つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の風に舞う、桜吹雪と物想い。

2011年05月08日 15時59分15秒 | 草花
前回投稿の<追記>にて書いたとおり、
昨夜の津幡は雨が降った。
その影響もあってか、八重桜は散り時を迎えたようである。
「今日の一枚」は、今朝、散歩に出かけた折りに出会った「桜吹雪」。
津幡小学校新校舎向いの「ふれあい広場」で撮影した。

天気は快方へ向かっているものの、大気の状態はまだ不安定。
去り際の低気圧から吹く風が、雨粒のダメージを受けた桜を散らせる。
枝からはハラハラと花びらが舞い、
地面の残花が渦を巻いて飛ばされてゆく。
…一昨日、満開の姿を見た直後だっただけに、
花の季節の突然の終息に儚さを覚え、そして、一篇の歌を思い出した。

『How many roads must a man walk down,
 Before you call him a man?
 どれだけ道を歩けば、一人前の男と認められるんだろう。
 How many seas must a white dove sail,
 Before she sleeps in the sand?
 どれだけ海を渡れば、白い鳩は土の上で眠れるんだろう。
 How many times must the cannon balls fly,
 Before they're forever banned?
 どれだけ砲弾が飛び交えば、武器は永遠になくなるんだろう。
 How many years can some people exist,
 Before they're allowed to be free?
 どれだけ生きていれば、自由になれるんだろう。
 How many times can a man turn his head,
 And pretend that he just doesn't see?
 どれだけ顔を背ければ、見て見ぬふりができるようになるんだろう。
 How many times must a man look up,
 Before he can see the sky?
 How many ears must one man have,
 Before he can hear people cry?
 How many deaths will it take till he knows,
 That too many people have died.
 何度見上げれば、本当の青空が見えるんだろう。
 いくつ耳を持ったら、政治家は人々の叫ぶ声が聞こえるんだろう。
 どれだけの死体があれば、犠牲者の多さに気づくのだろう。
 The answer, my friend, is blowin' in the wind.
 友よ、その答えは、風の中に舞っている。
 The answer is blowin' in the wind.
 風に吹かれて舞っているんだ。』

(※原典:Blowin' The Wind / Bob Dylan 意訳:りくすけ)

1962年の春、当時20歳の「ボブ・ディラン」手がけ、
半世紀近くの間、歌い継がれている名曲。
60年代のベトナム戦争。
70年代のウォーターゲート事件。
80年代の反アパルトヘイト。
90年代の湾岸戦争。
2000年代のアフガニスタン戦争とイラク戦争。
世界が、人の行いが原因の不安に包まれた時にクローズアップされている。

そして、2010年代を迎え400日余りが経った先日、
またもや、この曲の歌声が聞こえた気がした。
9・11事件の黒幕とされる人物が殺害され、
発生から10年を経てアメリカの復讐が成就。
それは終わりの始まりではなく、新たな始まりのゴングかもしれない。
報復の先に待っているのは、果たして平和なのか?
その答えは、風の中に舞っている。
コメント
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