つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町、記憶なき学び舎にて。

2010年06月29日 01時06分15秒 | 日記
『学びの里に陽はみちて やさしの山や野に湖に
 くにのあゆみのいしずえを
 うちたてゆかん もろびとに
 のぞみは溢る のぞみは溢る』

…校歌は変わらないが、校舎は変わった。
2010年の津幡町立・津幡中学校は、僕の知らないところだ。
まだ夜も明けきらぬ早朝、愛犬と共に訪問してみたが、
残念ながら、どこも記憶になく、外観から思い出が蘇ることもなかった。

僕が通学していた1970年代末、建物は箱型の鉄筋コンクリート。
その横には、木造の旧校舎があった。
所属していた剣道部の道場は、その一角。
ギシギシ音を立てる渡り廊下を進んだ先にあった。
空調などない中で励む稽古の環境は、そのまま季節に左右される。
蒸し暑い夏は、道着に着替えただけで汗が流れ、
隙間から粉雪が舞い込む冬は、吐く息も白く、足先がひび割れ床に赤い跡ができた。
裂ぱくの気合い、竹刀がこすれあう音、荒い息使い。
荒々しい時間が過ぎれば、黙想。礼。静謐な時間が流れていた。
何者かになろうとして、もがいていた当時が懐かしい。
だが、どの思い出も過ぎ去りし過去である。

きのう、ある場所で中学の同級生と称する人物に会う。
だが、思い出せない。
こちらの一方的な失念で申し訳ない限りだが、どうも記憶の糸がつながらないのだ。
愛想笑いを浮かべる僕の脳裏に、木造の旧校舎や、
変わり果てる前の校舎が浮かんでは消えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これは、個人的な津幡町のブログです。

2010年06月27日 17時21分12秒 | りくすけ
このブログを開設してから1ヶ月半あまりが経った。 
そろそろ6月も終わろうとしている。 
一つの区切りとして、また、自分自身で再確認する意味も込め、
改めてブログの趣旨と動機を振り返ってみよう。

タイトル:「古城址のある町・津幡の記憶」。

町の中心部、標高15メートルの「大西山」。
ここは、かつて「津幡城」があった「城址」だ。
僕が6年間通った母校「津幡小学校」が建っているが、
今、近くに新校舎の建築が進行中。
また、新校舎が建つ場所には、かつて「スカール」があった。
1973年から2001年まで存在したショッピングセンターには、
沢山の思い出があったが、
その場所は、もう既に失われている。

「見慣れた景色」は永遠ではなく
「記憶の中にある風景」が無くなっている事に気づいたのが
ブログ開設の動機だった。
このままでは、時という大河の流れに飲み込まれてしまうだろう。
名残があるうちに、何かに記録しなければ…。 
形跡があるうちに、記憶を繋ぎ留めなければ…。
その気付きを与えてくれたのが、一匹の犬との出会いだ。

サブタイトル:「愛犬との散歩で出会った風景を切り取り、
                 写真と言葉で綴る地域密着私的アーカイブス」。

名前は「りくすけ」である。
去勢されタマなしの不憫なオスのチワワだ。
彼と一緒に歩くうち、町の変化が目に留まるようになった。
ブログ立ち上げに伴って、
携帯カメラを手にして散歩へ出かけるようになった。
ちなみに今日の写真は、「鷹の松墓地公園」にて撮影した、夕暮れの散歩風景だ。
移動中にシャッターを切り、PCへ保存して、文章を打つ。
過去の自分に向き合って、思い出し、考える。
中心となるのはごくごく私的な記憶。
自宅を起点に歩いて移動できる範囲だけのごくごく狭い記録。

対象は限られているが、日々、新発見あり、再発見あり。
愛犬との散歩は、見聞を広めてくれる貴重な時間になりつつある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つれづれに、つゆ空、つゆ草、つばた町。

2010年06月26日 20時21分33秒 | 草花
子供のころ、夏服によく青い染みができた。
原因は、今日の写真…「紫露草」の花。

初夏から秋にかけ、田畑や路傍など身近に咲く雑草だが、楚々とした佇まいがいい。
写生の授業の折、紫露草の色素を絵の具代わりにした事がある。
花びらを手にとって、指で潰し、真っ白な画用紙の上をなぞると、
淡いブルーのラインが引けた。
その色は、水彩絵の具の「青」でもなく、「紫」とも微妙に違うと感じた。
今思えば「菫色」が近いだろうか?
また、紫露草の花はいわゆる「一日花」。 
朝に開き、午後にはもうしぼんでしまうのだそうだ。
…ということは、僕の記憶は午前中だったのだろうか?

曖昧な過去へと導いてくれた花は、梅雨空の下で露の雫をまとって咲いている。

花が開く短い時間を逃がすまいと、蜜を求めて一匹の蜂が飛んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和を揺るがす世紀の一戦!~34年前の津幡の記憶~

2010年06月26日 00時05分12秒 | 日記
1976年6月26日(土)日本時間13時00分、日本武道館。
世紀の一戦が行われた。
「アントニオ猪木」対「モハメド・アリ」である。

石川県には、テレビ朝日(NET)のネット局はなかったが、
銀髪鬼・「フレッド・ブラッシー」同席の物々しい調印式がブラウン管に映され、
数日前から、大人たちが何やら騒がしく囁き合っていた。
『プロレス王とボクシング王、一体どっちが強いんだ?!』
その熱気は、小学生だった僕にも伝染し、決戦の日をワクワクしながら待っていた。

だが、当日は、外せないスケジュールが入っていた。
「ボーイスカウト津幡第一団」のジュニアチーム「カブスカウト」の一員だった僕は、
午前中から行われる定例集会へ出席しなければならなかった。
その開催場所が今回の写真…「津幡公民館」である。

現在は、幼稚園や家屋が建ち並んでいるが、昭和51年には広場があったはずだ。
広場の中心にある樹木を輪になって囲み、スカウトの歌を合唱したり、
公民館の中でロープの結び方を習ったりするのだが…
正直、上の空、気が気でなかったように思う。

…だって「猪木」対「アリ」なんだから!

集会が終わった後、僕は走った。
家に着くと、青いカブスカウトの制服も着替えず、流れる汗もそのままに、
テレビの前で正座をして、勝負の行方を固唾を飲んで見守った。

あれから34年が経つ。
昭和を揺るがせた世紀の一戦の存在感は、大きくなるばかりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歓喜と合掌~津幡町の紫陽花BLUE~

2010年06月25日 08時41分51秒 | 草花
歓喜!

“侍BLUE”が一次リーグを突破! 勝ち残るとは生き残る。
ワールドカップ南アフリカ大会に生き残っただけでなく、
日本サッカーの未来にも影響を及ぼすだろう。
勝負事は、残酷なまでに明暗を分けるものだが、よくぞ踏ん張った。
そして、お祝いムードのおかげで財布のひもが緩み、家電やビール、飲食業など
好景気にあずかる業界も多いだろう。
何より楽しめる時間が増えたのは、嬉しいことだ。

そんな“侍BLUE”の勝利を受け止めて散歩に出れば、
今や花の盛りを迎えた紫陽花のBLUEも、どことなく華やかに映るから不思議だ。

しかし、一息ついてクールダウンしてから朝日に輝く紫陽花を眺めてみると
何だか青が厳かに見えてきた。
…というのも、今日・6月25日は「マイケル・ジャクソン」の一周忌。
訃報に接した一年前の驚きが甦ってきた。

晩年の迷走やスキャンダルはともかく、彼の功績は間違いなく偉大である。
それはセールスの数字を見ても明らかだし、彼の称号が表現している。
ROCKでもなく、SOULでもない。白でも黒でもない。
“KING OF POP”…POPULAR MUSICの王様。
それは人種の壁を越え、認められたことを意味している。
もちろん、彼以前にも壁を超えた歌はあったが、存在そのものが壁を超えたのは、
「マイケル・ジャクソン」が初めてではないだろうか?

改めて、合掌…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする