つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

小さな翼の未来に幸あらんことを。

2015年07月26日 08時41分28秒 | 自然
さしたる予定のない夏の休日。
猛威を振るっていた日差しが落ち着くと、僕はいそいそとキッチンに向かう。
ゆっくりと薄いハイボールを楽しみ、頭の芯が軽く痺れ始める頃、
外はオレンジ色に染まっている。
そろそろ「夕方ほろ酔い散歩」の潮時だ。
歩き慣れた道程、見慣れた景色のはずが、少し違った場所に思える。
また、普段はやり過ごしてしまうような音や匂いも気を留める。
少量のアルコールは、意識を開放し、感覚を鋭敏にしてくれる妙薬かもしれない。

…と、「津幡郵便局」の近くで、やや甲高い小さな鳴き声が耳に入った。
視線を上げると、そこには燕の巣が。

 

狭い排気口の上、泥と枯草を唾液で固めて作った巣に4羽の雛が並んでいる。
すっかり大きくなった体は、収まり切れずに、はみ出していた。
カメラを向けると、僕の接近に気付いてか鳴き声が喧しくなる。

その時、どこからか現れた親鳥に促され、1羽がテイクオフ!

 

最初は近くの電線に停まっていたが、やがて大きく羽ばたくと、
見る見るうちに遠ざかり、やがて夕日に溶けて見えなくなった。

しばらくは、ここで虫を追い栄養を蓄え、秋には南へと渡りに出るのだろう。
中には、台湾~オーストラりア北部~マレー半島まで達する強者もいるそうだ。
道中の無事を祈る。
そして、来年の春には、また津幡町に帰って来いよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝承~Carry On My Wayward Son.

2015年07月25日 11時32分48秒 | 日記
津幡町西部…津幡川下流域に位置する「井上地区」。
ここは、大きく2つの地域に分かれていると言えるだろう。
昭和29年(1954年)3月31日に合併するまで「井上村」だった旧市街地と、
平成14年(2002年)に都市計画が始まった「井上の庄」だ。
俯瞰図を見れば一目瞭然。
それぞれの街を歩いてみると、その違いは更に顕著である。

  

青枠内の新住宅街は、高さや規格に一定の基準を設けた建物が並ぶ。
上水道、公共下水道、ガスなど、インフラ類は予め整備済み。
電線も地中に敷設されていて、統制が取れている。

対して、赤枠で囲った旧市街地は、区割りも建物のサイズもまちまち。
道幅は狭く、林立する電柱から電柱へと空中線が這い、
神社やお寺、墓地などが住宅と隣接している。

個人的な好みという点では、
古式蒼然として昭和の面影を残す後者に軍配を上げたい。
景色に統一性がなく、軒先や辻に生活感が溢れ、散歩していて面白いのである。

また、この井上の旧市街は「伝承」にも熱心だ。

  

画面中央からやや左手…十字路道路標識の辺り。
用水路と建物の間に立つ小さな高札には、次のような文面が記されている。

【共同浴場跡】
『昭和二十二年~平成の初め頃まで川尻地内に
 六ヵ所の共同浴場が存在した。川尻においては
 明治期から中橋地内より飲料水を通水していたが
 そのイケ(井戸)仲間が六組織あった。
 このイケ仲間が共同浴場をつくる母体になったのである。
 共同浴場は衛生面はもとよりコミュニケーションの場として
 また地域の連帯感や活性化、そして躾や教育面などにも
 大きな役割を果たしてきたのである。
                平成二十五年 井上地区』

湯煙に混ざって、人々の笑い声が聞こえていた様子が偲ばれる。
井上地区には、他にも、ゆかりのある偉人や遺構について、
同様の配慮がなされた場所が多い。
こうした、失われた過去を伝承する取り組みは、意義深いと思う。

ところで、共同浴場跡の画像の右端に、
4人のランナーが写っているのが分かるだろうか?
これは、津幡町の夏の風物詩、
早朝ジョギングによって、夏休み中に100キロ走破を目指す「100キロコンペ」の一幕だ。

100キロコンペは、昭和47年(1972年)、
石川県政100周年記念事業としてスタートした。
つまり、元々は全県下で展開していたが、今や津幡町のみ。
しかも井上と中条、2つの地区だけが伝承している。

かつては、町内の他地域でも盛んに行われていたが、
中心部は自動車の通行量増加、山間部は熊出没が増えるなど、
安全を考慮した結果、減少していったそうだ。
加えて、個々の生活と地域社会の繋がりが薄れた事、
世の中から次第に余裕がなくなっていった事が遠因ではないだろうか?

【100キロコンペコース跡】
…などと札(ふだ)が立たない未来を望む。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海の王者を見た!

2015年07月20日 21時00分36秒 | 賭けたり競ったり
全国気に厳しい暑さとなった本日・海の日。
一昨日に投稿したとおり、お隣・福井県の「三国競艇場」へ行ってきた。
「第20回 オーシャンカップ競争」を観戦するためである。

 

12Rの優勝戦、栄冠と賞金(2,500万円)を手にしたのは
「石野 孝之(いしの・たかゆき)選手」。
おめでとう!
 
【ボート】石野貴之が2度目のSGV

で、自分の戦績は…優勝戦は的中したもののトータル4勝6敗。
収支はマイナスだったが、
SG初観戦をとても楽しむ事ができた。
何しろ実力上位の人気レーサーたちが覇を争うビッグイベントだけに、
場内はお祭りムード。
 
人出も多い。
 
また、個人的なイチオシレーサー
「毒島 誠(ぶすじま・まこと)選手」の走りを目の前で観て、
年甲斐もなくコーフンしてしまった。
(次の画像-向かって右手の一号艇)
 
昨日に続いて、分かる人にしか分かってもらえない投稿である(笑)

そして、帰り道。
的中舟券の払い戻しのため「ミニボート津幡」へ立ち寄ってみたところ…
周辺の幟が「オーシャンカップ」から、「レディースチャンピオン」に変更済み。
即日の素早い対応に感心した。

 

次回は、女の意地がぶつかり火花を散らす真夏の決戦!
…いかなきゃ!勿論、丸亀ではなく津幡で観戦である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

守っているのは、砂か?稲か?

2015年07月19日 05時00分38秒 | 音とアート。
♪砂の嵐に隠されたぁ
 バビルの塔に住んでいる 超能力少年 バビル2世
 地球の平和を守るため 三つのしもべに命令だっ(ヤー!)
 怪鳥ロプロス空を飛べぇ
 ポセイドンは海を行けっ
 ロデム変身地をかけろぉぉぉ~♪

ご存じだろうか?
アニソン界のアニキ…「水木一郎」が歌う
アニメ「バビル2世」の主題歌である。

「バビル2世」は、昭和48年(1973年)に放送された。
主人公は、超能力を持つ「浩一少年」。
彼が三つのしもべ…怪鳥ロプロス、巨大ロボ・ポセイドン、
変身能力を操るロデムと共に、
やはり超能力者で世界征服を企む人物「ヨミ」と戦う物語。
翌74年の「ユリ・ゲラー」来日に端を発して巻き起こる、
“超能力ブーム”の魁(さきがけ)と言える作品である。

他にも、以前から、軍事、SF、魔法などのジャンルには、
超能力を用いるキャラクターはいた。
しかし、念動力、予知、瞬間移動、透視といった、
複数の能力を備えたエスパー同士が、
超能力戦を繰り広げる設定は、斬新だったと思う。

ま、とにかく、子供の頃の僕は、
毎回、ハラハラワクワクしながら鑑賞し、
テーマソングにも胸を躍らせたものだった。

そして、先日の散歩中、
その旋律が脳裏に蘇ってきて、ココロが踊ってしまった。
キッカケになったのは、この景色である。

 

♪稲の緑に隠された
 JAかほくに住んでいる 超農力集団 アグリ2世
 ニホンの農家を守るため TPPに反対だっっ!(押忍!)
 高松ぶどうデラウェアぁぁ
 大崎スイカは大玉だっ
 河北潟は穀倉地ぃぃぃぃ~♪

瑞々しい稲の葉の海に囲まれた建物目指して歩きながら
分かる人にしか分かってもらえない替え歌の歌詞を考えてみた。
いざ、到着てみると…そこには勇ましい幟旗が。

 

風に棚引くそれは、豊かな実りを訴える戦いの旗印である(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遥かなる島影、OKINAWAの面影。

2015年07月18日 10時32分18秒 | 日記
もうすぐ「海の日」。
「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」として、
国民の祝日になったのは平成8年。
日本各地で記念行事が予定されているが、
わが愛する「競艇」界でも、SG(Special Grade)レース
「オーシャンカップ競走」の決勝戦がある。
今年は、石川県のお隣・福井県の「三国競艇場」が戦いの舞台。
隙あらば、是非、本場へ出かけたいと考えている(笑)。

…とまあ、それはさて置き、
先日、散歩中に買い物したコンビニで「珍しい釣銭」をもらった。

 

画像の中心に置いた「沖縄国際海洋博覧会」の記念100円硬貨である。

沖縄エキスポの開催は、硬貨に刻印されている通り、
昭和50年(1975年)7月20日から、
翌年1月18日までのおよそ半年間。
当時のニュース映像で、同イベントのシンボル、
「手塚治虫」プロデュースによる未来型海洋都市「アクロポリス」や、
白亜の大観覧車がそびえる遊園地「エキスポランド」、
それらの会場へ向かう人波などを見た記憶がある。

アメリカから日本へ返還されて、まだ3年余り。
陽光降り注ぐ亜熱帯の風景。
耳慣れぬ島唄の旋律と方言。
北陸の小学生にとって、まだ見ぬ「OKINAWA」は、
充分にエキゾチックで、遠い異国のようなものであった。

あれから40年。
当時と比べれば、僕と沖縄の距離はグッと近くなった。
沖縄出身のミュージシャンやタレント、アスリートは、
日本のメインストリームで確固たる地位を築いている。
沖縄の食材や料理を口にすることは珍しくない。
沖縄出身の友人だってできた。
…しかし、僕は、まだ直接足を運んだ事がない。
沖縄に関する知識は増えたが、肌で体験していないためか、
実感としては、島影はやはり遥かなる彼方に浮かんでいる。

ところで!
前述の「第20回 オーシャンカップ競走」では、
沖縄在住のレーサー「原田幸哉」選手が、予選3日目を終えて、
得点ランク2位に着けている。
こうして沖縄に関する投稿を思いついたのも何かの縁。
ひとつ、彼から狙ってみるか?!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする