つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

雪に支配された津幡町。

2011年01月31日 08時19分02秒 | 日記
大雪である。

生活に大きな支障を及ぼし、人命にも関わるほどの雪の量。
自宅前の雪すかしは昨日から4回に渡っている。
その行為は文字通り「賺す」のみ。
膨大に積った雪のご機嫌を伺いながら、
とりあえず横へ退いていただいているに過ぎない。
勿論、それにも限界がある。
ゼーゼーと息を荒げて賺すたび、大きくなる雪山。
その上にも雪は容赦なく降り積もり、
人の体のサイズで積み上げるのは難しい程の高さになってきた。

「今日の一枚」は、津幡の市街地より標高の高い、
緑が丘団地へのアクセス道路。
…ちなみに、夏の終わりは、こうだった。

角度や撮影場所は違うが、見比べてみると…
雪がいかに景観を変えてしまうか、いかに影響を与えるかを
改めて考えさせられる。

明日以降は寒さも緩むとの予報も出ている。
気温が上がり、雪が融けてくれないと根本的な解決にはならない。
雪との戦いを早く終わりにしたいと、切に願う。
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津幡中央銀座商店街~失われた世界②

2011年01月30日 13時41分11秒 | 日記
きのう投降した建物と同じ道沿い。
ほんの少し金沢方面へ移動して撮影したのが「今日の一枚」。
中央の立派な門は、江戸期に宿場町だった頃の名残りである。

かつて、この辺りには旅籠や商家が沿道に軒を並べていた。
大崎屋、越中屋、河合屋、米屋、西嶋屋、八尾屋などの大店である。
ちなみに、傍には藩の年貢を収納した蔵もあり、
津幡川⇒河北潟を抜け、舟によって運搬されていたそうだ。
大西山の津幡城から延びるそこは、往時の目抜き通りといったところか。

…やがて、昭和に入り、それらは姿を変え、
町民の生活に欠かせない場所になる。
向って門の左手には「農協」が、
右手には「電信電話公社」が居を構えた。
奥に写っている鉄塔は、通信用のアンテナだ。
…しかし、平成になってしばらくすると、それらは姿を消す。
どちらも時流の変化と組織替えに伴って、統廃合さたのである。
ごく最近になって写真にあるとおりシートが被せられ、
何やら工事が始まったらしい。

…近い将来、また記憶の中の風景が消える事になるのだろう。
せめて風雪を耐えている、門戸は残って欲しい。

僕の知らない“失われた津幡”を見つめてきた門構え。
僕がこの世を去った後も、変わらぬ居住いでいて欲しい。
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津幡中央銀座商店街~失われた世界。

2011年01月29日 12時02分55秒 | 日記
何度か書き記している通り、ブログ開設の動機の1つが、
「失われていく記憶の中の風景」を記録するため。
昨年の5月12日、ブログの初投稿で僕はこう書いた。
『ドンパッチの感動を与えてくれた駄菓子屋だって跡形もない。』
その駄菓子屋が「今日の一枚」…おやど橋の袂に佇む建物である。

実際は“跡形もない”訳ではない。
店舗として営業はしていないが、器としては残っている。
…しかし、どうしても店の名前が思い出せないのだ。
建物にも痕跡が見当たらない。
ガラス戸や出入り口の鴨居辺りに、名残があってもよさそうなものだが、
キレイに取り除かれてしまっている。
目に見える風景なのに、正体が分からない。
大きな喪失感を覚え“跡形もない”と表現した。

ただ、ここで過ごした事はそれなりに覚えている。
お菓子や雑誌、ガチャガチャなどが揃った、子供の憩いの場だった。
特に記憶に深く刻まれているのが…「ドンパッチ」である。

70年代末、味の素から発売されたお菓子…「ドンパッチ」。
官製ハガキを少し小さくしたサイズの袋に入っていた。
パッケージは鮮やかな原色で、全身が弾けたキャラクターが描かれていた。
袋の中には、ザラメのような不揃いの飴。
口に入れると…パチパチ! 次第にバチ!バチ!バチッ!!
音を立てながら弾けながら溶ける。
ドンパッチには、炭酸ガスを仕込んだ小さな空洞があり、
唾液で飴が溶けた時にガスが解放され、刺激をもたらす。

いや、あれは刺激以上の感覚。
まとまった量を口に放り込んだ時、
火花が散るようなそれは「痛み」と呼んでいいレベルだった。
味わいはオレンジやレモン、コーラ。
間違いなく無果汁の平坦なケミカルテイスト。
とにかく、凄いお菓子だった。

30年以上が経つ今も忘れられない「ドンパッチ」。
だが、早々と販売中止になったらしく、もう口にすることはできない。
また、お店そのものも無くなってしまった。
そして初めて「ドンパッチ」を食べたメモリアルな場所なのに、
肝心の名前が思い出せない。
…ここは三重の意味で、僕にとっての「ロストワールド」だ。
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津幡中央銀座商店街~役目を終えた市場。

2011年01月28日 10時14分35秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡中央銀座商店街にある「元・カジマート中央店」。
画面左側、段ボール箱が積まれた奥、
車の左手の壁には「野菜」の文字。
ここが、かつて店舗だった事が分かる。
そして、かつては近隣で唯一の複合小売店だった。

昭和40年代…カジマート中央店は、連日の大繁盛。
その賑わいの中に、時折、僕もいた。

目線近くを行き交うのは、主婦たちが手にした買い物カゴの群れ。
辺りに響く笑い声。
世間話の言葉の応酬。
威勢のいい売り子の掛け声。
出来立ての惣菜の香り。
心躍るお菓子売り場。
コーナーに立つ販売員の勧誘。

その空間に身を置くと、僕の目や耳に鼻に、色んな情報が一度に飛び込んでくる。
また、まだマイカーが珍しかった頃。
歩道には、何台もの自転車が並び、
時折チリンチリンと鳴る自転車のベルの音も聞こえた。
雑多でパワフル。
まさに市場の「喧噪」だった。

…しかし、今流れる時間は「静寂」。
人々の交通手段は自動車になり、買い物の拠点は郊外へ移転。
役目を終えた「元・カジマート中央店」を訪れる者は、いない。
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津幡中央銀座商店街~ショーウインドウの時間の流れ。

2011年01月27日 23時13分28秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡中央銀座商店街にある「靴のオクガワ」。
立地場所は、津幡市街地の中心部にあたる「四つ角」の交差点。
画面右奥へ進めば「おやど橋」が架かっている。
ここのところ、ずっと雪景色の中で暮らしているせいだろうか…?
この店で「ゴム長」を買った事を思い出した。

70年代当時は「男=黒」「女=赤」。
有無を言わさないワン&オンリーな配色だ。
丈は脛辺りでストップ。
ずん胴の円筒形が定番である。
足を入れる部分に地味な色合いの化繊の「縁飾り」が付いていたり、
雪の侵入を防ぐため、布製の覆いを備えていた。
キャラクターモノなら、多少のカラーバリエーションもあったが、
買ってもらえなかったので、僕が履くのはスタンダードタイプばかり。
今と比べると簡素ではあるが、
やはり新品のゴム長に足を通すのは嬉しかった。

…だが時代の流れは、ゴム長から冬の主役の座を奪う。
「スノトレ」の登場である。

スノトレ…即ち「スノートレーシューズ」。
丈夫で適度な重量を備えた、雪道用の靴だ。
デザインはスニーカー的なポップ仕様。
雪道や凍結路面を歩く時に、重心が低く便利。
靴底の凹凸も深く、パウダースノーや凍結路面をしっかり噛む。
何より、ゴム長より洒落ていた。
当時は、エナメル製の素材が使われることが多く、印象はピカピカ。
対するゴム長はテカテカ。…野暮ったく思えたものである。
「靴のオクガワ」でもスノトレ売り場が広がり、
ゴム長の居場所は制限されてた。

しかし先日、店頭を覗いて分かったのだが、今では立場が逆転。
スノトレのスペースは…狭い。
近年の「ゴム長」躍進は目覚ましく、カラフルになった。
イエロー、ブルー、レッド、ピンク、グリーン、
まるで戦隊ヒーローの如き多彩さである。
また、丈もロングになった。
ひざ下近くまであって、フォルムも細身である。
ずい分とスタイリッシュになった。
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