つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さよなら夏の日2022。

2022年08月30日 08時00分00秒 | 手すさびにて候。
                   
僕がまだ子供だった頃、石川県の民放TV局は2つしかなかった。
一方の夕方5時台はアニメ再放送枠。
繰り返し流れていたのが「ルパン三世」。
学校から帰宅してブラウン管の前に陣取り、
「ルパン一味」の世界を股にかけたピカレスクロマンを鑑賞した記憶がある。

改めて書くまでもないが、そのメインキャラクターは5人。
天下の怪盗「ルパン三世」。
早撃ちの名手「次元大介」。
居合の達人「石川五ェ門」。
稀代の悪女「峰不二子」。
執念の官憲「銭形警部」。
--- この中で、僕は「次元」を依怙贔屓していた。

「ルパン」は<アルセーヌ・ルパンの孫>。
「五ェ門」は<石川五右衛門の十三代目>。
「銭形」が<銭形平次の六代目(七代目設定もアリ)>。
いわば、いずれも貴種の血を引くエリートだ。

片や「次元」の出自は平凡。
愛銃 S&W M19 コンバット・マグナム片手に、
身に着けた技術と度胸で勝負する叩き上げ。
バリバリの一般庶民である僕は、彼に親近感を抱きエールを送った。
(※「不二子」も後者/庶民出身だが今回は割愛)

アニメ「ルパン三世」が半世紀を超えるロングランシリーズなのは、ご存じのとおり。
その殆どで「次元」の声を担当したのが、
故「小林清志(こばやし・きよし)」氏である。
「小林」氏は、洋画吹き替え、アニメ、バラエティのナレーション等で、
声優界創成期から活躍した大ベテラン。
特に「次元大介」はハマリ役。
昭和46年(1971年)から2021年10月まで彼が演じてきた。
現在も代替わりして作品は続いているが--- 僕個人にとって、多くのファンにとっても、
やはり「小林次元」の印象は強い。

降板から一年未満の2022年7月30日。
肺炎のため他界。享年89。
まるで人生の幕引きまで見極めたかのような勇退だった。

そして、所属事務所からその死が発表された今月8日、
時を同じくして、海の向こうからもう一つの訃報が飛び込んできた。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百八弾「歌姫とガンマンの遺影」。



2022年8月8日「オリビア・ニュートン=ジョン」は、
30年以上続いた、乳がんとの闘いから解放された。
享年73。
--- きっと驚いたファンは少なくないだろう。
僕もその1人だ。

ブロンド・ヘアにブルー・アイズ。
まるでお人形の様に完璧な容姿。
マイクを通して溢れ出すボーカルはクリスタルの輝き。
だが、近寄りがたい高嶺の花ではない。
身にまとう雰囲気は“NEXT DOOR Olivia~隣のオリビアちゃん”。
気さくな魅力と数々のヒットメイクで、
70年代から80年代にかけ、彼女は世界を虜にした。

もちろん好き嫌いはあるから、訃報に対する思い入れは人それぞれ。
でも、彼女が「当時を彩っていた要素の1つ」であることは間違いない。
だから、その死は、元スターが不帰の客になったというだけに留まらない。
「あの時代が過去に封印された」。
そんな感慨を抱かせる出来事だったと思う。

もし、枚挙に暇のないヒット曲の中から個人的ベスト1を選ぶとしたら。
悩んだ末、やはりコレを推す。



「そよ風の誘惑~Have You Never Been Mellow」のテーマは“人生の機微”。

<自分にも経験がある。生き急いでいたことがある。
 肩の力を抜いて、見つめなおしてみよう。
 休んでいい。立ち止まっていい。
 きっと見えてくるものがあるはず>

--- といった意味合いを諭すように歌っている。
つまり内容と照らし合わせると、邦題は的外れ。
だが、メロディと歌声から受けるイメージには合致。
強いコード進行の連なりでグイグイ押してくるサビは、風が吹く様。
それをハイトーンボーカルが優しく誘い、すんなり聴かせてくれる。
疑問符が付く邦題は、非英語圏の日本でレコードを売るため誰かが付けた、
“うまいタイトル”なのだ。

さて「小林次元」と「オリビア・ニュートン=ジョン」、
2人の死去は立て続けだっただけに、余計深く心に刻まれた。
どちらも作品としては残り続けるが、
肉体と存在が消えてしまった訳だから、明確な「区切り」である。

歌姫よ、さらば。
あばよ、ガンマン。
どうか安らかに。

2人との別れがあった2022年の夏は、
僕にとっても1つの「節目」になったように感じている。
                               
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<追記>賭けたり、競ったり、背負ったり。

2022年08月28日 21時21分21秒 | 賭けたり競ったり
                                
静岡県・湖西市にある「浜名湖競艇場」に於いて開催されている
SG競争「第68回 ボートレースメモリアル」。
本日(2022/08/28)優勝戦を迎える。

本大会の出場基準は、開催場(今年は浜名湖)を除く、他の競艇場から推薦された選手。
開催場の施行者が希望する選手などが中心。
毎年晩夏にあたる事から、僕たち競艇ファンにとっては夏の終わりを意識させる。
また、季節の節目というだけではない。
年末の大一番「グランプリ」が近づいてきたことを実感するのだ。

5日間の予選~準優勝戦を勝ち抜き、
最後の6ピットへ舳先を進めたのは、以下のメンバー。

1号艇:菊地 孝平(静岡)
2号艇:平本 真之(愛知)
3号艇:新田 雄史(三重)
4号艇:白井 英治(山口)
5号艇:山口  剛(広島)
6号艇:片岡 雅裕(香川)



振り返ってみると、今節は激しい争いだった。
競艇は6日間開催の場合、1~4日目は「予選」。
ここでの得点上位者18名が5日目の「準優勝戦」へ進出するのだが、
予選最終日は18位ボーダーに7名がひしめく大混戦。
必死の着捕りが繰り広げられた。
続く5日目の「準優勝戦」は3つのレースで、
それそれ1着と2着だけが「優勝戦」に乗艇できる。
飛び道具アリ、美技アリ、力技アリ、奇策アリ。
サバイバルならではの駆け引きが錯綜した攻防は見応え充分。
結果、前述の6名が勝ち上がる事となった。

---僕がエールを送る「毒島 誠」は予選敗退。
モーターの仕上がりは悪くなく、天辺も狙えると踏んでいたが、
2日目、不良航法判定による減点が痛かった。
残念ではあるが、このリアルが全てだ。



一方、激闘を制してポールポジションに陣取るのは
シリーズリーダーにして、地元・静岡支部の大エース「菊地孝平」。
もちろん優勝の最有力候補である。
機力・気力共に充実した彼がトップスタートさえ切れたら、
栄光のゴールは目の前だ。
もう自身を脅かす敵は、背中を押す地元の大声援。
その背に負ったプレッシャーだけかもしれない。

勝負に「絶対」はない。
勝負は下駄を履くまで分からない。
出走はこの後、午後4時30分頃。
ネットでも、TVでも生中継がある。
よろしかったら、是非、ご覧くださいませ。

追記:絶対はなかった。

まず風が吹いた。
優勝戦直前、それまで鏡のような静水面だった浜名湖に波が立ち、
風向きを示す吹き流しが激しく揺れていた。
アゲインストだ。

次にスタートの名手「菊地」が出遅れた。
環境の急変とプレッシャーが勘を鈍らせたのかもしれない。
更に3号艇と4号艇がトップスタート--- と思いきや痛恨の勇み足。



「菊地」と「平本」を呑み込んだ3号艇と4号艇が戦線を離脱した瞬間、
最後方から最内を突いた6号艇「片岡」が飛び込んできた。



優勝戦は「6-5-1」でゴール。
一番人気が敗れ、2艇がフライング返還(※)。
大波乱の結果となった。
(※規定時間をこぼれたスタートをした場合、
  その時点で、そのレーサーはレースに参加する資格を失い、欠場扱い。
  そのレーサーが対象の舟券は、全て同額で購入者に払い戻し・返還される。
  優勝戦売上の80%以上、13億5千万円あまりが返還。
  ちなみに、僕が張った銭もほゞ戻ってきてしまった---)



「片岡」は初のSG戴冠。
勝利者インタビューでは、消え入るような小声で「信じられない」と心情を吐露。
大きな目に涙を浮かべて質問に答える様子が、
戸惑いと複雑な胸の内を表していた。

そして「新田」と「白井」は、重い十字架を背負う。
向こう一年間SGレースに出場できないのだ。
但し「グランプリ」だけは例外。
今年の年間王者をめぐる戦いは混沌としてきた。
                           
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津幡短信vol.104. ~ 令和四年 晩夏 。

2022年08月27日 17時07分07秒 | 津幡短信。
                            
もう空は秋の装いだ。



今朝、津幡町上空に広がるのは高積雲(こうせきうん)。
別名「ひつじ雲」。
雲片が大きく厚みがあり、バリエーションも多い。
その下、晩夏の地上では着々と実りの準備が進んでいる。

【銀杏。】



扇形の葉に隠れて、丸々と太ったイチョウの種子。
銀杏は秋の季語である。
イチョウには雄木と雌木があり、銀杏ができるのは雌木。
鼻を近づけると早くも匂いがした。
食用となる内部の胚乳が熟すのは、もう間もなく。
9月頃~11月半ば頃までが収穫期だ。

【柿。】



柿は梅雨どきに目立たない花を咲かせ、その後に実をつける。
まだ熟す前の「青柿」は初夏の季語だ。
これが色づくと秋の季語になり、
更に「干し柿」や「吊るし柿」は冬の季語に変化。
それだけ日本人に馴染みが深く長い証だ。
だが、上掲画像のような青と朱赤が同居する場合は、いつ時分を指すのだろうか?
--- ふむ、やはり晩夏が相応しいかもしれない。
               
【瓜。】



とある民家の塀の上。
実に立派なマクワ瓜が乗っかっていた。
先ほどの柿と同様、マクワ瓜も日本では古くから親しまれてきた食材の一つ。
縄文時代からの付き合いになるそうだ。
ウリ科キュウリ属の果実で、
美濃国・真桑村(現在の岐阜県・本巣市)で生産が盛んだったため、
その地名から名前が付いたと聞く。

正直、最近はあまり口にする機会はないが、昔は割合食べた。
よく冷やして、真ん中から包丁で真っ二つ。
ワタ(種)をかき出して齧り付くと、ほのかに青臭く甘い味が口に広がる。
僕にとっては“テイスト・オブ・昭和”と言っていいかもしれない。
ちなみにプリンスメロンは、マクワ瓜の交配種である。

【稲。】



秋の実りの白眉は、やはり稲だろう。
一昔前に比べれば、その成長は早くなった。
何しろ品種によっては、もう新米が店頭に並んでいるのだ。
炎天、高温、多雨と一筋縄ではいかない夏を乗り越えた実りは、
人と自然が力を合わせて作り上げたものだ。
愛犬「りくすけ」も新米を食べるのを楽しみにしている。



【秋祭り。】



津幡町の「白鳥神社」境内で撮影した一枚。
画面上部手前から奥の鳥居へ向かい、裸電球が釣り下がっているのが分かるだろうか。
旧盆を過ぎてから、ここで夜な夜な「棒振り」の稽古が行われているのだ。
今年、3年ぶりに開催となる「秋祭り」のためだ。

毎年9月中旬、中心部の津幡四町(清水、庄、津幡、加賀爪)では、
祭り当日は、早朝から大きな獅子が街を練り歩く。
玄関先に祭りの幕や提灯が飾られた家々の前で「舞」を披露。
その報酬として花代(ご祝儀)をふるまう。
夏の終わりと秋の始まりを分ける催しだ。

感染症により短くない空白期間があった。
何かと苦労も多いと思うが、催行の無事を祈る。
                         
<津幡短信 vol.104>
                    
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旅の徒然 ~ 大本営と夏の空。

2022年08月22日 15時45分45秒 | 旅行
                      
前回投稿の続篇。

旅の2日目、山梨県・甲府市のホテルを後にした僕は、
長野県・松代町(まつしろまち)へハンドルを切った。





青い空。
白い雲。
小川が流れる山間の風景。
往時の面影を留めた街角。

長野市の南部にある松代町は、
四方を山や千曲川に囲まれ、遠くには北アルプスや北信五岳を望む。
戦国時代は川中島合戦の舞台となり、
江戸初期「真田信之」が入封して以来幕末まで、真田十万石の城下町として栄えた。
歴史ファンならお馴染みだろうが、松代は近現代史にも名を刻む。
「松代大本営地下壕」のうちの一つ「象山壕」が、2日目の目的地である。



【松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、
 皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、
 その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
 ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、
 海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。

 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、
 極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、
 昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、
 およそ9箇月の間に建設されたもので、
 突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。

 この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、
 また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
 なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、
 必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な意見があります。
 松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、
 多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。】
(※【   】内、長野市HPより引用/原文ママ)



もう今から四半世紀は昔、僕はバイクツーリングの折、ここに立ち寄った。
当時の記憶は朧気で、ハッキリしない。
前日(2022/08/20)「河口湖飛行館」にて、戦闘機を見学したこともあり、
山梨から石川へ帰る道中の戦争遺構を思い出して、再訪してみた。





外の暑熱と明るさがウソのよう。
壕の奥へ進むに従い、ヒンヤリとして湿度も増す。

昭和19年(1944年)7月、サイパン島が陥落。
日本本土への空爆が可能になり、危機感を抱いた陸軍首脳は、
松代大本営の工事準備命令を発令。
通称「マ工事」が始まった。

選定の理由は、主に3つ。
①東京から離れていて地下施設の近くに飛行場がある。
②地質的に硬い岩盤で抗弾力に富み、地下壕に適する。
③山に囲まれた盆地で、工事に都合のよい広さの平地があり、
 地下施設を建設する面積が確保できる。

「象山地下壕」に設置予定だったのは---
「政府主要機関」と「日本放送協会(NHK)海外局」に「電話局」。
ここに国の中枢を移していたとしたら、日本はどうなっていただろう?
“歴史のIF”について考えながら、僕は暗い穴倉を歩いた。



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さて、ここから話題はガラリと変わる。
1泊2日の旅、他の場面をかいつまんで紹介したい。
よろしかったら、もう少しお付き合いくださいませ。



今回、草鞋を脱いだのは山梨県・中巨摩郡・昭和町の「ホテル昭和」。
造りは古いが、内部は清潔で充実。
何といっても自家源泉を惜しげもなくかけ流している大浴場は絶品。
お値段お手頃、軽朝食付き。
大満足でした。



gooブログを通じて知り合った方「Zhenさん」の過去投稿を読み訪れた
「甲府カトリック教会」。
アングルを真似て撮影してみた。
リンク先「Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~」には、
甲府の風景が沢山掲載されている。





旅初日、ふらりと入った「うどん たけ川」は、吉田うどんの有名店だった。
暖簾をくぐるなり注文を聞かれ、来客は引っ切り無し。
吉田うどんとは--- 山梨県富士吉田市周辺で愛されている郷土料理。
麺が太くてコシが強くて、硬い! そう、硬いのである!
噛みしめるうちに、小麦の味が口に広がり旨い!
汁は醤油と味噌のブレンドだろうか?
キャベツ、油揚げ、ネギが薬味の「つけうどん(大)」をいただいた。





旅の間、賭け事とは無縁だったかと思いきや、然に非ず。
山梨には、競輪・競馬・競艇・オートレースと、
公営4競技を同一構内で取り扱う日本初の場外売り場がある。
複合型場外発売施設「双葉」だ。
そんなステキな施設を素通りしてはバチが当たる。
--- 舟券が当たったかどうかはナイショである。



ラストは、夏の残照。
場所は、新潟県・親不知(おやしらず)海岸。
ちょうど日没とタイミングが合ったお陰で、
旅のしめくくりに相応しい一枚が撮影できたと思う。

コメント (4)
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つばさ徒然@つれづれ翼。

2022年08月21日 09時46分46秒 | 旅行
                           


僕は今、富士のお山が見下ろす「甲斐の国(山梨県)」にいる。
きのう(2022/08/20)から、1泊2日の旅行にやってきた。
わが石川県・津幡町からはクルマで6時間余り。
なかなかのロングドライブを敢行した主目的は「河口湖飛行館」見学である。



ここの開館は、年間のうち8月のみ。
格納庫の中には、旧日本陸海軍の航空機が収容されている。
全て個人所蔵の通称“原田コレクション”。
殆どはレストア--- 修理・復元した実機だ。
2年前にとある雑誌の広告で存在を知って以来、
訪れてみたいと考えていたが、ようやく念願が叶った。



小さな入り口を潜ると、まず目を引くのは「一式戦闘機・隼」。
その1型(上)と2型(下)が重ねて展示してある。
第二次世界大戦時の帝国陸軍の戦闘機だ。
愛称のハヤブサは、鳥の一種。
飛行能力が高く、大空を自由に飛び回り狩りを行うのはご存じのとおり。
スピーディで旋回能力に優れた軽戦闘機と、イメージが合致する。

最近は戦闘機より小惑星探査船「はやぶさ」の印象が強いかもしれないが、
両者に「縁」があるのは有名なハナシ。
「はやぶさ」が目指した小惑星「イトカワ」の名前は、
日本のロケット開発の父「糸川英夫」氏に由来。
「糸川」氏が、戦時中に設計に係わった機体こそ「隼」。
戦闘機・宇宙船・小惑星、それぞれに狙ったネーミングではなく偶然の産物。
しかし、日本の「技術の連なり」を思うと、運命めいたものを感じるのだ。



続いて、最も多くの人がカメラを向けていたのは「零式艦上戦闘機・ゼロ戦」。
ある意味、太平洋戦争を象徴する名機である。
特に展示の「21型」は真珠湾攻撃を始めとする緒戦に大活躍した。
長大な航続距離と、速力・上昇力に加え卓越した運動性能。
両翼に備えた2挺の20mm機関砲。
オールマイティな性能と大火力で空の王者に君臨し、
当時の日本軍の快進撃とリンクして伝説になった。





また、ゼロ戦はオールマイティになるため重大な犠牲を払う。
軽量化の徹底により、骨格部材に無数の穴を開けたお陰で、
機体構造が弱い。
空気抵抗を減らす目的で、全面に沈頭鋲(ちんとうびょう)を採用。
機体表面のネジ頭を埋め込み滑らかにした訳だが、
工程が増え、生産量が制限された。
そして、パイロットを護る防弾板も排除された。

そうした弱点から、やがて大戦中期以降は劣勢となる。
しかし後継機の開発が上手く行かず、
時代遅れになってもマイナーチェンジを繰り返し、主力を担う。
堕とされても、堕とされても、戦空に送り込まれた。
高校野球に例えるなら---
入学から卒業までたった1人で投げ抜いた弱小チームのエース。
それは、土台が優れていたことと同時に、
日本の技術力・工業力の厚みのなさの現れ。
ゼロ戦は、悲劇のヒーローなのである。



日中戦争・太平洋戦争を通じた日本海軍の主力攻撃機、
「一式陸上攻撃機」もまた、悲劇を背負っていた。(※上掲画像主翼ナシ)

機体内部に爆弾や魚雷を搭載し、
主に陸上基地から発進して艦隊決戦に参加するから「陸上攻撃機」。
その大きな特徴となる長大な航続距離を実現するため、
主翼の内部に大きな燃料タンクを持つ。
但し、防弾は疎かで、被弾するとすぐに燃え上がった。
機体の装甲も薄い。



付いた別称が「一式ライター」。
防御を犠牲にしても、戦闘機が追いつけない速度と高高度性能があればいい。
そんな「戦闘機無用論」から開発が始まったが、
デビューした時、既にレベルは他国の方が上。
次第に消耗率が高くなり、最後は、ロケット特攻機「桜花」の母機となる。



桜花は先端(弾頭)に1.2トンの爆弾を搭載し、人間が操縦する。
その速度は、最大で音速に迫るほどだったが、
ロケットエンジンの噴射時間は10秒未満。
そのため一式陸攻の腹に抱かれて、敵に接近した。
母機から射出した後は滑空して、最後に初めてエンジンに点火。
最高速で敵艦に突入する。
怖ろしい肉弾ミサイルは、日米合わせて数百名の命を奪ったという。

今は翼を休めて佇む飛行機たち。
彼らを眺め、シャッターを切りながら、
徒然と思いを巡らせた旅の初日だった。

次回へ続く。


                                                  
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