つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

透かして耐えて、雪の下。

2025年02月08日 18時42分42秒 | 自然
                          
「透かす(すかす)」という言葉を辞書で引くと、以下のような解説がある。

1. 物と物との間隔を少しあける。すきまをつくる。
2. こんでいるものを間引いてまばらにする。間隔を粗くする。
3. あけておく。時間をあける。
4. タイミングをはずして、肩すかしをくわせる。
5. 減らす。
6. 場をはずす。
7. 機嫌をとって、こちらの言うことを聞き入れるようにさせる。
8. 言いくるめてだます。
9. 相手をうまくその気にさせる。おだてる。

--- まあ、あまり堂々としていない印象だ。

わが石川県の方言で、除雪・雪かきを「雪すかし」という。
個人的には言い得て妙だと思っている。
天が降らせる膨大な雪は、止めることなどできない。
着雪してしまったら全てを消し去ることもできない。
解決には、やはり天恵の太陽と温暖を待つしかない。
ささやかな抵抗として、人は雪をすかすのが精一杯。
生活に支障をもたらす雪を「ちょっとだけ動かす」。
強大な自然を前にした僕たちは無力に等しい存在だ。



上掲画像は、今朝(2025/02/08)撮影した商店街の一角。
店舗前の通行の安全と来客に向けたスペースを確保してある。
決して広くない範囲だが、人力でこれだけの雪をすかすのは大変だったはず。
さぞ汗を流したことと推測する。
お疲れ様でした。



こちらは公園から望む「津幡小学校」。
すっかり雪覆われ、遊具は雪の下に埋もれている。
画像向かって左側には誰かが雪を踏み固めて作った通り道。
わざわざ即席の路地を設けたのには、
ここを往かねばならない強い意図があったはず。
園内には「放課後児童クラブ」があるから、そのためかもしれない。



「雪吊り」も大活躍。
ご存じのとおり、湿った重い北陸の雪から枝葉を守る備えである。
動けず物言わぬ樹木・植物も、雪が融ける時まで耐え忍んでいる。

さて、こちら石川県・津幡町の雪はひと心地付いた気がするが、
今寒波では、普段は雪の少ない名古屋や長崎でも積雪を観測したと聞く。
夜にかけても山陰から東北南部を中心に降雪が残るかもしれない。
どうか、ご無事で。
                         
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冬将軍のお出まし。

2025年02月06日 08時08分08秒 | 自然
                        
日本列島を基点とし西に高気圧、東に低気圧がある状態。
いわゆる「西高東低の気圧配置」になると、
ユーラシア大陸(シベリア)からの乾燥した冷たい季節風が吹く。
相対的に暖かい日本海から水蒸気や熱をもらい、次第に雲が発達。
この雲が風に乗って流れ込み日本海側の各地に雪を降らせる。
今が典型的なそれだ。


<昨 2/5早朝撮影>

寒さが厳しくなると耳にする表現「冬将軍の到来」。
これは寒気の集団を擬人化したもの。
由来は19世紀初頭、フランス皇帝「ナポレオン」のロシア遠征だ。
1812年9月、40万の大軍でモスクワを占領したナポレオン軍だったが、
兵站の補給を断たれ撤退を決意。
寒冷・食糧不足・ゲリラの襲撃に悩まされる帰路、38万の兵力を失う。
遠征の大失敗はナポレオン没落の始まりとなった。
この敗北にイギリスの新聞が見出しをつける。
「ナポレオン"General Frost"(厳寒将軍)に敗北」
第二次大戦時、独ソ戦でもやはり冬将軍はナチスを退ける要因に。
--- 有名な話である。





本日(2025/02/06)北日本の日本海側から北陸にかけ断続的に雪が降る。
局所的な差異はあるだろうが、
交通機関への影響、落雪、倒木、停電などに警戒が必要。
風も強く吹雪による視界不良や、路面凍結にも気を付けなければならい。
拙ブログをご覧の皆さまの周辺はいかがだろうか?
どうかご無事で。
                        
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没後、1年。

2025年02月04日 22時13分13秒 | りくすけ
                                
それはちょうど一年前の事だった。
長年(15年間)連れ添い、共に時間を過ごした愛犬が死んだ。
名前は僕のブログネームと同じ「りくすけ」という。



彼と出会い、散歩をするようになり、わが町の風景を撮り始めた。
彼と出会わなければ、こうして貴方に出会うことはなかったのだ。
最期は、同じ寝床に就き僕の腕枕で眠りながら旅立ってしまった。
当時の衰えぶりを見るにつけ、覚悟は固めていたつもりだったが、
いざ「その時」を迎えてみると喪失感の深さは筆舌に尽くし難く、
深い哀しみに苛まれたのを、数時間前の出来事のように思い出す。





震える寒い冬、うららかな春、暑い夏、錦秋。
思い出を積み重ねながら共に歩を進めてきた。
上記2つの画像は、よく彼と一緒に訪れた所。
わずか数日前に撮影した時は、明るい陽の下。
既に報道などでご存じの通り今は一面の白銀。
思い出も何もかも白い雪に覆い隠されるのは、
一体いつになるのか、僕には未だ分からない。

back number - 思い出せなくなるその日まで (full)

                   
コメント (3)
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スポーツの未来。

2025年01月19日 21時00分00秒 | 日記
                       
明日から大寒を迎えるのに10℃を超える小春日和の本日(2025/01/19)、
「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」設立10周年記念式典が開催された。
会場は「津幡町文化会館シグナス」大ホール。
1階638席の埋まり具合は6~7割。
僕も観客の1人となる。









集客の呼び水なったのは
「金城 梨紗子(きんじょう・りさこ)」「恒村 友香子(つねむら・ゆかこ)」両氏。
旧姓「川井」姉妹によるトークショーだと思う。
お2人はわが津幡町出身。
小中と地元公立学校に通う傍ら、母がコーチを務めるレスリングクラブで競技を始め、
姉・紗子選手がリオ、東京2大会連続でオリンピック金メダル。
妹・友香子選手も東京大会で金メダルを獲得した。
同会場1階ロビーには、その軌跡と偉業を称える展示もある。



「一般社団法人 津幡町スポーツ協会」は、平成26年4月に法人格を取得。
町内の地区体育協会7団体、競技団体39団体、
ジュニアスポーツクラブ(教室)34団体が加盟。
平成27年4月からは、指定管理者制度により津幡町総合体育館・津幡町テニスコート・
津幡運動公園・津幡町艇庫の管理運営を行っている。
人口4万に満たない町としては、スポーツが盛んな土地柄と言っていいだろう。
やはり同会場1階、各教室案内チラシ掲示は賑やかなのである。



本日の式典では壇上に於いて町長を筆頭に来賓の挨拶・祝辞があった。
協会の歩みを振り返る中でほゞ共通して繰り返されたキーワードは、
「(日本)社会の変革」と「少子化」。
2025年現在、この町から競技スポーツの舞台で活躍する選手が登場しているのは、
関係各位の尽力の賜。
素直に拍手を贈りたい。
そして、確実に来る高齢社会へ向け、更なる取り組みを期待したい。
                        
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津幡短信vol.127. ~ 新春風物詩。

2025年01月13日 19時19分19秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の1本。
                               
【新春の風物詩。】

先日(2025年)1月4日のこと。
朝から午前の仕事を終えた帰路「住之江橋」に差し掛かると、
下流側の欄干に人だかりが出来ていた。
『人が川に落ちたのか?』
『熊や猪など大型獣でも現れたのか?』
近くに車を停め、捕物や捜索を思い浮かべながら近づいてみるも然に非ず。
僕を含めた野次馬の目当ては「河北郡市消防団連合会出初式」だった。





近隣一帯から総動員された消防車が物々しくサイレンを鳴らしながら集結。
津幡川河川敷道路に縦列整列し、次々とホースを川面に下ろす。
身を切るような寒風が吹き抜ける中、下帯姿の男たちが身構える。
対岸の指揮車が旗振りに合わせ一斉放水。
観客からも拍手が上がった。



続いては本日(2025/01/13)「清水八幡神社」で行われた「左義長」。
ご存じ小正月の火祭り。
別名「どんど焼き」「鬼火焚き」。
門松や注連飾り、縁起物、書初めなどを焼き、その炎と共に歳神を送り、
一年の無病息災と幸福、豊作を祈る。





ちょうど鏡開き直後である。
参加者の多くが焚火で振る舞い餅を焼いていた。
僕も子供の頃、同じように竹竿を伸ばした記憶がある。
また神社社務所では「ぜんざい(200円)」を販売。
今年も一つ相伴に与る。旨かった。ごちそうさまでした。



ラストは上記左義長後に立ち寄った施設「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で撮影。
まずは「旗源平(はたげんぺい)」。
<百万石城下町金沢で行われた遊技で、お正月には武家、商家、老若男女を問わず
 賽の目より源氏(白旗)、平家(赤旗)をはげしく争奪する加賀藩独特の旗取ゲームです。
 これは、加賀前田家12代斉広 (なりなが)公の頃、武術の達人土方常輔が
 遊技を以て町民にも治にいて乱を忘れさせない意図で案出したものといわれています。
 遊具は笹竜胆(ささりんどう)の白、揚羽蝶(あげはちょう)の赤の
 纏(まとい)と旗をならべた優雅なものです。
 なお、この旗源平は明治の初期頃に金沢の旧家で用いられていたものを模したもので、
 旗はすべて手作りで旗の上にはそれぞれ「軍配」「千成ひょうたん」をつけ、
 勇壮さと優雅さを合わせ持った遊具です。>
(※<   >内、説明パネルより引用/原文ママ)



続いては「炬燵」。
僕個人の周囲からこの頭寒足熱の暖房器具が消えて久しい。
展示にあるとおり、コイツの上で飯を喰ったり、麻雀したりしたものだ。
ちょうど今「れきしる」では3月末まで
冬の民俗資料展「暖房器具のいろいろ」を開催中。
都合と時間が許せば足を運んでみてはいかがだろうか。

<津幡短信 vol.127>
                        
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