「今日の一枚」は2010年5月10日に撮影した、建築中の津幡小学校・新校舎。
現在は立派な建物が完成しているがシャッターを切った頃はまだ外郭のみ。
そして、以前ここには、前回投稿したショッピングセンター「スカール」があった。
今回は「津幡町史」から、スカール出店当時の状況を記した個所を引用したい。
紙面上の項目タイトルは“ビックストアーの進出”。
『津幡町の工業の一中核をなしていた石川織物株式会社は
企業の集中合理化を図るため、
その発祥地である津幡の工場を撚糸部門を残して昭和四十七年に閉鎖した。
その跡地に昭和四十八年九月末に
ショッピングセンターが開設されることになった。
これは同系の西川物産グループが同四十六年、
新に石川興産株式会社を設立し、土地・建物・レジャー事業に進出し、
その第一陣の事業としてこれを始めた。
食品・日用品の名鉄、衣料のいとはんをキーテナントとし、
三二の専門店を入居させる計画で、七,八三四平方㍍の二階建て店舗を
四億五〇〇〇万円の工費で建設した。
なかには子供の遊び場やレジャー施設も設け、年商二〇億円を目標とし、
河北郡と金沢市北部を商圏とする計画である。
郊外のショッピングセンターとしては北陸最大規模と豪語している。
これに対して地元商業者は死活問題として苦悩している。
津幡町商業の昭和四五年の年間販売額は二七.九億円であり、
ショッピングセンターに吸収される額は相当と予測され、
新たな商圏の開拓が緊要とされている。
とくに近接の銀座・中央その他の商店街は深刻な問題としている。
商工会は同センターのテナント入居に地元優先を希望し、
共存共栄を考えているが、商業活動の競争の激化は必定であり、
一層の努力が必要となる。
同センターへの顧客の吸収は地元にプラスの面もあるので、
これを機に商業の振興策を打ち出すべきである。』
(※津幡町史より抜粋:原文ママ)
「スカール」という大型新人のデビューが、
津幡町内外に喧噪を巻き起こした様子が窺える。
前回の投稿に書いた【津幡町内から進出した“2号店”も多かった】という
理由の一端も分かった。
子供だった僕は、遊び場と楽しみが増えて喜ばしい限りだったが、
大人たちは色々と大変だったのである。
しかし、そんな悲喜交々すら今は昔。
時間は流れ、北陸最大級の郊外型ショッピングセンターは消えた。
一方、津幡町内の商店街は、往時そのままではないが残っている。
そして、アルプラザ津幡ができ、イオンかほくが現れ、
インターネットという別世界では、店舗を持たない巨大市場が生まれた。
…北陸の小さな町における流通だけを考えても大きな変わり様。
金融や通信、文化などの変遷は目まぐるしくスピードも速い。
一体、津幡町の将来の姿は、未来はどうなってゆくのだろう?
神のみぞ知る領域に幸あらん事を。
現在は立派な建物が完成しているがシャッターを切った頃はまだ外郭のみ。
そして、以前ここには、前回投稿したショッピングセンター「スカール」があった。
今回は「津幡町史」から、スカール出店当時の状況を記した個所を引用したい。
紙面上の項目タイトルは“ビックストアーの進出”。
『津幡町の工業の一中核をなしていた石川織物株式会社は
企業の集中合理化を図るため、
その発祥地である津幡の工場を撚糸部門を残して昭和四十七年に閉鎖した。
その跡地に昭和四十八年九月末に
ショッピングセンターが開設されることになった。
これは同系の西川物産グループが同四十六年、
新に石川興産株式会社を設立し、土地・建物・レジャー事業に進出し、
その第一陣の事業としてこれを始めた。
食品・日用品の名鉄、衣料のいとはんをキーテナントとし、
三二の専門店を入居させる計画で、七,八三四平方㍍の二階建て店舗を
四億五〇〇〇万円の工費で建設した。
なかには子供の遊び場やレジャー施設も設け、年商二〇億円を目標とし、
河北郡と金沢市北部を商圏とする計画である。
郊外のショッピングセンターとしては北陸最大規模と豪語している。
これに対して地元商業者は死活問題として苦悩している。
津幡町商業の昭和四五年の年間販売額は二七.九億円であり、
ショッピングセンターに吸収される額は相当と予測され、
新たな商圏の開拓が緊要とされている。
とくに近接の銀座・中央その他の商店街は深刻な問題としている。
商工会は同センターのテナント入居に地元優先を希望し、
共存共栄を考えているが、商業活動の競争の激化は必定であり、
一層の努力が必要となる。
同センターへの顧客の吸収は地元にプラスの面もあるので、
これを機に商業の振興策を打ち出すべきである。』
(※津幡町史より抜粋:原文ママ)
「スカール」という大型新人のデビューが、
津幡町内外に喧噪を巻き起こした様子が窺える。
前回の投稿に書いた【津幡町内から進出した“2号店”も多かった】という
理由の一端も分かった。
子供だった僕は、遊び場と楽しみが増えて喜ばしい限りだったが、
大人たちは色々と大変だったのである。
しかし、そんな悲喜交々すら今は昔。
時間は流れ、北陸最大級の郊外型ショッピングセンターは消えた。
一方、津幡町内の商店街は、往時そのままではないが残っている。
そして、アルプラザ津幡ができ、イオンかほくが現れ、
インターネットという別世界では、店舗を持たない巨大市場が生まれた。
…北陸の小さな町における流通だけを考えても大きな変わり様。
金融や通信、文化などの変遷は目まぐるしくスピードも速い。
一体、津幡町の将来の姿は、未来はどうなってゆくのだろう?
神のみぞ知る領域に幸あらん事を。