つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

遺された景観。~パーソナル以前。

2019年01月27日 15時51分01秒 | これは昭和と言えるだろう。
前回の投稿「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で行われている企画展に足を運び、
津幡町に電話が開通したのは、明治42年(1909年)と知る。
遡る事110年前だ。
姿の見えない遠方の誰かと話ができるなんて、先人たちは、さぞ驚いただろう。

その“魔法の箱”は、高嶺の花。
黎明期の通話料は、年額40円あまり。
男性工員の月給の10倍以上というから、現在の価値は300万円にもなるだろうか。
おいそれと手に入れられるものではない。
そこで登場したのが、不特定の者が利用できるように道路や施設内に設置した電話機だ。

硬貨やテレホンカードを差し込んで電話をかける「公衆電話」。
今では、すっかり見かけなくなった。
この画像は、旧・電電公社(NTT)津幡支局前で撮影。
貴重な電話ボックスである。

内部には、緑の電話機。
昭和57年(1982年)に誕生した「テレホンカード」を利用できる「カード式」である。

公衆電話の歴史を紐解いてみると、普及は戦後。
電電公社が駅や商店などに管理を委託する「赤電話」。
電話ボックス用が「青電話」。
100円硬貨を利用できる「黄電話」。

携帯電話が普及する以前、悲喜こもごもの報せを伝えてきた公衆電話。
今は昔である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町近代史。

2019年01月26日 23時58分20秒 | 日記
平成30年(2018年)は、明治維新から150周年の節目だった。

江戸から明治へ。
鎖国から開国へ。
国際社会にデビューした新人「大日本帝国」のスローガンは「脱亜入欧」。
アジアを脱し、ヨーロッパ列強と肩を並べるべく、邁進した。
「日清 WAR」。
「日露 WAR」。
立て続けにスマッシュヒットを繰り出し注目を集めるも、
続く「満州エレジー」は、空振りに終わる。
ならばと、一大プロモーションを張り「大東亜共栄圏」興行を打つが、大失敗。
方向転換し「アメリカ万歳~ニホンはつらいよ」シリーズで世界経済に食い込み、
「愛はバブル」を経て、現在に至る。

・・・色々と解釈、ご意見はあるだろうが、明治は「近代の曙」だと思う。
当時、北陸の片田舎・津幡町はどんな様子だったのか?
その一端が窺える企画展が「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で行われている。
企画展「明治の歩み つなぐ、つたえる」だ。

明治天皇来訪の記録や御下賜品(ごかしひん)。
赤い絹織物、菊の御紋入り朱塗りの盃。
巡行の際、町中心部は姿を一目見ようと、
黒山の人だかりとなったと紹介されていた。

尋常小学校の教科書。
実物を手に取って、閲覧できる。
中でも「萬国地理初歩」が面白かった。
編集者が諸国漫遊する紀行文で、外国を紹介している。

「赤紙」になる以前の召集令状。
わが町からも多くの若者たちが戦地へ赴いた。

会場では「津幡町史」から抜粋した、明治期の出来事一覧も配布されていた。
一部を紹介する。

明治2年(1869年) 浦上天主教徒 津幡通過。
明治4年(1871年) 種小学校設立。
明治10年(1877年)津幡大火、御旅屋消失。
明治11年(1878年)明治天皇北陸巡行、街道改修。
明治22年(1889年)津幡火消組合結成。
明治26年(1893年)津幡川・河北潟水運最盛期。
明治30年(1897年)ウンカの被害にて北海道移住多し。
            津幡郵便局 電信業務開始。
明治31年(1898年)北陸線・七尾鉄道開通。
明治42年(1909年)電話開通。

展示品と見比べながら過去を振り返ると、
時代の転換点にいた先人たちの暮らしぶりが、偲ばれる。

また、「民俗資料コーナー」・・・「昭和の娯楽」展示も、なかなか楽しい。

会期は3月終盤まで。
「れきしる」では、常設展で津幡町の文化財と記録、歴史について紹介している。

機会があれば、是非どうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドールから考察する「遊び」。~リカ&バービー。

2019年01月20日 12時56分32秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第百四弾は「リカとバービー(擬人化)」。

僕には、妹が2人いる。
遠い記憶を手繰ってみると、彼女たちの手には「お人形」。
カールした茶髪、大きな瞳、フリルをふんだんに使った衣装。
細身で実に可愛らしい。
名前は「リカちゃん」だと言う。
日本人とも、外国人とも受け取れるネーミングと容姿は、
普段、自分が遊ぶ異形のソフトビニール製とは、随分違っていた。

また、幼馴染の家に行った際、別のタイプを目撃。
彼の姉が所有していた「バービーちゃん」と呼ばれるそれは、
かなり大人びていてセクシーな印象を受けたのである。

「香山リカ」は、日仏ハーフ。
7人姉弟の次女。
5月3日、牡牛座生まれの11歳。
「ハートヒルズ学園」初等部の5年生。
性格は明るく、ちょっぴりおっちょこちょい。
趣味はイラストを描くことと、歌うこと。

もう一方の雄の本名は「バーバラ・ミリセント・ロバーツ」。
北米五大湖の畔・ウィスコンシン州の架空の街「ウイローズ」出身。
5人兄弟の長女。
年齢17歳、職業ファッションモデル。

トイドール市場ではライバル関係にある「リカ&バービー」。
もしも、2人が仲良く戯れたなら、
・・・と妄想逞しくしてみたのが、今拙作である。

さて「あそび」を辞書で引くと、以下のような記載がある。

① あそぶこと。なぐさみ。遊戯。
② 遊興。特に、酒色や賭博をいう。「-好き」「-人」
③ 仕事や勉強の合い間。「-時間」
④ (文学・芸術の理念として)人生から遊離した美の世界を求めること。
⑤ 気持ちのゆとり、余裕。

「なくても命を落とさないが、なくては生きてゆけないもの」。
「生きる張り合い」。
僕の場合「競艇」、「お絵描き」や「物書き」などがそれにあたる。
きっと人は、死ぬまで遊びと離れられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜に佇み、昔日を想い、舌鼓を打つ。

2019年01月19日 23時12分57秒 | 旅行
僕は、年に一度、とある用事で東京に出張する機会がある。

2019年は、きのう1月18日がその日。
仕事が立て込んでいて、スケジュールは日帰り。
お江戸での滞在時間は7時間あまり。
現地での会議を済ませ、慌ただしく帰路に就き、
北陸新幹線に乗り込むため東京駅へ。
発車のベルが鳴るまで、束の間の散歩。
やはり、都会の夜は明るい。

空間の明度を表す単位は「lx(ルクス)」。
蛍光灯による居間は300~500ルクス。
オフィスは750〜1000ルクス。
夜間営業の店舗は1000〜2000ルクス位が標準。
人の眼は、20ルクス以上で物の形が、400ルクスを超えると色が判別できる。
東京の夜は「煌々としている」と言っていいだろう。

しかし「江戸」と呼ばれていた頃は、こうはいかない。

電気はない。
ガスもない。
灯油ランプは明治以降の照明器具。
蝋燭はあったが、高価で庶民的ではなかった。
江戸時代の代表的な照明器具は、行灯(あんどん)
燃やすのは、動物や植物の油だ。
燃料の主は鰯から摂った「魚油」。
そのルクスは、せいぜい3~5。
目に映る夜景は、随分とボンヤリしていたに違いない。

陽が昇ると動き、沈めば寝る。
行動は二極分化されていた。
昼と夜は、別の世界である。

・・・さて、などと昔日に想いを馳せながらそぞろ歩いていたら空腹を覚え、
昼飯抜きだったと思い出す。
東京駅のガード下、はとバス乗り場前に「街中華」を発見。

店名は「中華 三富」。
読み方は分からない。
調理場には湯気が立ち上り、ベテランと思しき職人さんが鍋を振るっていた。
カウンターに座った途端、旨そうな匂いや油が爆ぜる音に腹が鳴る。

「タンメンとギョーザ」。

ほんの少し迷って注文を入れ、ひと心地付く。
後ろのテーブルでは、同級生らしい集まりの先輩方が盛り上がっている。
取り留めのない会話が飛び交い、実に楽しそう。
他の席では、カップルらしい男女がにこやかに談笑しながら、
唐揚げを突いている。

スマホで翌日の業務連絡をするうち、まずギョーザが到着。

続いてタンメン。

手を合わせてから食す。
もやし、キャベツなどの野菜が細麺と塩味のスープに絡む。
ニラとニンニクが効いた点心の皮はモチモチ。
しばし真摯に向き合い没入。
ごちそうさまでした!

腹も心も満ち、僕は「かがやき号」のシートに身を沈めた。
お江戸の人たちが、こんな鉄道を見たらどう思うだろう。
少し想いを巡らせ、眠りに落ちた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1277回目の投稿。

2019年01月13日 22時52分44秒 | 日記
とある検索サイトで「津幡町」と入力し、町の公式HPを閲覧した後、
広告枠にバナーが出るようになった。

これはバナー画像をコピーして貼り付けただけだが、
実物をクリックすると、津幡町移住・定住PRサイトへ飛ぶ。
(アドレス:http://www.town.tsubata.ishikawa.jp/welcome/)
中を覗いてみて、初めて知った事も多い。

例えば、移住支援制度の一つ「住宅取得等奨励金」。
 新たに一戸建て住宅を取得した方や、増改築、改修を行った方を対象として
 最大105万円の住宅取得等奨励金を交付。
 また、三世代ファミリー同居等促進事業補助金との併用も可能で、
 その場合は合計最大150万円。

同じく「農村定住奨励金」。
 対象となる農山村集落で住宅を新築、購入されたご家族に
 20万円(世帯員全員が転入者の場合は40万円)を交付。
 さらに、世帯に16歳未満の子供がいる場合は1人につき5万円を加算。

他にも、様々な取り組みがある。
どれも大同小異、全国で行われている類いだと思う。
人口減と少子高齢化は、地方自治体にとって切実な問題。
その対策の一環だ。

サイトには、移住者の声も紹介されていた。
お三方のインタビュー記事のタイトルは、こう銘打たれている。
「地域の人たちと家族のような繋がり」
「暮らしやすく安心で、子育てのしやすい環境」
「大都会では味わえない自然に囲まれた生活」
当たり前だが、内容は肯定的だ。

果たして、わが津幡町は、外の人の目にどう映るのだろう。
産業、観光資源に乏しく、大きな特徴はない。
自然は豊か。
文化水準は、平均レベル。
インフラは、まあ充実していると思う。
いわゆる田舎町だ。

掲載画像は、散歩中に撮影した町内のスナップ。
春夏秋冬それぞれのワンシーンである。

僕は、ここが好きだ。
偶然ここに生まれ、暮らし、時を重ね、愛着を抱いている。
これからも、時間と気持ち、環境と状態が許す限り、
散歩を通じて町の様子を綴ってゆきたいと考えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする