つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

小品晩夏~競艇。

2023年08月28日 22時00分00秒 | 賭けたり競ったり
                      


結局、この夏に出かけた本場は「びわこ競艇場」だけだった。
過去投稿にも記した通り、僕にとってそこは夏の象徴のようなところと言っていい。

観戦スタンドからは近江富士、琵琶湖大橋・比良山系、近江大橋・浜大津と、
琵琶湖のいい景色が見渡せる。
その風光のベストシーズンは夏だと思う。



びわこ競艇場が開場したのは昭和27年(1952)年。
もう70年以上の歴史を刻んできた。
平成2年(1990年)度の売上518億円をピークに、
レジャーの多様化やファンの高齢化によってしばらく低迷が続いたが、
令和2年(2020年)度には675億3千万円と過去最高を記録。
施行者である滋賀県一般会計への繰り出金も10億円と大幅に増えた。
               
V字回復の一番の立役者はネット投票の導入。
そして、滋賀支部所属レーサー達の活躍が果たした功績も小さくない。



本場入り口近くにズラリと並んだ、等身大パネル。
特に中央、両手を腰に当てた白いカポック姿の「馬場貴也(ばば・よしや)」は、
押しも押されもせぬ滋賀支部のエース。
きのう(2023/08/27)福岡県・福岡市「福岡競艇場」に於て行われたSG競走、
「第69回 ボートレースメモリアル」で優勝を飾り、今年の獲得賞金は1億円超え。
23年8月現在、ランキングトップに君臨している。



彼の真骨頂は、ターン中に巧みな体重移動で舳先を浮かせる高等テクニック。
ボート本体と水面の設置面積を少なくして、水の抵抗を減らし、
旋回直後の加速でもって、一気に他艇を突き放してしまう。





ところが、きのうは姿勢が安定せず行き足のいい2号艇に差しを許す。
逆転を予感させる競り合いになった。
体をゆすり、必死の抵抗で何とかこれを振りほどくと、
最後は、彼一流のスピードターンが物を言って1着でゴール。
--- それは、実に危うい勝利だった。



勝利者インタビューで開口一番「しんどかった」。
吐き出した言葉は、嘘偽りのない正直な感想だったと思う。
レース直前に振り出した雨による気象条件の変化。
前回のSGで同じ1号艇で敗れてしまった苦い記憶と、
今度こそは下手は打てないと臨んだプレッシャー。
様々な見えない「搦め手」が心身を蝕んだことだろう。
しかし、それらを撥ね退け、夏の掉尾を飾ったのは流石である。

おめでとう、馬場ちゃん。
                          
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小品晩夏~忘れ難き雨。

2023年08月26日 08時30分00秒 | 自然
                      
山風や 棚田のやんま 見えて消ゆ  -  飯田蛇笏

きのうは「空蝉(うつせみ)」。
きょうは棚田の上を飛ぶ「赤蜻蛉」。
やはり晩夏を意識するワンシーンである。



赤い丸で囲った中に写っているのが分かるだろうか?
実際には沢山群れ飛んでいるのだが、僕のスマホカメラでは十分に捉えられないのが残念。
撮影場所は、津幡町の山間でやゝ標高は高い。
初夏、彼らは平地の水田などで羽化した後、高山に移動し盛夏を過ごす。
再び下界にやって来て産卵する頃、季節は秋の訪れとなる。
長年繰り返されてきた生き物の営みだ。
--- その未来は、変わらずに維持されるのか?
最近、不安を覚えてしまうのである。

「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」

国際機関が、そう警鐘を鳴らしていたことを覚えている方も多いだろう。
7月下旬から猛暑日が続き、8月が終わろうとしている今も厳しい残暑。
世界的に海水温は高い。
北極の氷が融け、偏西風の蛇行が大きくなり、
温まった空気が早い段階で日本列島上空へ。
それは、猛烈な暑さをもたらす。
長い夏は秋を短くし、日本の「季節」に影響を与えている。

また「沸騰化」した海水から水蒸気を吸収した上昇気流が発生。
巨大な台風へと成長し、膨大な雨と風をもたらす。
今年は、わが津幡町で豪雨災害が起こった。





2023年7月12日、線状降水帯による大雨で、
床上・床下浸水、家屋の損壊、土砂崩れによる道路損壊、河川損壊など、
近年類を見ない大規模な痛手を被った。
その傷は、ひと月半が経ってもまだ癒えていないのである。
                       
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小品晩夏~空蝉。

2023年08月25日 23時00分00秒 | 自然
                           
今日(2023/08/25)は、北日本や東日本を中心に暑い一日になった。
全国で最も気温が高くなったのは、新潟県・阿賀町で38.3℃。
それに次ぐのが、わが石川県・小松市の38.1℃。
8月も終盤に差し掛かっているのに、熱帯夜が常態だ。
--- とはいえ、さすがに晩夏を意識するものにも出会う。



今朝「住吉神社」で見かけた「空蝉(うつせみ)」。
蝉のぬけ殻は「空せ身」、空しいこの身、魂のぬけ殻を指す。
一千年以上前にこんな歌が詠まれた。

空蝉の 殻は木ごとに留(とど)むれど 魂の行くへを見ぬぞかなしき - 読人知らず
『古今和歌集 第四百四十八首』



あれほど力強く鳴いていた蝉の亡骸はその命を終えた木ごとに留まっているけれど、
魂の行方を見ることがないのは哀しい。
夏が激しいだけに、翳りを感じるのは無暗に切ないのである。
                        
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教科用図書は世に連れて。

2023年08月20日 20時20分20秒 | 日記
                 
8月も残り10日あまり。
夏休みの子供たちは、宿題ラストスパートの頃かもしれない。

自由研究。
日記(絵日記)。
計算問題、漢字の書き取りを始めとした1学期の復習ドリル。
これら課題の数々を前に、当初は「1日〇ページ」と計画を立てるものの3日坊主。
8月終盤から泣きながら(親に手伝ってもらいながら)やっつけるのが“昭和小学生あるある”。
令和の小学生ってどんな感じなのだろうか?
少なくとも、過去の日記を書くため図書館で1ヶ月前からの新聞をひっくり返し、
天気を調べる必要はなく検索一発で完了。
羨ましい限りである。

--- といった具合に勉強の内容、やり方は時代によって変わるもの。
ちょうど今「津幡ふるさと歴史館 れきしる」に於いて開催中の企画展は、
教育の変遷を垣間見る機会といえる。



【今回は、明治・大正・昭和時代(特に戦前を中心)の教科書を展示しました。
 教科書は町民の方々から寄贈された、実際に使われていた教科書です。
 見て、読んで、時代の移り変わりと教科書の変化をとおして
 教育の移り変わりを振り返ってみてはいかがでしょうか。】

企画展「教科書で見る 教育の移り変わり」から一部を紹介したい。



明治26年(1893年)の「尋常小学修身」。

修身(しゅうしん)は、第二次世界大戦前の日本の小学校教科。
現在の道徳にあたるが、随分と色合いが違う。
冒頭『朕惟フニ 我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト 宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ』で始まる
明治天皇の『教育勅語』を掲載。
忠君愛国と儒教的道徳が学校教育の基本であると示し、
「イザナギ」と「イザナミ」の日本列島創成神話『国産み』に続く。
戦国武将の「毛利元就」による「三矢の教え」を図示して
キヤウダイ ハ ナカヨク セヨと説くあたりは、家制度重視の匂いが漂う。

ちなみに、この教科書出版の翌年「日清戦争」が勃発。
日本が勝利し、大陸への最初の足がかりとなる。
同時に東アジアに権益を有するヨーロッパ諸国を強く刺激し、
露・仏・独による三国干渉などを引き起こした。





昭和18年(1943年)の「新選 大地図~外国篇」。

抜粋した東アジアの黄色い丸で囲った箇所、
今は無き「ソヴィエト連邦」、「満洲国」、
「フィリピン(米)」(アメリカ植民地の意)の記載が分かるだろうか?
南太平洋ミクロネシアは、当時、日本の委任統治領。
他にも南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾などが、大日本帝国憲法下の領土だった。

この地図帖出版の頃から戦の潮目が変わる。
ガダルカナル島からの撤退を開始。
連合艦隊司令長官山本五十六ソロモン諸島上空で米軍機に撃墜され、戦死。
アッツ島の日本軍守備隊、玉砕。
スターリングラードの独軍降伏。
ムッソリーニ首相失脚~伊、無条件降伏。
文部省、学童の縁故疎開を促進。
まだ2年後の敗戦と未来を知らない子供たちは、どんな思いで眺めたのだろうか?

--- 企画展「教科書で見る 教育の移り変わり」の展示点数は、
教科書190冊、賞状など11点、写真6点。
背景にある歴史について考えながら観覧すれば、その意義は更に深まる。
開催期間は、来月末2023年9月24日(日)まで。
都合と時間が許せば足を運んでみてはいかがだろうか。





「れきしる」から外に出て商店街を歩くと、
津幡小学校創立150周年記念事業フラッグが風に揺れていた。
校区内の三商店街(パピィ1商店街、おやど商店街、庄町商店街)に於て、
在校6年生が制作したおよそ70枚のフラッグが掲示されている。
併せてご覧下さいませ。
                         
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妖(あやかし)のFOX。

2023年08月18日 21時21分21秒 | 手すさびにて候。
                        
残暑お見舞い申し上げます。

さすがにピークは越えた気はするが、まだまだ高い気温が続く今日この頃。
お互い暑さに負けないよう気を付けていきたいもの。
--- ということで、今回は暑気払いとして「物の怪」を題材にしてみたい。

そもそも日本で「夏≒怪談」が定着したのは江戸時代半ばから。

旧暦の七月一日に地獄の蓋が開き、七月十五日に蓋が閉じる。
その間、霊魂が下界を彷徨う。
そんな大陸の「道教」に端を発する先祖供養の仏教行事「お盆」がある夏は、
自然と「あの世」を身近に感じる季節。
摩訶不思議な話が囁かれた。

また、当時の庶民の娯楽として絶大な人気を誇った歌舞伎も一役買う。
空調設備など影も形もない頃。
蒸し風呂のような夏の芝居小屋から客足が遠のいたのは無理もない。
主役級の役者は、休暇をとったり地方巡業に出たりした。
そこで、関係者が思いついたのが「怪談物」。
ギャラの安い若手を集め、浮かせた制作費は大掛かりな舞台装置につぎ込み、
水張り、早変わり、戸板返しなど奇抜な演出でひと味違う興行を打った。
これがウケて、怪談狂言は人気演目に。
(「牡丹燈籠」「四谷怪談」「番長皿屋敷」などが代表格)
こうした経緯を踏まえ、日本の夏は怪異が跋扈するようになったといわれる。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十八弾「妖狐(ようこ)」



上掲拙作に描いた妖狐は二匹。

一匹目<玉藻前(たまものまえ)>

今から900年あまり時を遡った平安時代後期。
宮中に仕える美しい女官がいた。
まるで玉のように輝く後光を纏っていた彼女の名は「玉藻前」という。
優れた容姿に加え、秀でた博識を備え、お上の寵愛を一身に受ける。
深い契りを結んだ夜を境に、天皇は突然重い病に見舞われてしまう。
原因もわからぬまま、病状は日に日に悪化してゆくばかり。

実は「玉藻前」の正体は「白面金毛九尾ノ狐(はくめんきんもうきゅうびのきつね)」。
古代中国の王朝を滅ぼし、天竺(インド)をはじめアジア諸国を破滅させた大妖怪。
日本に狙いを定め、遣唐使船に便乗して上陸していたのだ。

陰陽師によって本性を見抜かれた「玉藻前」は、
絶世の美女から、怖ろしい九つの尾を持つ狐に変身。
逃走し行方を眩ますが、那須野(現・栃木県)で発見され、東国武士に討伐された。
だが、怨霊は消えず「殺生石(せっしょうせき)」に凝固。
その石が鎮座する荒れ地一帯は、硫化水素、亜硫酸ガスなど、
有毒な火山ガスが絶えず噴出している。

<石の香や 夏草赤く 露あつし - 松尾芭蕉>

石が放つ硫黄の香りと熱により、夏草は赤く枯れ、露が煮え立つ。
俳聖がそう詠んだ殺生石は、今も近づく生き物の命を奪い災いを振り撒いている。

ニ匹目<きつねダンス>

「きつねダンス」とは、プロ野球球団「北海道日本ハムファイターズ」のチアチーム、
「ファイターズガール」によるパフォーマンス。
同球団のマスコット、キタキツネに由来する。
“みみカチューシャ”と“しっぽ”を身に付け、楽曲「The Fox」に合わせて踊る。
今も流行っているのかどうか判然としないが、2022年にブレイクしたのは間違いない。
(もちろん実物の尻尾は9つもない)



少々大げさかもしれないが僕が考えるに、人が異形に扮したコレも妖怪文化の一端。
日本の妖怪は「怖いだけではない」のだ。

中世まで、人間を遥かに凌駕する大自然は畏怖すべき存在。
山や川、海、暮らしの境界に出没する妖怪は、自然の恐ろしさを警告していた。
しかし、時代が移り、社会も変わり、人心に変化が生じる。
増加する都市生活者たちにとって、糧は自力で栽培採取するのではなく金銭で手に入れるもの。
自然への敬意・憂慮は薄れ、妖怪を包む神秘のベールも剝がれていった。
--- しかし。

『どうもバケモンってのは、滅多矢鱈にいるもんじゃねえらしいな』
『幽霊の正体見たり枯れ尾花ってか』
『だがよ、それじゃどうにも下らねえ』
『確かに、いねえモンがいるから浮世は面白えんだ!』
『そうだ!知り合いの絵師にひとつ描いてもらおうぜ、
 実はきのう奥多摩帰りのヤツから怖えハナシを聞いたんだよ。
 奴さんが言うことにゃ ---ゴニョゴニョゴニョ---- 』
『くわばら、くわばら』

こんな会話が交わされたかどうかは分からないが、
怪異を怖がる一方で、虚構を楽しみ、身近に捉える感性も育まれた。
それは今も受け継がれている。

ちなみに僕の霊感は鈍感の極み。
お化けも人魂も見た記憶はない。
故人が枕元に立ったこともない。
金縛りも、虫の知らせも、未経験。
かと言って「霊」を全否定しない。
実感はないが、朧気に感じている。
                          
コメント (2)
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