つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.123. ~ 令和六年 文月晦日。

2024年07月31日 17時30分30秒 | 津幡短信。
                      
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【夏の風物詩。】

先日(2024/07/28)、津幡小学校傍の常設相撲場に於いて、
「第53回全国選抜社会人相撲選手権大会」と、
「津幡町子ども会相撲大会」が開催された。
僕は仕事の関係があり社会人大会には間に合わず、後者を観戦する。





土俵上では子供たちの力を尽くしたぶつかり合い。
周囲の応援席からは惜しみない拍手と歓声。
それらの放つ熱気が、屋根から四方へ伸びたオレンジ色の日除け布に吸い込まれてゆく。
津幡町の夏の風物詩の1つである。
例年に比べ、熱量が大きく感じたのは僕だけではないはず。
やはり津幡町出身「大の里センパイ」の活躍が影響しているのは明らかだろう。

ちょうど当日は大相撲名古屋場所の千秋楽。
新関脇で望んだ大の里関は、序盤連敗でスタート。
5勝5敗の五分で迎えた11日目、横綱・照ノ富士に土をつけ波に乗り
9勝6敗でフィニッシュ。
横綱戦が評価され、殊勲賞を受賞した。
新入幕から4場所連続の三賞受賞は史上初とか。
苦しいながらも結果を残し、次につなげた格好である。

また今場所は他の石川勢も奮闘。
穴水町出身の「遠藤関」は二桁勝利。
七尾市出身の「輝関」も9勝6敗。
津幡町出身の「欧勝海」は十両復帰をほぼ確実に。
金沢市出身、ケガで序の口から再始動の「炎鵬」も6勝1敗で復活の狼煙を挙げた。

彼ら郷土力士たちの後に続くかもしれない後輩たち共々、応援している。
                         
<津幡短信 vol.123>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.122. ~ 令和六年 入梅。

2024年06月22日 23時45分45秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【雨に憂いて。】

本日(2024/06/22)気象庁は、北陸(新潟、富山、石川、福井各県)と、
中国地方(鳥取、島根、岡山、広島各県)が梅雨入りしたとみられると発表した。
梅雨前線を押し上げる太平洋高気圧の北への張り出しが弱かった影響で、
中国は平年より16日、昨年より24日遅く、北陸は平年より11日、昨年より13日遅い記録となった。

ようやくレイニーシーズンを迎え季節は通常運転。
ホッとする反面、嫌な記憶も頭を過る。
およそ1年前の令和5年7月12日、石川県内で初めての線状降水帯が発生。
津幡町では1時間80ミリの猛烈な雨が降り、4つの河川で氾濫が認められた。
人的被害がなかったのは不幸中の幸いだが、物的損害は小さくない。
住宅全壊7棟、大規模半壊1棟を含む370棟に影響。
道路150か所、河川40か所を含む町管理設備に被害が及んだ。

その記憶も生々しい現在。
--- 町内各所には「令和6年 能登半島地震」のダメージが残っている。





今年元日の揺れから早や5カ月半。
時が経つにつれ地盤の歪みが現れたところもある。
路面の窪みやひび割れから雨水が地下へ滲みこめば、更なる沈下を招きかねない。



土砂崩れの解消していない地点は、気が気ではないだろう。
津幡町・緑が丘地区の崩落箇所、地震直後に応急処置で被せたブルーシートが色あせてきた。
町は今秋にも本格復旧工事に着手の予定との事。
二次被害なく雨期を乗り越え、再建を願っている。





先日、町内の社で「仮鳥居」を見かけた。
初めて目にする光景に驚き、傍で草取りをしている氏子の方に理由を尋ねたところ、
『地震により「貫(ぬき)」にひび割れが入り、倒壊の危険があるとして撤去された』とか。
上掲画像「白鳥神社」と「野田八幡宮」2つの神社の鳥居は、いずれも明神系の石製だった。
それが、竹と木の簡素なものに。
こちらの再建への道も前途多難である。
                         
<津幡短信 vol.122>
                                         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.121. ~ 令和六年 芒種。

2024年06月09日 08時08分08秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【アスリートたちのトピック。】
                   
わが「津幡町」は、南北に長い石川県の中央に位置している。
金沢市・かほく市・内灘町・宝達志水町・富山県高岡市・小矢部市の4市2町と隣接。
面積は110.59平方キロメートル。
人口は3万7千あまり(2024/04現在)。
住みやすく利便性も高いが、決して大規模とは言い難い。
そんな北陸の片田舎からトップクラスのアスリートが出現したのは「特筆」に値する。







まずは、大相撲五月場所で幕内初優勝を飾った、小結「大の里」関だ。
町内には、彼の偉業を祝うムードが満ちている。
散歩中に撮影した上掲スナップ--- 町役場壁面の大懸垂幕、
書店のウインドー、商店街のワンコディスプレーの手作り装飾は、ほんの一端である。

おととい(2024/06/07)24歳の誕生日を迎えた若武者は、
“新生”「二所ノ関部屋」の部屋頭になったと聞く。
部屋付きだった中村親方(元関脇・嘉風)が独立し、所属力士が8人減。
新たな環境、新たな立場で稽古に励んでいるとか。
次の名古屋場所で成績次第では大関も夢ではない。
焦る必要はないのだが、勢いに乗ることも出世への近道だ。
怪我無く、優勝争いを演じて昇進を果たして欲しい。



続いては、先の東京五輪で姉妹揃って金メダリストとなった「川井姉妹」である。
姉・梨紗子さんはリオデジャネイロ五輪に続く2大会連続。
妹・友香子さんは東京大会が初の五輪ゴールドメダルとなった。
結婚を機に現在は夫の姓に変っているお二方は、今も現役。
栄冠を勝ち取るまでは、肉親ならではの葛藤もあったと聞くが、
W優勝という目標を果たし終え肩の荷も下りたと察する。
新たな気持ちでこれからを歩んで欲しいものだ。



先頃、津幡町が偉業を顕彰する目的で、
中高年齢労働者福祉センター「サンライフ津幡」にレスリング場を整備。
そこで町内初のレスリングクラブ「サンキッズレスリング」が活動をスタート。
彼女たちの母親が代表を、両選手が特別コーチを務める。
「川井姉妹」に続くレスラー育成の最初の一歩だ。
                         
<津幡短信 vol.121>
                     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.120. ~ 令和六年 小満。

2024年05月21日 20時16分16秒 | 津幡短信。
                     
それなりに暑い日もあるが、おおむね過ごし易い日が続く北陸である。
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
レイニーシーズン直前にあたる今回は、以下の2本。
                               
【柿の花。】
                   
明治時代に『俳句革新運動』を興した文人、
「正岡子規(まさおか・しき)」は柿を題材にした歌を多く残している。
有名な一句はこれだろう。

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

樹上で赤く熟した柿の実をもぎガブリ。
豊かな甘みが口いっぱいに広がったところで聞こえる梵鐘の音。
古都・奈良の秋が思い浮かぶ。
「子規」の代表作の1つであり、時の風化に耐え、時代を超えた名句だと思う。
また、彼はこんな歌も詠んだ。

柿の花 土塀の上に こぼれけり

柿の花は夏の季語の1つ。
梅雨のころ、柿は黄みがかった白色の花をつける。
若葉と一緒に咲くため遠目にはあまり目立たない。
あなたはご覧になったことがあるだろうか?





先日、ご近所庭先の柿の木で見かけシャッターを切った。
意外と落ちやすい花である。
今日び「子規」のように土塀の上とはいかないが、
数輪が足元のアスファルトに散らばっていた。

【閉院。】

津幡銀座商店街(現:パピィワン通り)で長年医業を営んできた町医者、
「一林医院」の取り壊しが始まった。





詳しい事情は存じ上げないが、インフルエンザ予防接種、コロナワクチン接種などで、
何度も足を運んだお医者さんが姿を消すのは一抹の寂しさを禁じ得ない。

昨今、クリニック(無床診療所)を取り巻く環境はなかなか厳しいと聞く。
少子化による患者獲得競争。
経営者の高齢化に伴う事業承継問題。
電子カルテなど新たな業務・役割の拡大と負担増から人材不足に拍車。
--- 等々いずこの業界も色々あるのだ。
                         
<津幡短信 vol.120>
                      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.119. ~ 令和五年 大晦日。

2023年12月31日 19時40分40秒 | 津幡短信。
                            
今投稿のタイミングは、令和5年(2023年)12月31日。
大晦日である。
「みそか」は月末にあたる『三十日』を指していて、
「おお」は『1年のクライマックス』を表している。
拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしだろうか。
わが津幡町の天気は雨模様だが、
好天に恵まれたきのう(2023/12/30)の散歩中に見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けしたい。
                               
【ああ 川の流れはゆるやかに。】
                  


画像は、津幡川に架かる「川尻水門橋」。
川は奥から手前に向かって流れている。
若干さざ波が立っているものの大変穏やか。
護岸の枯野がむき出しになっていて雪もない。
付近をねぐらにする鴨たちが起こす泳跡派が扇状に広がる様子から、静水面が見て取れる。



さて、先日「2023年 津幡町10大ニュース」が発表された。
一席は<県内初めての線状降水帯による被害甚大「7月豪雨 町内各所に爪痕」

振り返ると今年7月12日、石川県は大雨に見舞われた。
金沢地方気象台は「顕著な大雨に関する気象情報」を発表。
津幡町では夜半前から1時間80ミリの猛烈な雨が降り、町内各所に避難指示を発出。
4つの河川で氾濫が認められた。
人的被害がなかったのは不幸中の幸い。
しかし、物的損害は小さくなかった。
住宅全壊7棟、大規模半壊1棟を含む370棟に影響。
道路150か所、河川40か所を含む町管理設備に被害が及んだ。

僕が暮らす所は、前掲画像・津幡川下流域に近い。
豪雨当夜は氾濫には至らなかったものの、危険水域だったと聞く。
あと少し雨量が多かったら、どうなっていたか分からないのである。



わが津幡町は昔から水害が多い。
荒ぶる水を鎮める意味か水辺の傍に鎮守が建つ。
上掲画像、津幡川沿いの川尻地区「住吉神社」には以下の伝承が残っている。

『住吉神社の祭神は庄村の住吉神が津幡川を蕪の葉に乗って川尻村へ流れ着いたという。
 村では川上の庄村へ送り届けたが、しばらくするとまた漂着し、
 当地の「クロベイブチ」(現在地)に落ち着かれることになったという。
 住吉の神様は海上交通の神といわれる。
 川尻村は河北潟や津幡川の水運に深く関わってきた集落であり、
 勧請の神としてふさわしい神様であるといえる。
 昭和初期頃まで、毎年三月八日に「蕪まつり」が行われていた。』

(※『  』内太字 お宮前の立札より引用、原文ママ)

「クロベイブチ」とは「九郎兵衛淵」。
この地はかつて沼地だった。
大洪水の際「九郎兵衛」という人が、
人柱(ひとばしら=工事の無事を祈り、建造物の基礎に生贄として埋められる人)になり、
災害を防いだことから名が付いたとか。



果たして「クロベイブチ奇譚」は本当なのか否か?
本殿の正月飾りに問いかけてみたが、返答のあるはずもなし。
あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。
何にせよ洪水は勘弁して欲しいものだ。
川尻の住吉さんに水難無縁をお願いして踵を返した。



最後の画像は、川面に映るわが影。
少々輪郭がぼやけてしまったが、ご挨拶に手を挙げている。
今年一年、拙ブログをご観覧いただき誠にありがとうございました。
よい年をお迎えくださいませ。
来年もどうぞよしなに。
では、また。
                         
<津幡短信 vol.119>
                      
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする