ほんの手すさび、手慰み。
イラスト連載、第百十五弾は「印象・夢二式美人」。
流行歌の作詞。
詩作・エッセイ・旅行記などの文筆。
半襟・千代紙などの図案。
広告のコピーライト、グラフィック。
そして「夢二式美人画」。
「竹久夢二」は、元祖マルチクリエイター。
芸術家として、デザイナーとして、ジャーナリストとして、
明治末~大正~昭和初期に一世を風靡したのは、ご存知の通り。
当時の文壇、画壇と一線を画した“放浪の流行作家”は、
各地に足跡を残し、ゆかりの地にはミュージアムが建つ。
生誕地・岡山、東京、群馬県・伊香保、そして金沢・湯涌温泉。
僕も「金沢湯涌夢二館」へ、何度か足を運んだ事がある。
18歳で単身上京した「夢二」が結婚した相手は、
金沢市生まれの女性「岸たまき」。
絵ハガキ屋で働く彼女に一目惚れしてのゴールインだった。
「大いなる眼の殊に美しき」と称えた妻をモデルに、絵筆を執る「夢二」。
独自の世界を切り拓き、成功への階段を登り始めた。
しかし、活動の充実とは裏腹に「たまき」との仲は冷え込んでゆく。
刃傷沙汰(と言われている)の末、離別。
わずか10年に満たない夫婦生活だった。
次に愛し合うようになったのが、
「夢二」にとって“永遠のひと”「笠井彦乃」。
この「彦乃」をモデルに「夢二式」の画風が確立する。
大正6年(1917年)、2人は金沢へ旅行。
画会、地元新聞への寄稿、ファンとの交流を持ち、
金沢の奥座敷「湯涌温泉」に、3週間あまり滞在。
そんなご縁から「夢二館」が設立されたという。
・・・施設の石碑には、次の短歌が刻まれている。
【湯涌なる 山ふところの小春日に 眼閉じ死なむと きみのいふなり】
儚くロマンチックで、抒情的で耽美的。
仄かに退廃の匂いすら漂う。
日清・日露戦争、米騒動、第一次世界大戦とシベリア出兵。
大正デモクラシー、関東大震災、満州事変。
メディア、通信、交通が飛躍的に発達。
「夢二」が生きた時代、日本は猛スピードで何処かへ向かっていた。
経済の激しい浮き沈みに翻弄され、急激な変化に戸惑う心。
憂いを帯びた表情の「夢二式美人画」に、
人は、現実逃避を求めるのかもしれない。