つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の土から、筆伸びる。

2011年03月31日 23時07分03秒 | 自然
あと1時間程で4月の幕が開く。
この新年度は、心に「澱」が溜まったようで釈然としない。
反面、理由はハッキリしている。
日本の歴史に「3・11」として刻まれるであろう「東日本大震災」だ。

多くの血が流れた。
重い負債を背負った。
心に落ちた影は濃い。
しかし、時は止まらない。
どれほど哀しみに暮れようとも季節は巡る。
例えば「今日の一枚」…「土筆」である。

今朝の散歩中、津幡の大地から雄々しく伸びた姿を発見し、
子供の頃、土筆を食べた記憶が甦った。
あれは、一体何で知ったのだろう?
正確には覚えていないのだが
『どうやら食べられるらしい』と聞いた小学生当時の僕は、
校舎の裏で、沢山の土筆を集めて帰宅。
母親に「天ぷら」と「おひたし」にしてもらって口に運んだ。
妙に“水っぽかった”のを覚えている。

取り立てて不味い訳ではない。
…が、しかし特に美味い訳でもない。
…が、しかし今しか食べられない。
それは大地の恵みであり、春の味だ。

敢えて言おう。
心機一転、明日から春の味わいを楽しもうではないか。
経済停滞に歯止めをかけるために!
「りくすけ」も来る春へ気合十分。
散歩に意欲満々で激しく身震いしている(笑)。
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津幡町の路上で感じた「死生観」。

2011年03月30日 23時50分39秒 | 日記
撮り貯めた画像を整理していたら「今日の一枚」が目に留まった。
撮影したのは、去年の夏の終わり。
シャッターを切った場所は、散歩途中の路上である。

暫く滞っていた当ブログの更新を再開した3月25日。
東日本大震災を受けて…
『これから自分はどう行動するか。
 何をして生き、命をどう使うのか。
 瑣末な事から大局…アイデンティティや死生観に至るまで、
 想いを巡らせずにはいられない。』
…と投稿した。
そんな心境の今、この画像はクッキリと「死」の姿を見せてくれた。
だから、目に留まったのだろう。

自分の記憶の中を振り返ってみると、
昔から僕は、よくこうしたシーンを観察してきたように思う。
例えば、バッタを貪るカマキリ。
あるいは、瀕死のネズミを弄ぶ猫。
それから、和金に食らいついたピラニア。

自然は残酷で容赦のない弱肉強食にも思えるが、
視点を変えれば別の姿が浮かび上がってくる。

これは蝉の骸が蟻へと「命のバトン」を渡しているところである。

そう思えば、尊い「儀式」にも見えてくるから不思議だ。
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「別れの春」を津幡で傍受。

2011年03月29日 23時55分43秒 | 日記
「今日の一枚」の撮影場所は「弘願寺」裏。

おやど橋から白鳥橋へ。
カーブを描く津幡川に沿った路上でシャッターを切った。
写真奥、寒桜の向こう。
「小屋」と呼んでもいいサイズの犬舎から顔を覗かせた
大型犬の姿が判別できるだろうか?
この犬、ここを通る度に、毎回よく吠える。
バリトン並みの低音で、ウォン!ウォン!ウォン!!
分かっていても、最初の一吠えはドキリとするほど辺りに響く大音量だ。

しかし、もしもある日突然、吠え声を聞かなくなったとしたら…。
それはそれで、物足りなく感じるだろう。
当たり前に存在した何かがなくなるというのは、寂しいものだ。

今日、愛聴している民放FMラジオから、
当たり前に存在していた声が消えた。
寂寞を覚える。

以前から告知はされていたのだが、ある女性パーソナリティが
今年度をもって卒業。
そのラストオンエアがあった。
彼女は大変な「頑張り屋さん」である。
精力的に取材に出向き、足で稼いだサウンド(ボイス)を届けてくれた。
毎回、一生懸命。
時に情熱が空回りするシーンもご愛敬。
毎回、楽しく拝聴してきた。

放送の最後には、先輩、同僚のパーソナリティが入れ替わり立ち替わり登場。
彼女へはなむけの言葉と音楽を贈る様子は、
彼女がいかに愛されていたかの証し。
まさに「惜別」である。

惜しまれて分かれるのは幸せな事だ。
「さよなら」は「左様なら」。
別れることは辛いけど、仕方がないんだ君のため。

心を込めてサヨナラ…「まるる」。

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時を乗せて、津幡の鉄路を列車が走る。

2011年03月28日 07時52分52秒 | 鉄道
東日本大震災が発生した3月11日、1つの歴史が幕を閉じた。
1964年の国鉄時代から、関西と北陸を結んでいた特急列車「雷鳥」が、
ダイヤ改正で姿を消したのだ。
JR西日本は、地震の物理的・心理的影響を踏まえ、
本来、11日夜にラストランを迎えるにあたり
金沢駅と富山駅で予定していた記念式典を中止。
注目度を大きく下げての千秋楽となったが、これも運命である。

ピーク時には1日に20往復するなど
花形特急として長年愛された「雷鳥」に代わり、
現在の主役を担っているのが「今日の一枚」…「サンダーバード」だ。

撮影場所は、本津幡駅⇒能瀬駅間のレール上。
路線終着の和倉温泉駅を目指す途上。
この電車の走行音は、七尾線の他の車両のそれとは、明らかに違う。
やはり、より大きく、より速さを感じる。

「雷鳥」と「サンダーバード」。
名前に共通する要素はあるが、異なるマシーン。
それは「昭和」と「平成」。
時代の違いと言えるかもしれない。

僕は、どちらにも乗った経験がある。
熱心な鉄道好きではないため、専門的・歴史的に両者を比べる術を知らない。
ただ乗り心地の良さ、スピード、デザインなど、
感覚の差、時の流れは理解できる。

やがて遠くない将来、
「北陸新幹線」が開通した暁には「らいちょう」の名が復活して欲しいと願う。
それなりに思い入れのある名称であるから。
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サクラサク、津幡町。

2011年03月27日 10時28分48秒 | 草花
桜の品種は、意外に多い。
桜と聞くと、一般的には「染井吉野」や「八重桜」を思い浮かべるが
日本には数百種ともいわれる、世界にも類を見ないほど
数多くのサクラが栽培されている。

いわゆる桜前線として各地に春を告げるのは「染井吉野」だが、
石川県での開花宣言は、もう少し先になりそうだ。
…という事は「今日の一枚」は「寒桜」の一種だろうか?
去年11月7日、津幡川沿いで咲く「冬桜」を掲載したが、
その花と見比べてみると、幾分か花弁が大きく力強く感じる。
やはり、違う品種のようだ。

撮影場所は、津幡小学校の近隣。
桜のバックに映っているのは廃屋である。
朽ちてゆく建物と美しい花の対比が際立っていて、印象に残る景色だった。

日本人の心をウキウキさせてくれる桜は、アメリカでも愛されている。
首都・ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、有名な桜の名所の一つ。
そして、この桜の苗木が日本から贈られたというのも有名なエピソードである。
贈り主は、当時の東京市長と、
加賀藩士の血を引く科学者兼実業家…「高峰譲吉」。
日米親善の証という訳だ。

ワシントンD.C.では、ちょうどきのう3月26日から
恒例の「全米桜祭り」が始まった。
4月10日までの期間中、100万人規模の人出が見込まれているらしい。
その主催団体は、今年は一部のイベントを有料として、
東日本大震災に見舞われた日本の被災地への義援金に充てると発表し、
次のようにコメントした。

『毎年、桜の季節になると、ワシントンの人々は日本のことを想起するが、
 今年は今までとは違う気持ちで、
 今までよりもっと日本を思うことになるだろう。
 多くの人が協力してくれることを期待している。』

日本を象徴する…「桜」。
アメリカで花開いた「和の心」が、胸に沁みる。
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