つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

2011、津幡町の夏の記憶6。

2011年08月31日 23時24分12秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町の温泉施設「祥楽の湯」裏にて撮影。
ハーレーダビッドソンだ。
大排気量空冷OHV、V型ツインエンジン。
独特の外観ですぐにそれと解る“鉄の馬”。
真夏の陽を浴びてキラキラと輝き、カッコいい。
僕は大型の運転免許を持っていないので、
文字通り“憧れ”のモーターサイクルである。

後尾には「鹿児島」ナンバー。
今年も、何度かツーリングらしきバイク集団とすれ違ったが、
その様子を眺めるうち、バイクで旅していた頃の思い出が甦ってきた。

6月末に投稿したとおり、「エンジン付き乗り物」の初体験がスーパーカブ。
初めて自分で所有したのは、SUZUKIのオフロード原付「ハスラー」。
50ccの小さなエンジンながら、よく走る。
現在と違ってリミッターはかかっておらず、時速100キロは出た。
2ストロークのため、青白い排気煙を撒き散らし、
排気音もパリン!パリン!と甲高く、元気のいい一台である。

次は、YAMAHAの「セロー」。
排気量は中途半端な225CC。
上り坂では少々パワーに難ありだったものの、車体が軽く、取り回しが容易。
またエンジン始動はキックのみ。
利便性は低いが、電力に頼らずエンジンはかけられる。
走る環境・状態を選ばない、オフロードバイクとしてのポリシーを感じた。

続いて、SUZUKI「サベージ」。
最大の特徴は、直立単気筒エンジンを搭載した点だろう。
アメリカンに単気筒…これってなかなか大胆な発想。
今回最初に書いた“スタンダード”であるハーレーの思想に対する反逆なのだ。
当時「サベージ」に付いたキャッチコピーは「ダイナマイトシングル」。
言い得て妙だと思う。
一吹かししてエンジンを切るとバックファイヤーが起こったものである。
「パンッッ!!」と鳴り響く轟音は、まさにダイナマイトの如し。
更にシングルという事は、エンジンも車体もコンパクトになるのが利点。
体格の小さな身としては、とても好きな「単車」だった。

他にもYAMAHA「ビラーゴ」、
HONDA「クラブマン」、
YAMAHA「3代目セロー」など幾つかのシートに跨ってきた。

旅の季節…「夏」になると、僕はよく旅に出たものである。
走っていないと倒れてしまう不安定な乗り物に乗って、
スロットルを開け、エンジンから聞こえる鼓動と、伝わる振動が大きくなるたび
日常から解き放たれ自由になる気がした。
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2011、津幡町の夏の記憶5。

2011年08月29日 23時00分48秒 | 日記
「今日の一枚」は、ある意味、2011年の夏を象徴するスナップ。
「ソフトバンク津幡」の店頭で撮影した。

『節電は、扇風機で!』

そう銘打たねばならなかったのは、勿論、東日本大震災が関係している。
福島第一原発の放射能漏れに伴う、各地の原子力発電所運転停止により、
電力不足を余儀なくされたからだ。。
天気予報ならぬ「電気(使用量)予報」が流れた夏なんて、
少なくとも、僕個人の記憶では初めてだ。

幸い今年は、去年ほどの猛暑にはならなかった。
しかし、暑さは例年並み。
妙に熱中症のニュースが多いように感じた。
企業、商店、個人、暑さを凌ぐ為、
それぞれに様々な工夫が成された事だろう。

例えば、この手の報せもよく目にし、耳にした。

 

『ソフトドリンク飲み放題』

考え方の根源は、扇風機と同じ。
電力消費量の多いエアコンに頼らず暑さを乗り切るためのサービスだ。
更には、身銭を切ってでも、誘客につなげたい!
…という努力が垣間見える幟端。
これもまた、2011年の特異な夏の風景の1つである。
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2011、津幡町の夏の記憶4。

2011年08月28日 20時43分17秒 | 追悼。
「今日の一枚」は、津幡川の川面に浮かぶ麦藁帽子。
一体、何故川に流されたのだろう?
一体、何処から流れて来たのだろう?
ここに至るまでの経緯は不明だが、どうやら川縁の竹竿に引っ掛ったらしい。

麦藁帽子…英語では「straw hat」。
呼び名は違っても、洋の東西は問わず「夏」を感じさせるアイテム。
また「少年」や「田舎」「自然」といったキーワードも思い浮かぶし、
僕と同世代の日本人なら、映画「人間の証明」もイメージするかもしれない。

『母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?
  ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。
  母さん、あれは好きな帽子でしたよ。』

…という詩の冒頭部分が、映画公開時に用いられて話題となった。
作者は「西条八十」。
タイトルは「ぼくの帽子」。
ナレーションは、映画で主役を演じた、故「松田優作」。
朴訥とした声にピアノのイントロが重なり、
やがてソウルフルな男性ボーカルが始まる…。

『Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me.
 I lost the hat long ago,flew to the foggy canyon...』

シンガーは、フィルムの冒頭で死んでしまう黒人青年を演じた「ジョー山中」。

彼は、進駐軍の黒人GIと日本人女性の間に生まれた混血児あり、
並はずれた声域と歌唱力・恵まれた容姿で、シンガー、俳優として活躍。
数々の武勇伝でも知られ、三面記事を賑わせてきた兵だったが、
病魔には勝てず、今年8月11日、肺がんの為に永眠した。
正直、僕は「人間の証明のテーマ」以外、彼の曲を満足に知らない。
しかし、30年以上前にリリースされたこのナンバーは、
心に深く刻まれている。
「ジョー山中」の歌声は、僕にとって、ある夏の風景。
その死は、2011年の夏の思い出の1つなのだ。
合掌。
どうか安らかに眠って欲しい。


…ところで「西条八十」の詩には続きがあるのをご存知だろうか。

『母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
 ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
 母さん、あのとき向こふから若い薬売りが来ましたっけね。
 紺の脚絆に手甲をした。
 そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
 だけどたうたうだめだった。
 なにしろ深い谷で、それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。
 母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
 そのとき旁で咲いていた車百合の花は、もう枯れちゃったでせうね、
 そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。
 母さん、そしてきっといまごろは
 今晩あたりは、あの谷間に、静かに霧が降りつもっているでせう。
 昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子と
 その裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく。』

切なく、美しい。
死的で、詩的だ。
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2011、津幡町の夏の記憶3。

2011年08月27日 23時24分33秒 | 日記
今年の夏、僕は念願の再会を果たした。
そのお相手は「今日の一枚」…オオカマキリだ。

堂々とした左右の大きな鎌。
三角形の頭部には大きな複眼と、大きな口。
まだ若い個体ではあるが、実に堂々としている。
シルエットは流線形。
体の色は萌黄。
きっと見事に草と同化するだろう。
もし僕がバッタだったとしたら、見分けがつかない。
そして、鎌に襲われたなら、ひとたまりもない。
恐ろしい。
獲物を捕まえる事に特化した機能美。
文字通りのハンターだ。

 
…しかし、僕は知っている。
彼は雑食である事を。

あれは、確か小学生時代。
季節は初秋。
僕は右手に、おやつの「ふかしイモ」を持っていた。
左手には、捕獲したばかりのオオカマキリ。
ふと、カマキリとサツマイモを近づけてみると、
ムシャムシャと食べ始めたではないか!
ちょっとしたショックである。
肉食…動物しか食べないと思い込んできたのに、実は、許容範囲は広い。
机上の知識では知り得ない真実。
フィールド上で、現場で学ぶ大切さを教えられた。

愛犬を伴っての散歩を始めて1年半以上。
ずっと会いたいと願っていたオオカマキリは、相変わらずカッコよかった。
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2011、津幡町の夏の記憶2。

2011年08月26日 23時35分38秒 | 日記
ここ最近、雨が続いていた津幡の空に久しぶりの晴天が戻ってきた。
途端に暑さが甦り、蝉時雨が再スタート。
夏が、最後の力を振り絞っているかのようにも思える。
しかし、陽が落ちた後、吹く風は涼しさ含み、
そこに乗って運ばれてくる音の主役を担うのはコオロギ。
きのう投稿したとおり、季節は確実に次の段階へと進んでいるのだ。

…さて「今日の一枚」は、夏の盛りに撮影した蝉の抜け殻。
奥に見えている赤い屋根は、住吉神社の社殿である。
神社に付随し、参道や拝所を囲む「鎮守の杜」は、蝉の楽園。
初夏には、長い年月を地中で過ごした幼虫が這い出してきて、
地表に幾つもの穴を穿つ。
杜の木々から滲む樹液を糧にしながら、
また、程よい木陰で暑さを凌ぎつつ寿命が尽きるまで精一杯、鳴く。
そして、今や幹の根元で屍を見かけるようになった。
やはり、秋なのである。

ところで、住吉神社には句碑が建っている。

 
『梅咲くや 鳥居をくぐる 朝ここ路』

夏の歌ではないのが残念ではあるが、
作者は「矢田我柳」という津幡町の俳人だ。
以下「津幡町史」からの引用で紹介したい。

『我柳は津幡町庄の住で、天保、弘化時代の俳人。
 文化九年(一八十二)豪商矢田与三吉の三男として生まれ、
 通称を吉五郎といい、俳諧を金沢の桜井梅室に学び、
 我柳・見風舎・一水庵・蒼雪などと号し、各地の諸名家と交際し、
 生涯妻を娶らず、俳諧三昧にこの世を送った。
 特に金沢の直山大夢、能瀬の池田九華、加賀爪の河合見怨とは親交あり、
 天保十四年の春、師の桜井梅室より蕉門伝統譜一巻と天台一期が贈られ、
 いよいよその名を世に広めた。
 安政二年(十八五五)の秋、我柳は社中の句を集録して
 「ともふえ集」を発刊、「藁盆子」の著もある。
 明治一二年(一八七九)六七歳で歿した。』
              (※『    』内、原典:津幡町史、原文ママ)

世間的には無名だが、
ひと角の功を成した津幡人に接した夏の終わりである。
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