“シリーズ津幡町での極めて個人的初体験”その6。
「今日の一枚」は、近所の畑に実る「キウイ・フルーツ」だ。
その故郷はアジア。
中国は長江流域と言われている。
やがて1900年代の初頭に、南半球・ニュージーランドへ伝播するや、
気候と風土との相性がよく、短期間で同国を代表する果物に急成長。
名前の由来は、卵形で茶色の毛で覆われた様子が、
ニュージーランドの国鳥「キウイ・バード」に似ているからだそうだ。
最もこれは俗説なので、真偽のほどは定かではない。
ともあれ、僕がこの果物を食べたのは、確か中学生だったと思う。
そのファーストインプレッションは「珍奇」。
まず、果肉が鮮やかなグリーンなのに驚いた。
次に、中心部のシャリ感…多繊維にビックリ。
更に、酸味の強さが突出していたのが印象的。
思えば、まだ固く十分に熟していない状態で食べた気がする。
ちなみにキウイ・フルーツが日本に紹介されたのは、
昭和40年(1965年)頃。
石川県・野々市町と加賀市が、
先鞭を付け、昭和48年(1973年)に本格導入。
当時のヒットナンバーは…
ガロ、学生街の喫茶店。南沙織、色づく街。
チューリップ、心の旅。アグネス・チャン、草原の輝き。
フィンガー5、個人授業。あのねのね、赤とんぼの唄など。
「花の中3トリオ」がデビューを飾り、
「ブルース・リー」が他界した年である。
それから39年。
生産過剰となったみかんに代わる品目として注目され始め、
みかんの産地を中心に急速に普及・拡大したキウイ・フルーツ。
果たして、野々市と加賀には根付き関連商品も誕生しているが、
津幡町では未だ個人栽培の域を出ない。
「今日の一枚」は、近所の畑に実る「キウイ・フルーツ」だ。
その故郷はアジア。
中国は長江流域と言われている。
やがて1900年代の初頭に、南半球・ニュージーランドへ伝播するや、
気候と風土との相性がよく、短期間で同国を代表する果物に急成長。
名前の由来は、卵形で茶色の毛で覆われた様子が、
ニュージーランドの国鳥「キウイ・バード」に似ているからだそうだ。
最もこれは俗説なので、真偽のほどは定かではない。
ともあれ、僕がこの果物を食べたのは、確か中学生だったと思う。
そのファーストインプレッションは「珍奇」。
まず、果肉が鮮やかなグリーンなのに驚いた。
次に、中心部のシャリ感…多繊維にビックリ。
更に、酸味の強さが突出していたのが印象的。
思えば、まだ固く十分に熟していない状態で食べた気がする。
ちなみにキウイ・フルーツが日本に紹介されたのは、
昭和40年(1965年)頃。
石川県・野々市町と加賀市が、
先鞭を付け、昭和48年(1973年)に本格導入。
当時のヒットナンバーは…
ガロ、学生街の喫茶店。南沙織、色づく街。
チューリップ、心の旅。アグネス・チャン、草原の輝き。
フィンガー5、個人授業。あのねのね、赤とんぼの唄など。
「花の中3トリオ」がデビューを飾り、
「ブルース・リー」が他界した年である。
それから39年。
生産過剰となったみかんに代わる品目として注目され始め、
みかんの産地を中心に急速に普及・拡大したキウイ・フルーツ。
果たして、野々市と加賀には根付き関連商品も誕生しているが、
津幡町では未だ個人栽培の域を出ない。