つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の窓辺のマリリン。

2011年05月26日 21時04分45秒 | 日記
「今日の一枚」は、民家の窓辺の「マリリン・モンロー」。
きっと長い間、こうして飾られているのだろう。
ポスターは、ずい分と陽に焼けて色褪せてしまっている。

肩から背中がパックリと開いた白のロングドレス姿から思うに、
おそらく「七年目の浮気」のスナップ。
あの余りにも有名なシーン…
スカートが地下鉄が起こす風によってめくれ上がるカットが含まれた
1955年のハリウッド映画である。

美しいプラチナブロンド。
滑らかな白い肌。
真っ赤な唇。
均整のとれたプロポーションに、モンローウォーク。
たとえ彼女の映画を観た事がなかったとしても、
世代を超えて、そんな“共通のイメージ”が思い浮かぶ女優は、
他にはいないかもしれない。
まさに20世紀を代表するスターと言える。
そして、悲劇で幕を閉じた生き様もドラマチックである。

数々のヒット作で銀幕を飾り、
ニューヨーク・ヤンキースの4番打者「ジョー・ディマジオ」を筆頭に、
3度の結婚と破局を繰り返して、36歳の若さで生涯を閉じた。
全裸で受話器を握り締め、
ベッドの上で冷たくなったいるのを発見された「マリリン・モンロー」。
亡くなる前にこう語っていたそうだ。

『私の旅はいつも同じだった。
 どこへ行こうと、どういう目的だろうと、結局は何も見ずに終わってしまう。
 映画スターになるということは、メリー・ゴーランドの上で暮らすようなもの。
 美しい景色も、そこで暮らす人々も目に留まる事はないの。』

自殺か、事故か、あるいは何かの陰謀か?
残念ながら、真実は謎だ。
神話の世界の住人になった彼女に問いかける事は叶わない。

そして、伝説というスポットライトに照らされた女優は、
他界から半世紀が経つ今も、世界中の人々の心を掴んで離さない。
憧れを抱くファンが、この日本の片田舎にもいる。
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津幡町のアメリカンな夜。

2011年05月24日 00時49分03秒 | 日記
先ほど、何故かどうしても帰宅前に読書がしたくなり、
「マクドナルド津幡アルプラザ店」に立ち寄って、小一時間を過ごした。
「今日の一枚」は、店舗内のスナップである。
僕は、この店の雰囲気が好きだ。
どことなくダイナーを連想させる。

ダイナーとは、アメリカの大衆食堂。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や
「アメリカン・グラフティ」などに登場するそれは派手で華やか。
店の外には明かりを絶やさない明るい看板。
角にRが付いたカウンターに、ハイチェアー。
ネオン管で装飾されたバドワイザーの広告看板が点滅し、
ピカピカのジュークボックスからは、ポップサウンドが流れている。
…典型は、そんなイメージだろうか?!

しかし、僕が思い描くのはそうではない。
「エドワード・ホッパー」の代表作の1つ。
『Night Hawks』…『夜更かしの人々』だ。



人通りが途絶えて久しい深夜のニューヨークで、光を灯す一軒のダイナー。
カウンターに座る訳あり気な男女。
少し離れた席には一人の中年男性。
彼等の相手をしている年老いた店員。
まるで映画のワンシーン。
絵の中には様々な解釈が成り立つドラマが内包され、
観る者の想像力を掻き立ててくれる。

そして、写真を見て欲しい。
人影のない深夜。
スピーカーから流れるBGMはゴスペル風のR&B。
天井から下がった細長い照明。
画面右、斜めに建て付けられた大きな窓。
外は闇。
出勤前の客が詰めかける朝ではない。
忙しいランチ時でも、夕食時とも違う。
増してや週末でもない。
24時間営業のためか、うっすらと倦怠感が漂うエアポケットのような時間帯。
…いい。
実にアメリカンな丑三つ時だ。
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さらば、母校よ。~旧・津幡小学校校舎その9。

2011年05月23日 16時42分40秒 | さらば、母校よ。
シリーズ母校への惜別。
「今日の一枚」は、教室である。

木目の天板のスチール机。
同じく木目の座と背もたれのスチール椅子。
僕が通っていた当時と変わらない、シンプルかつ伝統的な学習セット。
画面奥に張り出された習字作品が並ぶ風景も、昔と同じ。
撮影したのは今年の3月だが、軽くタイムトリップした感覚になった。

年度が変わる度に、新しい児童を迎え、40年以上を過ごしてきた教室。
この四角い空間で、教科書を広げて学び、休み時間には笑い合い、
時にはケンカになる事もあった。
色んな思い出が詰まっているが、
とり分け舌鼓を打った給食の時間は忘れられない。

4限目が終わると机の上にトレイが置かれ、アルマイトの食器が並ぶ。
コッペパンやロールパン、三角パックや瓶入りの牛乳は定番だ。
栄養バランスを考慮した日替わりのおかずの中には、
「くじらの竜田揚げ」「ソフト麺ミートソース」など、
今や珍味の領域になったメニューもある。
また「耳輪土人」の小袋入りジャムは、
今ではネーミングの成立すら無理だろう。

そんな昭和給食で、個人的にインパクトが強いのは「クリームシチュー」だ。

煮込み料理は、大鍋で大量に作ると、火を止めてから少しづつ温度が下がり、
旨味が沁み出て美味しくなると言うが、給食シチューの記憶は、美味。
マカロニやコーンなど、実家では滅多に口にできないハイカラな具も入り、
毎回ワクワクしたものだ。
勿論、必ずおかわりである。
更に「カレーシチュー」なるアレンジメニューも忘れ難い。
カレーとシチューが合体…子供にとっては文字通りの最強コンビ。
先割れスプーンを動かすスピードがアップしたのは言うまでもない。

何だか給食の話ばかりになってしまった。
食いしん坊の過去は、思い出すと楽しい(笑)。
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津幡の町木の果実の思い出。

2011年05月22日 07時15分26秒 | 自然
半袖で歩ける日もあれば、長袖に上着が欲しい時もある5月後半。
今朝は雨降り。
気温は平年に比べ5℃ほど低く、少し肌寒い。
急に気温が下がると、風邪を引いたり体調を崩しやすいもの。
雨の日は、予想気温よりも低めに考えて服を選ぶといいかもしれない。

しかし、きのうまで、津幡町は夏日が続いていた。
小一時間も歩けば汗ばむ陽気で、空気も乾燥していたのだろう。
「今日の一枚」は、カラカラに乾いた「松笠」である。

太陽の熱を吸収したアスファルト上に転がっていたそれは、
長さ6cm程度の卵形で褐色。
形から察するに「クロマツ」のものではないだろうか。
晩秋を表す季語になるくらいだから、本来のタイミングではないが、
一年を通して見かける機会が多い。
種子を内包していて脂分も多く、
これくらい傘が開いた状態なら空気を通しやすく、燃えやすい。

 

キャンプの折など、着火剤として重宝した。
僕がボーイスカウトだった頃、
竈の火入れをする時は、まず「松笠」探し。
手頃な大きさのものを数個手にいれ、
小枝や藁などと一緒に配置してマッチをすれば、たちまち炎が上がる。
また、取り分け朝の火起こしには大活躍。
野外では、例え晴れていても寒暖の差による「露」が降りやすい。
竈も湿ってしまうのだが、テントの隅に置いておいた「松笠」を使えば、
すぐに食事の準備に取り掛かれた。

このように、かつては何かとお世話になったものだが、
今では、その姿を眺めるくらいである。

…そこでふと思う。
散歩を始め、このブログを始めてからは、
以前と比べて自然に接する頻度も高くなった。
今後は、植物との関わりをもう一歩進めてみようか。
木や花、野菜などに愛情を注ぐ時間も悪くないなと思い始めた。
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津幡の初夏の名脇役。

2011年05月21日 09時06分08秒 | 草花
今、初夏の津幡町を彩る主役が、街路に咲き乱れる「ツツジ」だとすれば、
名脇役と言えるのが「今日の一枚」…「クレマチス」だ。

カタカナ音を耳にすると、西洋からの外来植物にも思えるが、
元々日本に自生していた種が海外へ渡り、逆輸入されてきたようだ。
写っているのは、花びらが8枚。
日本原産で、別名「風車(かざぐるま)」というらしい。
また“つる性植物の女王”とも異名を取るだけあって、
美しい大輪の花をそこかしこで咲かせている。

…そして、写真の右隅。
写っているのは、黄色い帽子を被った「津幡小学校生」だ。

撮影時間は、ちょうど通学時。
彼等を見守っているのは「クレマチス」だけではない。
交差点毎にボランティアの方々が立ち、
通行の安全を確保してくれている。
皆さん、一様に手にしているのは、黄色い「横断旗」。
毎朝目にするイエローカラーもまた、初夏の津幡を彩る名脇役だ。

許可を得てシャッターを切った。

 

思い起こせば…この黄色い旗、
昔は、交差点の電柱に設置されたBOXに差しかけられていて、
自由に使えたものである。
目的は、横断歩道を渡る際、ドライバーに歩行者がいる事を示す為。
しかし、腕白盛りの小学生にとっては、格好の遊び道具。
旗を刀に見立てて、チャンバラをしたものだ。
勿論「いけない事」。
オッサンになった今は、深く反省している。
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