として新設された
「レディースチャレンジカップ」と並行開催されている。

--- 正直、僕は現地に行かないつもりでいた。
今節初日の第10レースに於いて、エールを送るレーサー
「毒島誠(ぶすじま・まこと)」がフライングに散ったからだ。

舟の動力となる「モーター(エンジン)」は、毎節、抽選で決まる。
くじ運の悪い「毒島」には珍しくエース機を引き当てたが、強力パワーが仇になった。
規定タイミング(1秒以内)より早くスタートラインを跨いでしまい失格。
彼は賞典除外となり優勝の目が消えた。

ともかく、個人的には早々に応援しがいが無くなってしまった格好。
傍観に徹していたのだが、観戦を続けるうち次第に心を動かされ始めた。





「今垣光太郎(いまがき・こうたろう)」と「西橋奈未(にしはし・なみ)」。
いずれも地元・福井支部所属。
三国では久々のSGレースを盛り上げようと、連日「熱い走り」を披露。
特に「今垣」が必死に頑張る姿に胸を打たれる。
彼は、これまで9度のSG優勝をはじめ数々のビッグタイトルを手にしてきたが、
年齢を重ね、動体視力や筋力の衰えもあってか、ここ数年は栄冠から遠ざかっていた。
しかし、おそらく自身現役最後となる地元SGにあたり、54歳の大ベテランが奮闘。
堂々の予選トップ通過を果たし、きのう(2023/11/25)準優勝戦を迎えた。

コレは足を運ばねばならない。
現地で声援を送る価値がある。
そう考え「三国競艇場」へ車を走らせたのである。



流石にSG。
大勢のファンが詰めかけていた。
僕もその1人となり、まずは「毒島」の負け戦に投票。
6号艇から出送して2着となり、わが舟券は紙屑となる。
しかし、本当に「いい動き」をしていた。
勇み足がなかったら好成績の可能性が高く、誠に残念である。



さて「今垣」が1号艇に陣取る準優勝戦だが、波乱になった。
三国の金看板が、まさかのスタートドカ遅れ。





上掲画像・赤丸で囲ったのが「今垣」。
これでは万事休す。
4号艇の飛沫を拝し2番目でゴールイン。
何とか優勝戦には舳先を進めたが、ポールポジションを獲れなかった。
戦い後のインタビューでは、声を震わせながら言葉を絞り出した。

『三国に育ててもらったのでF(フライング)を切るわけにはいかない。
 スタートで遅れたのが全て。ファンの人に申し訳ない』

人気を一身に浴びながら期待に応えることができなかった。
それでもSG最年長優勝記録(52歳7カ月)を地元で達成する望みはつながった。
今夕(2023/11/26)の12R優勝戦メンバーは以下の通り。

1号艇:片岡雅裕(香川)
2号艇:池田浩二(愛知)
3号艇:峰 竜太(佐賀)
4号艇:今垣光太郎(福井)
5号艇:山口 剛(広島)
6号艇:茅原悠紀(岡山)

「今垣」の乗艇色はBLUE。
“北陸の蒼き狼”が、渾身の一撃を狙う!


                             
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津幡短信vol.117. ~ 令和五年 立冬。

2023年11月18日 22時22分22秒 | 津幡短信。
                            
季節は足早に駆けつけた。
立冬を迎えてから10日あまりが経ち、空は厚い雲に覆われている。
雷鳴が轟き、冷たい雨、霰(あられ)が地面を打つ。
北陸はようやく冬になったらしい。
そんな昨今の津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は以下の2本。
                               
【準備着々。】
                   


わが津幡町では、令和5年(2023年)12月4日(月)より、
新しい公共交通「のるーと津幡」がスタートする。

■時刻表がない予約型で、乗りたいときに予約できる乗り合いバスサービス
■利用者がスマホアプリや電話で出発地・目的地を申し込む
■指定された近くの停留所で乗車(これまでのバス停より多い停留所)
■目的地などに応じてAI(人工知能)が選択した最適なルートで運行
--- との事。
運行エリアは、主に町内中心部。
運賃(エリア内なら一律)大人200円。
専用スマートフォンアプリから、または、電話予約も可能。
始まったら、利用してみたいと考えている。



現在、津幡町内で今年1年間に起こった出来事の中から、10大ニュースを募集中。
津幡町電子申請サービス、または町内投票所で規定用紙を投函。
上掲画像では分かりにくいかもしれないが、個人的には以下に投票。

■10:記録的な大雨を観測「町内に大雨被害 初の線状降水帯」
■11:津幡町の関取誕生!「大の里 新十両昇進」
■19:記念式典で節目祝う「津幡小学校創立150周年・津幡高校創立100周年」

応募者全員の中から抽選で20人に、
町内加盟店で利用できる「ドレミファお買い物券1000円分」を進呈。
受付〆切は11月30日(木)である。

【戦々恐々。】



熊による人的被害が多く報告されている。
わが石川県でも他人ごとではない。
耕作放棄などにより熊の生息範囲が広がり、
熊と人との距離が接近しているのは、20年ほど前から指摘されてきた。
また、狩人が減り、生息数自体も増えているという。

世界には8種類の熊がいる。
日本国内には北海道のヒグマ、本州以南にツキノワグマの2種類が生息。
彼らの力が人間の比でないのは、言うまでもないだろう。





最近読んでいる小説---
「吉村 昭(よしむら・あきら)」著「羆嵐(くまあらし)」。
大正4年(1915年)に北海道で実際に起こった事件がモデル。
人肉の味を覚えた巨大な人食いヒグマが巻き起こした惨劇を、リアルに描いている。
ページを繰ると身の毛がよだち、野生獣の脅威を思い知る。
同時に野生獣にとっての脅威は、武器を持つ人間だと改めて思う。

熊の駆除に異議を唱えるご意見を耳にするが、
いざ対峙する間柄になれば、それは無責任と言わざるを得ない。
何にせよ、一刻も早く冬眠期に入って欲しいものだ。
                         
<津幡短信 vol.117>
                      
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津幡町、戦時下の記録。

2023年11月15日 23時23分23秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                      


2023年10月7日の投稿で取り上げたとおり「津幡ふるさと歴史館 れきしる」にて、
企画展「津幡小学校創立150周年記念 ヒストリー展」が開催中。

明治6年(1873年)の創立以来、小学校を取り巻く時代背景と、
校舎をはじめとした環境の変化による学校生活の移り変わりを諦観できる。
写真や教科書など多くの資料が展示され、なかなかの盛況と聞いた。
来館者は同校ゆかりの方が多く、昔の卒業アルバムなどに目を通し、
自分が通学した当時を振り返りながら話に花が咲いているとの事だ。

館内では、大型モニターのスライド上映に合わせ、拙作音声プログラムもリピート再生。
耳を傾けてもらえたら嬉しい限りである。
(津幡小学校HPでも聴取可能:https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/tsubae/



さて、今企画展はロングランだけに少しづつ充実を図っている。
先日お邪魔したところ「戦時体制時の写真」と題したコーナーが新設。
一番上に掲示されているのは、昭和16年12月8日に発表された詔書、
いわゆる対米英「開戦の詔(みことのり)」だ。



『天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ
 昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
 朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス---』

僕は、印刷全文を目にしたのは初めて。
文字通りの「史料」である。



津幡小学校木造校舎前で撮影された「大日本国防婦人会津幡町分会」の集合写真。

「大日本国防婦人会」の起こりは大阪。
一般の主婦たちが、出征兵士らにお茶を振舞い接待したのが始まりとか。
“国防は台所から”のスローガンを掲げ、全国へ拡大。
出征兵士の見送り、留守家族の支援、傷病兵や遺骨の出迎え
慰問袋(※)の調達と発送、兵営や陸軍病院での洗濯、防空演習などを行った。
銃後で戦争を支えた格好だが、見方を変えれば女性たちに「家」以外の居場所ができ、
社会活動へ参加する最初の一歩になったと言えなくもない。

※慰問袋
戦地の兵士を励ますため内地の家族や知人が送る慰問品を詰めた袋。
日露戦争中に始まり当初は特定の相手に送ったが、
太平洋戦争時には不特定の兵士宛てになる。



陸軍病院慰問の記念写真。
傷病兵のベッドが並ぶ病室で、歌の披露でもしたのだろうか?
戦時に於ける少年少女の風景の1つだ。

これら貴重な記録は、津幡小学校が積み重ねた150年の時間の中に、
今では思いもよらぬシーンがあった証である。
是非「れきしる」へ足を運び、じっくりと眺め思案してみてはいかがだろう。
「津幡小学校創立150周年記念 ヒストリー展」の会期は、
2023年12月17日・日曜日までである。
                      
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