つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

THE BRAVE ONE.

2022年04月24日 05時05分05秒 | 手すさびにて候。
                        
もしも、数ある楽器の中で「一番好きなものは何か?」と問われたなら、
僕は迷った末に「バイオリン」と答えるだろう。

全長およそ60cm。
重量1kg未満。
内部が空洞になった木の箱に張られた弦の数は、わずか4本。
コンパクトかつシンプルな構造ながら、4オクターブもの音域を誇る。
様々な曲想を奏で、独奏でも、多重奏でも、楽団でも、音楽の中心を担う花形。
バイオリンは“小さな音の宇宙”だ。

確か、高校一年の夏休み。
この曲を聴いて以来、そう思っている。

E. Lalo, Symphonie Espagnole. María Dueñas, violin


「エドゥアール・ラロ」作曲、「スペイン交響曲」第一楽章。
まず、大音量でダイナミックなモチーフが押し出される。
それを受け止めるバイオリン・ソロの気高さといったら---。
艶と色気を湛えた華麗な音色。
力強く美しい透明感。
張り詰めた緊張感。
一聴した瞬間、心臓を鷲掴みにされた。
--- と、同時に連想した情景があった。

1挺でフルオーケストラと渡り合うバイオリン。
1人きりで大きな猛牛に立ち向かうマタドール。

情熱的な旋律と共に浮かんだ印象は、今も脳裏に焼き付いている。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十九弾「バイオリンの音色は勇者の調べ」。



青が支配していた空に、茜が忍び込み始めた午后。
石造りの円形スタジアムから、数万人が醸す熱気が立ち上る。
大観衆の歓呼に促され、赤土の舞台に闘牛士が登場。
手にしているのは、赤い一枚のケープと一振りの剣。
散々槍と銛に突かれ弱っているとはいえ、
人を遥かに凌駕する力を持つ獣と闘うには、心もとない装備といえるだろう。
しかも、牡牛はまだ怒りに燃えていた。

恐怖にたじろがず、ケープを翻し、紙一重で突進をかわす度、
満場から「オレ(Olé)!」の掛け声が上がる。
眼前を死神の大鎌が行き交うような際どいダンスを繰り返し、いよいよ決着の時。
一突きで急所に剣を届かせられるのか。
逆に角の一撃に抉られてしまうのか。
“真実の瞬間”が訪れる--- 。

「パブロ・ピカソ」や「サルバドール・ダリ」「フランシスコ・デ・ゴヤ」。
「ジャン・コクトー」に「アーネスト・ヘミングウェイ」。
闘牛に魅入られた芸術家は少なくない。
彼らは異口同音に“それは生と死のアート”だと評してはばからない。
愛好するファンがいる一方で、牛の(時には人の)“公開処刑”に対し、
残酷だと異論を唱える声も小さくない。
スペイン国内でも禁止を打ち出す地域もあり、
闘牛人気は衰退の一途を辿っているとも聞く。

一説には(生命力、生殖能力の象徴としての)古代牡牛信仰を源に、
騎士の戦闘訓練として始まった、ともされる闘牛。
長い時間・歴史・風土によって創り上げられたそれは、
興行やショーと次元の違う「様式」や「文化」とも受け取れる。

動物愛護か、伝統尊重か。

その存在価値について、とやかく言うつもりはない。
ただ、僕にとって、闘牛はスペインを象徴する一つであり、
闘牛士に勇者の像を重ね合わせているのは確かだ。

--- あの夏、あのバイオリンの調べに触れてから、ずっと。
                 
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飾りじゃないのよ道具は。~ れきしる企画展。

2022年04月23日 10時29分29秒 | 日記
               
津幡町ふるさと歴史館 れきしる」にて、企画展「暮らしのどうぐ展」が始まった。



<現代は昔に比べて「道具」が進化していて、便利な生活が送れています。
 昔の「道具」は知恵を使い快適に生活ができるように工夫されていました。
 また、電気がない時代に暮らしが便利になれるよう工夫され、
 環境に優しく、今でも使えそうなものや現役で使っているものもたくさんあります。
 今回は当館が所蔵する「道具」の一部を
 「食べる・暮らす・学ぶ・遊び」をテーマに150点展示しました。>
(※れきしるパンフレットより引用/抜粋 原文ママ)





漆塗りの食器類。
町内・寄贈者の家に明治時代から伝わるものだとか。
美しい金蒔絵からわかる通り、普段使いよりやゝ豪華版。
堅牢重厚な作りは輪島塗か。
冠婚葬祭・節句などの折に活躍したと推測できる。
つまりは、季節の変わり目や人生の節目に封を解かれ、
「行事食」を供する役割を与えられた道具だ。
その器に口を付ける時、人は喜びや悲しみを感じてきたに違いない。



一方、卓袱台の上に並ぶ様子は日常の食事風景を再現したもの。
四人家族のようだが、こうして同じ時間に同じ食卓を囲むことは、
今では案外珍しいかもしれない。
ご飯、汁、香の物、お菜--- 4つの要素で構成された「一汁三菜」。
焼魚、煮物などは「れきしる」スタッフさんの手作りサンプルとの事。



中でも「梅干し」の出来栄えは、自信作だと聞いた。
確かに、じっと眺めていると生唾がわいてきた。



そろばん、教科書、ガリ版用のヤスリ。
僕が少年だった頃、津幡小学校にはガリ版専用の小部屋があったと思う。
インクで指を汚しながら、何度かローラーを動かした記憶がある。
ロウの紙にガリガリと音を立てつつ鉄筆で書いたのは、クラス報の類。
画像に写るメーカー「王冠ヤスリ工業株式会社」は、存続しているのだろうか?



おはじきは縁遠かったが、ビー玉ではよく遊んだ。
細かなルールは忘れてしまったが、誰かとの対抗戦だったと思う。
地面に掘った穴に投げ入れたり、指定のビー玉に当てたりして、
成功率を競い合ったはず。
勝者への報酬も、敗者の負債も、やはりビー玉だった。



展示されている道具達は、どれも飾りじゃない。
人が使い、人と共に暮らしの一部を担ってきた。
そして、役目を終え「れきしる」に並んでいる。
馴染みのあるものも、そうでないものもあるが、
観賞するうち彼らが現役だった頃が思い浮かぶ。
それはどこか甘酸っぱい感慨を抱かせてくれた。

「れきしる」企画展「暮らしのどうぐ展」の開催期間は2022年6月12日まで。
5月5日は開館時間を延長し、こどもの日ナイトミュージアムを実施。
また、同じ5月5日~11日までの児童福祉週間は、
親子で来館すれば無料で見学できるとの事。
時間と都合が許せば、足を運んでみてはいかがだろうか。


                
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津幡短信vol.100 ~ 令和四年 卯月。

2022年04月18日 07時07分07秒 | 津幡短信。
                  
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
節目の100回目の投稿は、以下の4本。

【山笑う。】

山の草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになる様子をいう季語「山笑う」。
今時分は開花も加わり、賑やかになる。
県道59号線を脇に入り「合羽池」越しに、小高い山を見つめた。



冬の間はモノトーンに沈んでいたが、全体的に緑の面積が増えてきた。
山桜、ハクモクレンも確認できる。
また、ビジュアルだけじゃなくサウンドも賑やか。
ウシガエル、シジュウカラ、コゲラ、キジなどの声が交錯。
中でも際立つのは、ウグイスの美しいさえずり。
春は鳥にとって“恋の季節”だけに、お盛んである。

多くの生き物たちの息吹きを感じ、改めて、日本の自然は懐が深いと実感。
四季の営みは美しく、環境循環の理に適っている。
平地は少ないが豊かな水や土壌がある。
世界を見渡せば、荒れ地や砂漠が広がり、灼熱や寒冷に支配され、
もっと厳しい条件の地域・国は珍しくない。

そして、平和の価値も実感。
こうして、呑気に春を楽しめるのは穏やかだからこそ。
ウクライナをはじめ、戦乱の只中にある国や地域ではこうはいかない。

【枝も笑う。】



街路樹のイチョウの枝から伸びる、小さな若芽。
やがて扇形の葉が茂るだろう。



染井吉野からバトン受け継いだ八重桜。
可憐だが儚さも持ち合わせた染井吉野に比べ、大振りで逞しい。

【建築は進む。】



葉桜越しに写るのは「津幡町住吉公園温水プール(仮称)」建築現場。
町のHPによると---
「町民の誰もが生涯スポーツと健康づくりに活用できる
 快適で身近な温水プールの整備」--- との事。
オープンは来春予定。
かなり建ち上がってきた。

【鳥は空を飛び、人は地で糸を垂れる。】



春爛漫ながら、飛び交う燕は夏が近いことを教えてくれる。
1週間前は数羽しか目にしなかったが、今はその姿を見るのに苦労しない。
大胆に目の前をかすめ去る燕を撮影しようとスマホカメラを構えるも、
画像の端に捉えるのが精一杯だった。



虚空に向かって何度もシャッターを切った後、
津幡川へ目を向けると、釣り人を発見。
狙うは、フナ、コイ、ブラックバスあたりか。
僕も、今度、文庫本を片手に釣り糸を垂れてみるかと考える。

<津幡短信 vol.100>
                   
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開店祝いと、退職祝い。

2022年04月16日 21時00分00秒 | 日記
                    
わが津幡町の染井吉野は盛りを過ぎた。
あれだけ咲き誇った姿は掻き消え、今は若葉が萌出る。
正味2週間に満たない、短い花の時。
今回の投稿は、その記録から始めてみよう。

<愛犬と桜>


<旧津幡川河畔の桜と案内板>




<住吉神社の桜>


<幹から咲いた花>


染井吉野は、エドヒガンザクラとオオシマザクラの交雑種。
生育が盛んで、全国各地の街路や公園などに植えられているのはご存じの通り。
花は枝から房状に伸びて3~5個が付く。
樹木全体を染める満開時は「花が実る」とでも言いたくなる程の咲きっぷりだ。

<モノクロ加工①:陽の光を浴び輝く花>


<モノクロ加工②:鈴生りの花が落とす影>




季節の移ろいに歩調を合わせ、一斉に咲き、一斉に散る桜。
それは、自然が本格的な春の訪れを祝福して用意した
「開店祝い」のようにも思えるのだ。

--- さて、話題は変わる。
先ごろ、艇界のスターレーサー「山崎智也(やまざき・ともや)」が
現役引退を発表した。



確かに、年明けから成績は振るっていなかった。
力量の衰え、気力の減退は明らかだった。
現況勝率は5.96。
1996年から守り続けたトップカテゴリーのA1級に留まるのは厳しかった。
通算2,000勝まで、残り32のカウントダウンでもあった。
しかし、彼は幕を引いた。

【ずっと楽しみながらやってきたが、
 最近は勝つことに対して楽しいという気持ちが薄れてきた。
 今月の宮島を走った時に、今のメンタルでオールスターを走るのは
 お客さまに申し訳ないという気持ちと、
 出場枠の一つを無駄にしてしまうという思いになった。】
(※本人談)

その存在感は競艇ファン以外、ピンとこないだろうが、まあ、凄い人なのである。
優勝93回(うちSGは11V、G1は31V)は、文字通りの「大記録」だ。
キャリアのピークと言えるタイミングは、
年間3つのSGを制して賞金王に輝いた2015年。
この日本一決定戦、僕は現場(大阪・住之江競艇場)で目撃している。
確か1→3→2、山崎→毒島→石野の順でゴール。
地鳴りのような歓声が轟く、超満員のスタンドで、
群馬支部ワンツー・フィニッシュに拍手を贈ったことを思い出す。



--- 桜が散り始めた頃に舞台を降りる。
風に舞う花吹雪は、戦士を労う「退職祝い」かもしれない。
お疲れさまでした!
                     
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虚と実の狭間に開く夢芝居。

2022年04月10日 12時00分00秒 | 手すさびにて候。
                         
時は、元禄16年(1703年)春。
所は、上方の大都会・大坂(※当時「坂」)。
遊郭「天満屋」に、器量よしと評判の遊女がいた。
名前は「初(はつ)」。
どんな客にも分け隔てなく愛想を振りまく彼女には、将来を誓った相手がいた。
その男、馴染みの「徳兵衛(とくべえ)」は、醤油屋で丁稚(でっち)から手代(てだい)、
--- 例えるなら---アルバイトの身分から部課長クラスになった苦労人。
イケメンで誠実ながら、お人好しでやや気が弱いところがあった。

ある日、偶然2人は神社の境内で居合わせる。
娘らしく喜ぶ「お初」に対し、どこか浮かない顔の「徳兵衛」。
それもそのはず。
彼は叔父である醤油屋の主人から、望まない結婚をゴリ押しされていた。
もちろん断りを入れたが、継母に渡した持参金の返済を迫られる。
やっとのことで取り戻したものの、
金に困っているという親友「九平次(くへいじ)」に懇願され転貸。
ところが期限が過ぎても、未だ返してくれない。

そこまで語り終えたところで、仲間を連れた「九平次」がやって来た。
当然食ってかかるも、友と信じていた男は白を切り、
詐欺師呼ばわりした挙句、袋叩きに。
公衆の面前で、また恋人の目の前で醜態をさらし「徳兵衛」の面目は丸つぶれ。
身も心も打ちのめされ、魂のどん底にあえぐ彼は、ある決心をするのだった。

その夜、天満屋。
男の身を案じ気を揉む「お初」のところへ、こっそり「徳兵衛」が訪ねてくる。
折悪しく、客として「九平次」まで来訪。
慌てて「徳兵衛」を打掛で隠し、死角になる縁の下へ引き入れる「お初」。
昼の一件について「徳兵衛」を罵倒する「九平次」。
拳を握り歯がみする「徳兵衛」。
「お初」は怒りに震える男を足先で制しこう言い放った。

『徳様は、胸の内を明かし合った大切な人。
 自分の甘さから身の破滅を招いてしまいましたが、
 潔白を示す証拠がないのでは、仕方がない。
 かくなる上は、死んで身の証を立て、恥をそそぐ他ない。
 覚悟を聞けたなら、私も一緒に---。』

「徳兵衛」は、裾から伸びた女の真白な足を自らの喉笛にあて、死ぬ覚悟を伝えた。

この世のなごり 夜もなごり
死にに行く身を喩えれば 墓地へとつづく道の霜
一足づつに消えゆくそれは 夢で見る夢のように儚い
夜明け前の七ツ時 六つ響いた鐘の音
残るひとつがこの世との 別れの鐘の聴き納め
されど心中穏やか 迷いなくためらいもなし

輝く星の下、2人が手に手を取って向かったのは曾根崎・天神の森。
互いを松の木に縛り、「徳兵衛」は脇差で「お初」を一突き。
独りで逝かせてはならないと、返す刀で自らの喉をかき切り、
揃って黄泉の国へと旅立ったのである。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十八弾「曾根崎心中~お初と徳兵衛」。



「曾根崎心中」は、実際の心中事件がモデル。
発生から僅か一ヶ月後、騒動が世間の耳目を集める中、
人形浄瑠璃(文楽)として初演された。

観客にとって身近な市井の義理人情・悲哀を取り上げた出し物は、
センセーショナルを巻き起こし、文字通りの大ヒットを記録。
そのブームは劇場の中だけに収まらず、社会へ溢れ出した。
来世で愛が結ばれることを誓うカップルの心中が多発。
お上から上演禁止を命じられるほどの過熱ぶりだったという。

しかし、一度起こった文化の潮流は押しとどめられることはなかった。
それまでは“時代物”と呼ばれる、武士や貴族を主人公にした英雄譚が主だったが、
これを機に“世話物”と呼ばれる、町人にスポットを当てた現代劇が確立してゆく。
つまり、人形浄瑠璃の歴史は「曾根崎以前と以後」に分類されるほどの
エポックメイキングでもあるのだ。

作者は「近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)」。
江戸前期、上方で花開いた町人文化を代表する人物のひとりだ。
このあたりの時代背景については、過去投稿の拙文を引用したい。

<元禄期(1688~1703年)は、開幕以降続いた内乱が落ち着き、徳川体制が固まった頃。
 国内開発に力が注がれ、人口が急増、農業・漁業、商工業が発達。
 後に「元禄バブル」と呼ばれる経済成長を背景に、富を得た豪農や豪商が現れ、
 パトロンとなって文化振興に資金を投じた。

 中心となったのは「上方(かみがた)」。
 開発途上のお江戸に比べ“千年の都”京都や“天下の台所”大坂は、
 経済、気運が充実。
 先進的で自由な都市型町人文化が形成されてゆく。

 華やかな装飾画・蒔絵・作陶などの工芸分野で、後世に残る傑作が生まれた。
 木版印刷による浮世絵が生まれ、アートを楽しむ裾野が拡大。
 ファッション分野では、友禅染が発明。
 花鳥風月などを多彩に表現できるようになり、バリエーションが広がった。
 節分・花見・月見・節句などの年中行事が浸透し、イベントが盛んに。
 歌舞伎・(人形)浄瑠璃といったエンターテイメントも定着。 
 --- 何かと上り調子なのだ。>


そんな時代の流れに乗って元禄文化の寵児となった「近松」。
しかし、先回投稿に書いた通り、彼は元々町人の出自ではない。
越前・吉江藩士の次男坊として生を享けたが、改易以降、仕官の機会に恵まれず、
浪人となった父に連れられ京都へ移住。
刀を置いて芝居の世界へ飛び込んでいった。

およそ半世紀の作家生活を送った「近松門左衛門」。
彼の筆による人形浄瑠璃・歌舞伎狂言は、計160作あまり。
その多くが「虚実皮膜(きょじつひまく/ひにく)」の妙を旨としている。

<芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるものなり。
 虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあつたものなり。>

登場人物の名前や史実はそのまま用い、そこに脚色を施す。
虚構と現実、フィクションとリアルを、
絶妙な配分で混ぜ合わせることでお客は満足を得る。
その言葉は、エンターテインメントの真髄を射抜いている気がするのだ。
                      
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