つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の大型複合店奇譚2。

2012年03月29日 07時23分03秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は2010年5月10日に撮影した、建築中の津幡小学校・新校舎。
現在は立派な建物が完成しているがシャッターを切った頃はまだ外郭のみ。
そして、以前ここには、前回投稿したショッピングセンター「スカール」があった。
今回は「津幡町史」から、スカール出店当時の状況を記した個所を引用したい。
紙面上の項目タイトルは“ビックストアーの進出”。

『津幡町の工業の一中核をなしていた石川織物株式会社は
 企業の集中合理化を図るため、
 その発祥地である津幡の工場を撚糸部門を残して昭和四十七年に閉鎖した。
 その跡地に昭和四十八年九月末に
 ショッピングセンターが開設されることになった。
 これは同系の西川物産グループが同四十六年、
 新に石川興産株式会社を設立し、土地・建物・レジャー事業に進出し、
 その第一陣の事業としてこれを始めた。
 食品・日用品の名鉄、衣料のいとはんをキーテナントとし、
 三二の専門店を入居させる計画で、七,八三四平方㍍の二階建て店舗を
 四億五〇〇〇万円の工費で建設した。
 なかには子供の遊び場やレジャー施設も設け、年商二〇億円を目標とし、
 河北郡と金沢市北部を商圏とする計画である。
 郊外のショッピングセンターとしては北陸最大規模と豪語している。
 
 これに対して地元商業者は死活問題として苦悩している。
 津幡町商業の昭和四五年の年間販売額は二七.九億円であり、
 ショッピングセンターに吸収される額は相当と予測され、
 新たな商圏の開拓が緊要とされている。
 とくに近接の銀座・中央その他の商店街は深刻な問題としている。
 商工会は同センターのテナント入居に地元優先を希望し、
 共存共栄を考えているが、商業活動の競争の激化は必定であり、
 一層の努力が必要となる。
 同センターへの顧客の吸収は地元にプラスの面もあるので、
 これを機に商業の振興策を打ち出すべきである。』
                        (※津幡町史より抜粋:原文ママ)

「スカール」という大型新人のデビューが、
津幡町内外に喧噪を巻き起こした様子が窺える。
前回の投稿に書いた【津幡町内から進出した“2号店”も多かった】という
理由の一端も分かった。
子供だった僕は、遊び場と楽しみが増えて喜ばしい限りだったが、
大人たちは色々と大変だったのである。
しかし、そんな悲喜交々すら今は昔。
時間は流れ、北陸最大級の郊外型ショッピングセンターは消えた。
一方、津幡町内の商店街は、往時そのままではないが残っている。
そして、アルプラザ津幡ができ、イオンかほくが現れ、
インターネットという別世界では、店舗を持たない巨大市場が生まれた。

…北陸の小さな町における流通だけを考えても大きな変わり様。
金融や通信、文化などの変遷は目まぐるしくスピードも速い。
一体、津幡町の将来の姿は、未来はどうなってゆくのだろう?
神のみぞ知る領域に幸あらん事を。
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津幡町の大型複合店奇譚。

2012年03月28日 22時21分52秒 | これは昭和と言えるだろう。
前回「アルプラザ津幡」に加わった新しい店に関して投稿したが、
何を隠そう、僕はこの大型複合店が好きだ。
その理由は、これまで度々取り上げてきた場所
ショッピングセンター「スカール」の面影を見てしまうからである。

昭和48年(1973年)9月に開店。
建物内に大きな通路やホールを有する2階建てのそこは、
津幡町内に限らず、金沢市北部、現在のかほく市からも
買い物客が詰めかけ、週末ともなれば大層な賑わい。
ネーミングの由来になったスカール…フランス語で“広場”の意が表す通り、
人々が集う場所だったのである。
そして、華やかなりしスカールの始まりの輪の中に、少年時代の僕もいた。
思いつくまま施設内の様子を振り返ってみると…

@レストラン・喫茶「十字」
⇒金沢市利屋町のファミリーレストラン。
  僕はここで生まれて初めて「マカロニグラタン」を食べた。
  マカロニとベシャメルソースの組み合わせの妙に感激。
  オーブンすらなかった当時の一般家庭では、
  まず味わえなかった洋食メニューだった。
@「寿がきや」
⇒名古屋資本の和風とんこつラーメンと甘味処。
 アルプラザ津幡にも出店し、嬉しい限りである。
 (※2010年7月11日の投稿に詳しい)
@「森永」
⇒カウンター式になったアイスクリームやソフトクリームの販売店。
 うやうやしく銀色に輝く専用スタンドに支えられ目の前に現れた
 真っ白なソフトクリーム…。
 バニラの香り豊かでとろける様な食感は、忘れ難い。
@「サウンドライブ」
⇒津幡町銀座中央商店街の「松村電気商会」が経営する
 オーディオ、レコードを中心にした電機店。
 音楽に接する貴重な店だった。
 (※2010年10月31日と、2011年2月26日の投稿に詳しい)
@「いとはん」
⇒2階の大部分を占め衣料品と雑貨を販売。
 ジャスコから、現イオンと呼称が変わった事を思えば隔世の感がある。
 同階には、呉服、婦人服などを販売する他の店舗もあった。
@「いしぐろ」
⇒やはり2階のおもちゃ屋である。
 僕が何を買ったかは覚えていないが、店頭のガチャガチャに興じた。
 また、近くのゲームコーナーでは、塾の学費を使いこんで
 ピンボールやクレーンゲームなどを楽しんだ。
(※2010年12月18日の投稿で触れた)

…他にもお花屋さんやお菓子屋さんなど色んな店があり、
津幡町内から進出した“2号店”も多かった。
河北地区におけるショッピングセンターの先駆け「スカール」。
その魅力は、記憶の中にしかない。
現存していないのだが、奇妙に鮮やかな蜃気楼のようである。
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津幡町のワンダフルな新顔。

2012年03月24日 17時59分02秒 | 日記
きのう、アルプラザ津幡に新しいお店がオープンした。
『ハンバーガーのワンダフル 津幡店』。
県内資本のファーストフードチェーンであり、
金沢・県庁近く、片町に続く3店舗目なのだそうだ。

今朝、アルプラの扉が開いた直後に訪問してみた。
カウンターには、既に数人の列が。
なかなかの盛況である。
注文を済ませ、やや離れたところから様子を窺っていると、
スタッフの皆さんが忙しく動き回っていた。
開店間もない事もあり不慣れな面も見え隠れしていたが、
気楽な部外者からすれば、それすら華やいだ雰囲気に感じられる。

…さて、僕がいただいたのは「L.A.チーズ&アボカドバーガー」。

         

単品380円。 ボリューミー。
店内で小麦粉から成型し、焼き上げたというバンズ。
挟んである野菜は、県内産などのトマト、玉ネギ、レタス。
パテに使う牛挽肉は、塊を店内でミンチに加工したもの。
アボガド、チーズとのバランスもいい。
個人的には、かなり気に入った。

そして、気になるポップも。

         

「ハンバーガーのワンダフル」では、お店毎にオリジナルメニューがあるらしい。
果たして「津幡バーガー」とは…??
店員さんに聞いたところ、Coming Soonだとの事。
また、足を運んでみようと思う。
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津幡町内、続・平成二十四年春のリニューアル。

2012年03月22日 23時13分45秒 | 日記
今回は、前回の「清水の泉リニューアル」の続編と言える。
まずは早速“改装前”をご覧いただこう。

          

2枚の写真…撮影場所は、いずれも津幡中央銀座商店街。
同じポイントでシャッターを切ったのだが、建物の入口が違う。
「冒頭の一枚」は、あえて中が窺えない構造。
「本文の一枚」は、典型的なショーウインド。
新しくなった事は一目瞭然である。

…このお店「シャディサラダ館 津幡店」は、
看板に名残があるとおり、かつては酒屋さんだった。
時間を遡る事200年近く。
文化年間(1810年代)に創業し、昭和末期まで続いた「岩井酒造」。
河北郡最大規模の生産量を誇っていたのだとか。
前回掲載した湧水を使って御酒を醸し、
多くの人の喉を潤して、憂さを晴らしたのだろう。
そんな老舗が酒販店になり、ギフトショップへとシフトチェンジ。
過去を思い描き、現在の佇まいを諦観すれば、時の流れを感じてしまう。

そして、時は今も流れている。
インターネットショッピング華やかなりし現在。
昔と比べて流通の形態は激変した。
店舗の顔をリニューアルしたのは、年数を経たためだけでなく、
これからの時代を見越した対応でもあるのだろう。
これからも頑張って欲しい。
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津幡町内、平成二十四年春のリニューアル。

2012年03月20日 20時30分44秒 | 日記
「冒頭の一枚」は、今朝の散歩で撮影した「清水(しょうず)の泉」。
2010年6月19日にも投稿した“汲めども尽きぬ津幡の恵み”。
どこを掘っても「清い水」が出るという事で、
石川県河北郡津幡町「清水(しみず)」と呼ばれる地域の象徴である。
その傍…画面左手の掲示板には、清水区からのお知らせが掲載されていた。

『清水(しょうず)の環境維持について

 1.井関圃のコンクリ土間の下が空洞になっていたのを、
   砕石を入れて土間が沈下しないようにしました。
 2.流水口と溜まり水の水位差が少なく、汲み難かったので、
   溜まり水の水位を下げる工事をしました。
 3.流水口の穴にホースなどを突っ込む人がいて衛生的に問題があるので
   穴の裏に障害スクリーンを設け入らないようにしました。
 4.井の前の道路(町道)のコンクリ舗装の下が
   「おろお」になっていたのを埋めて、沈下防止をしました。
 5.23年夏に、植栽を剪定するなど美化に努めています。
 6.毎年4回、公共の検査機関による水質検査を実施して、
   飲用に安心して頂けるよう保全しています。
 
清水区ではこのように「しょうず」の安全と環境美化に努めています。
 水を汲みに来られる方々にも、「皆さんの名水」を末永く維持するため、
 「不動尊」にお参り頂き、浄財を献納下さるよう、
 ご協力をお願いいたします。
                           24年2月 清水区』(※原文ママ)

また「北陸保険衛生研究所」による「水質検査結果書」も併載。
安全のお墨付きをもらった格好である。

 

確かに整備されていた。
顕著に分かるのは、上記にあるとおり流水口の変化である。
以前は長方形の注ぎ口。
現在は二本のパイプ状。
水の落差も大きくなった。
また、泉周辺のコンクリートも新しく堅牢になった。
僕が子供だった頃からすれば、三十数年を経たリニューアルである。
ポケットを探り、幾許かの浄財を献納させていただいた。
今後も恵みの変わらぬ事を祈って…。
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