つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

令和のHow to Call。

2021年02月28日 14時44分00秒 | 日記
       
先日「タウンページ 石川県かほく版」が届いた。
内灘町・津幡町・かほく市、3市町の職業別電話帳である。
厚みはちょうど「5mm」。
ひと昔前にくらべると随分薄い印象だ。



「タウンページ」の発行部数は2006年度をピークに減少していたが、
2013~4年あたりから増加に転換。
固定電話加入者だけに配布していたのを全戸配布に切り替えたからだ。
利用人口はどうかと思うが、
地元密着の度合いをアップ、ネットに載らないお店も網羅、
怪しい会社・団体は載せていない安心感--- などから一定の支持があるらしい。

だが、既にWeb版も運行している。
ペーパーレス、デジタル化が進む流れの中で、
黄色い電話帳がいつまで存在し得るのかは不明だ。



変わって「河北(かほく)中央病院」前で撮影した「公衆電話ボックス」。
きっと、携帯電話普及前は重宝したに違いない。
治療を終えて家人に報告をしたり、迎えを頼んだり、
タクシーを呼んだりする時などに利用されたと推測する。
そのシーンには安堵や笑顔、不安、悲しみなど、
様々な感情が交錯したことも想像に難くない。
今の利用頻度は、どれほどなのだろうか?



ボックスの中に、見慣れないボードを発見した。
事件・事故などの通報先110番。
火事・救命連絡先の119番。
海難事件・事故の118番などの「緊急通報番号」。
災害用伝言ダイヤル171番案内も掲示されている。

その隣には「公衆電話のかけ方」。
受話器をとる→硬貨かテレホンカードを入れる→電話番号を押して通話。
昭和生まれにとってはアタリマエの作法を懇切丁寧に説明している。
しかも日本語に加え、英語、北京語、ハングルでも表記。
生まれてこの方、一度も使ったことのない人、使い方の分からない人も少なくなく、
日本の社会が多国籍になった現状を反映しているのである。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡日記。

2021年02月27日 20時42分42秒 | 日記
     
歴史ファンならご存知のとおり、
平安期の貴族「紀 貫之(きの・つらゆき)」は、
『古今和歌集』の撰者であり、日本史上でも傑出した歌人である。
また、日本最古の日記文学『土佐日記』は、後世の文学に大きな影響を与えた。

その書き出しは、こうだ。
<男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり>

地方官吏の任期を終え、都に戻るまでの出来事を日記文学としてまとめる際、
漢文ではなく和文で書くことを決意。
当時、男性は漢文を使うのが常識だったため、
女性のふりをして新たな挑戦に踏み切ったとされる。(※諸説アリ)

僕の場合は、こうなるかもしれない。
<世の人もすなる、ブログといふものを、りくすけもしてみむとて、するなり>

--- ということで、今回は「紀 貫之」作品を交えながら、
最近の散歩の様子を投稿してみようと思う。



かすみ立ち 木の芽もはるの雪降れば 花なき里も花ぞ散りける

<霞がかり、木の芽も芽吹く春に雪が降り、
 まだ花が咲かない里にも、花が散るように見えることよ。>

一昨昨日(さきおととい/2021/02/24)、雪が降った。
春の淡雪ゆえ、午後にはあらかた消えてしまった。
もうすぐ2月も過ぎようというのに、朝晩はそれなりに寒く、
未だに暖房器具頼りだ。
太陽が支配する昼は、春めく陽気。
闇に閉ざされる夜は、冬が居残る。
近頃の津幡町は、そんな感じだ。



袖ひちて 掬(むす)びし水の 氷(こほ)れるを 春立つけふの風やとくらむ

<(夏に)袖を濡らして手に掬ったあの水が(冬は)凍っていたが、
 きっと立春の今は、風が融かしていることだろう。>

今朝は、道端の水溜まりに薄氷が張っていた。
指で押したら--- いや息を吹きかけたら融けてしまいそうに儚い薄氷。
それは残り少ない冬の最後の抵抗に思える。



人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香に 匂ひける

<あなたが昔のままの心かどうかわからない。
 でも、故郷では、昔と変わぬ梅の香りが迎えてくれている。>

「紀 貫之」は幼少の頃、奈良・長谷寺にいる伯父のもとに身を寄せていた。
やがて都へ上り宮仕えの身に。
久しぶりに寺を訪れた時、叔父は「随分とご無沙汰ですね」と、
皮肉っぽく冗談めいた挨拶をした。
そこで梅の枝を手折り詠んだ歌である。
「まあ、そう邪険にしないで、この梅のように快く迎えてください。」
--- という訳だ。



桜がもてはやされる前は、梅が花全ての代表だった。
梅は百花の魁(さきがけ)。
八重咲の白梅からは、控えめだが爽やかな春の香りがした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強く美しい肉体派エンターテイナー。~ 女子プロレス。

2021年02月23日 10時00分05秒 | 手すさびにて候。
     
僕は、割と年季の入った格闘技ファンである。 
ボクシング、キックボクシング(ムエタイ)、空手などの打撃系。
柔道(柔術)、アマレス、サンボといった組技系。
総合格闘技、プロレス。
かれこれ40年あまり、競技の別なく、
リアルファイトも、エンターテイメントも楽しんで観戦している。
今回は、その中から特定のジャンルに絞り取り上げてみたい。
好き嫌いが分かれるだろうが、ご一読を。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百六十六弾「(日本の)女子プロレス」。



厳密に言うなら「女子プロレス」は、日本にしかない。
海外にも「女子レスラー」はいるし、団体もある。
しかし、女子レスラーたちだけの「興行がコンスタントに成り立ち」、
存在が認知され、一つの市場(しじょう)が確立されている国は、日本だけだろう。
その歴史は、今から80年近い昔まで遡(さかのぼ)る。

敗戦間もない混乱期。
焼け跡の盛り場では、夜な夜な、下着姿の女性同士が取っ組み合いを演じていた。
キャバレー、芝居・ストリップ小屋などで催される酔客・米兵を相手の見世物 --- 。
それが「女子プロレス」の夜明け前の姿だったという。

彼女たちと同じ一座で演芸を披露する者の中に、柔道の心得を持つ男がいた。
彼は、ボクシング経験のあるコメディアンの弟に、思いつきを話して聞かせる。

『おい、海の向こうじゃ、女のレスリングが人気らしい。
 色気だけじゃない、力も技も備えた強い女たちの戦いだ。
 どうだ!?妹のヤツを鍛えて、日本でも女子プロレスをやろうや!』

兄は、世志凡太・早野凡平らの師にあたる「パン猪狩」。 
弟は、カラフルな蛇を操る芸で一世を風靡した「ショパン猪狩」。
妹「猪狩定子」を日本人女子レスラー第一号に仕立て進駐軍キャンプを回ったのは、
「力道山」が大相撲からプロレスに転向する数年前のことだった。

そんな船出が係わっているのか、
日本の女子プロレスは、芸能との縁が深い。

「スター誕生」で山口百恵とデビュー指名を争った「マッハ文朱」。
試合会場に少女ファンを掻き集めた「ビューティ・ペア」。
アイドル歌手から転身した“セクシーパンサー”「ミミ萩原」。
80年代、空前のブームを巻き起こした「クラッシュ・ギャルズ」。
ビジュアルレスラーとして人気を博した「キューティー鈴木」。
彼女たちは皆、歌、ドラマ、映画、出版などで場外乱闘を繰り広げた。

そして今や、場外からリングに上がるタレントが大勢いる。
グラビアやモデルで活動しながら、より活躍の場を増やし、
知名度を上げる狙いからプロレスに挑戦するケースも珍しくない。



これは個人的な意見である。

僕は、女子プロレス観戦の醍醐味は「演劇性」だと思っている。
正直、男性レスラーに比べれば身体能力は劣る。
致し方ない。
神から与えられた体格や筋量が違うのだ。
もちろん技術に優れた男勝りの例外はいるが、総じて競技のレベルは低い。

だが、彼女たちは強い。
女性格闘家とリアルファイトをしたら、歯が立たないだろうが、
相手の攻撃を受け止めるプロレスの試合なら、アスリートを完封できるだろう。
もし一般人が相対したとしたら、たとえ男でも敵わない。
僕も多少の格闘技経験があるが、絶対に負ける自信がある!

単に、強い者が勝つというだけでは、プロ興行は成り立たない。
蹴り倒しノックアウトして秒殺試合終了は許されない。
実力差はあっても、互いの良さを発揮させ、見せ場を作った上で優劣をつけ、
観客を楽しませなければならない。

容姿を整え、肉体を鍛え、ギミックを使いこなし、
対戦相手を信頼して互いを痛めつけ、一緒にドラマを創り上げる女子プロレス。
それは、表現のスキルを磨き、自分ではない何者かになり舞台で輝く演劇と似ている。
さらに、言葉に頼らず、己の身体一つで訴える舞踊にも通じる。

例えるなら、彼女たちは女優兼ダンサー。
強くて美しい肉体派エンターテイナーなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡短信vol.86 ~ 令和参年 如月或日。

2021年02月21日 19時36分15秒 | 津幡短信。
     
    
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の話題は以下の3本。

【雛飾り。】



拙ブログ「津幡短信」カテゴリーでは毎度おなじみ、
「津幡銀座中央商店街」のワンコディスプレイ。
季節替わりや年中行事などが近付くと足が向く。
つい先日までは、オーバーに包まれマフラー巻いていたから、
春の装いにお色直しである。
今年の桃の節句は「令和3年3月3日」で三並び。
規則性がいい。
三本勝負、三位一体、三すくみ、三大〇〇、三羽烏、三連単。
日本のヒトは3が好きだ。



アップも収めてみた。
この犬の置物、ボディはセメント製、目はビー玉。
優しい顔つきは愛嬌満点である。
(※由来にご興味あれば過去投稿をどーぞ/LINK有

【桜染め抜き。】



これも拙ブログ「津幡短信」カテゴリーでは毎度おなじみ、
「みたにや呉服店」の店頭にて撮影した幟(のぼり)。
町内の小中学校学生服を取り扱っているお店だけに、
卒入学や衣替えなどには敏感だ。
--- 思えば、昨春の学校行事は何かと大変だった。
きのうも投稿したとおり、モチロン新型コロナの影響である。

【変化して継続。】

僕が子供だった頃、老若男女に広くウケる例えを、
巨人・大鵬・卵焼き(きょじん・たいほう・たまごやき)と言った。
野球の盟主ジャイアンツ、大相撲の横綱大鵬、甘くて旨い卵焼きは、
高度経済成長期の象徴のようなものかもしれない。



このお店の名前は、かつて漢字で「大鵬」と書いた。
寿司屋だった。
タマに外食先になる時は、心と舌が躍ったものだ。

やがて平成になり、名前を「えん」と変えて懐石料理店へ変わった。
そして令和---



名前は、平仮名「たいほう」に。
業態は、軽食・お茶処に。
人の好み、人の営み、環境、社会情勢は刻々と変わっている。
色々やりながら商売を続けていって欲しい。

<津幡短信 vol.86>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

然(さ)もありなん。

2021年02月20日 17時34分31秒 | 日記
       
寺院の門前掲示板には、よく「格言」が貼り出されている。
先日、散歩途中に通りかかった津幡町中心街・津幡川沿いに建つ「徳願寺」には、
こんな言葉があった。



『人生に待ち受けている扉で簡単に開くものはなし
 もし簡単に開いたとすれば
 それはあなたを成長させる節目の扉ではない』


然もありなん。
人生における扉は、仕事、私生活、恋愛など様々なシーンに待ち受けている。
苦労の末に開けたら別の扉が立ち塞がっていた。
開いたと思ったら実は開いてなかった。
なんてことも珍しくない。
枚数も重みも人それぞれだ。

しかし、時代がもたらす「共通の扉」もある。
今なら「新型コロナウイルス」が、その1つ。

2020年1月16日:国内で初めて感染症例を確認。
     1月28日:日本人の感染者一号が発生。
     1月31日:WHO緊急事態を宣言。
     2月 5日:大型客船での集団感染が判明。
     2月13日:コロナウイルスによって国内初の死亡者が発生。
--- 後はご存知のとおりである。

世界で初めてこの感染症の存在が明らかになってからは、2年あまり。
人類が四方八方を扉で取り込まれ塞がれてから、一年あまりが経った。
去年の今頃撮影した町内の写真を、以下に何枚か掲載してみる。







第一波襲来間もない当時、
身の回りから色んなモノがなくなり、色んなコトが中止になったのを思い出す。
そして、世の中は変わった。

きのう(2021/02/19)、石川県内で医療従事者へワクチン先行接種がスタート。
僕たち「一般人」へお鉢が回ってくるのは、早くて5月と聞く。
この重い扉を開けることが出来た暁には、どんな未来が待っているのだろう--- 。
然もあらばあれ。
良きにつけ、悪しきにつけ、我々は生きてゆく。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする