つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大晦日、雪景色の津幡町。

2010年12月31日 19時12分32秒 | 日記
前回の投稿で「願わくばドカ雪だけは避けてもらいたいものだ」
…と書いたが、願いは叶わなかった。
割とまとまった積雪となった平成22年12月31日…大晦日の津幡町である。

午前中に買い物へ出かけたのだが、
幹線道路に出れば融雪装置もあって、通行にそれほど困らないものの
住宅街の中など狭い道路は、通行に不便を覚えた。
「今日の一枚」は、その際「アルプラザ津幡」の駐車場にて撮影。
雪は今も降り続いている。
この後、年明け2日にかけても冬型の気圧配置が続く。
いよいよ「除雪車」の出動となるかもしれない。

さて、今年最後の投稿である。
改めて、自分に言い聞かせる意味も込め、
開設してから233日が経ったこのブログの主旨を記しておきたい。

「古城址のある町・津幡の記憶」は、極めて私的で地域密着。
愛犬との散歩を重ねるうち、記憶の中の風景が失われている事に気づき、
その風化を防ぐために始めた。
町内を歩き、写真を撮り、昔日の記憶を掘り起こしながら文を起こす。
お陰で様々な気付きがあった。
有意義な体験になったと思っている。

これほど長きに渡っての日記めいた文章を綴ったのは初の試み。
時折サボった日もあったが、それなりに頑張ったものだ。
その原動力になったのは、立派なオッサンになって芽生えた、
自分史を見つめなおしたい思い。
また、愛犬「りくすけ」のお陰である。



そして「誰かが見てくれるかもしれない」という
ネットならではの環境が励みになったのも確かだ。
これまで、つたない文章をご覧いただいた方々に御礼を申し上げます。
そして、来年もまたお時間の許す限りお付き合いください。

間もなく新春。
よいお年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町の震える雪道。

2010年12月29日 17時07分47秒 | 日記
「今日の一枚」は、自宅の近所で撮影。
ご覧のとおり雪景色である。
これから年末年始にかけて天気予報は、またもや雪。
願わくばドカ雪だけは避けてもらいたいものだ。

さて、よく言われる事だが、昔の雪の量は現在の比ではない。

昭和38年の「三八豪雪」では、金沢で積雪181㎝。
二階からの出入りを余儀なくされる程だったらしいが、
幸か不幸か、僕は生まれておらず体験できなかった。

昭和56年の「五六豪雪」では、金沢で積雪126㎝。
中学生だった僕は、学校への行き帰りにも難儀したが、
とにかく毎朝雪かきに追われた。
どかしてもどかしてもキリがない。
ようやく確保した人道を、僅か数時間で覆い隠してしまう。
「またか…」
何度、そうため息をつき、徒労を繰り返したことだろう。
僕は額の汗をぬぐいながら、鉛色の空から落ちてくる白い雪をうらめしく見上げた。

他にも「豪雪」までは達しないものの、
毎年それなりにまとまった雪が降るのは当たり前。
昼、茶の間で灯りを点けずに本を読んだりしている時、
スーッと暗くなると「雪の合図」だ。
窓の外へ視線を移せば、案の定、すりガラス越しに白い影が見える。

僕はコタツから身を出して電灯からぶら下がったヒモを引く。
点滅しながら蛍光灯が青白い光を放つ。
再び文字の上に目を走らせ、物語の行方を思い描いていると、
今度は微かな震動が伝わってくる。
一緒にゴゴゴと音も聞こえてきた。
「除雪車」だ。

大きな鉄の塊が家の前を通る時は、かなりものもの。
家の中がビリビリと震え、蛍光灯の灯りも小さく左右に揺れる。
やがて震動がおさまり、音が遠ざかると、
路面につもった雪はなくなり、除雪車の雪かきからこぼれた雪によって、
家の前には低い壁ができた。

最近は、こうした経験をずい分としていないように思う。
子供の頃に比べて家で過ごす時間が極端に短くなったせいもあるが、
やはり雪の少なさが大きな要因だろう。
低い雪の壁をついぞ見た記憶がない。
除雪車が出動するまでもないのだ。

果たしてあの雄々しい機械は、暖冬を喜んでいるのだろうか?
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津幡町、冬の用心。

2010年12月26日 14時14分31秒 | 日記
消防団は、本業を持ちながら、在住地域の防火・防災にあたる方々である。
日本では、およそ全ての市町村に設置されているが、その歴史は古い。

江戸時代、火災の多かった江戸の町を護るために設置された
「町火消し」がルーツ。
時代劇などで、「め組」とか「い組」など
お揃いの法被を着た火消しを見かける、アレだ。
町火消は町奉行の監督下にあったが、完全な自治組織。
その経費は、各町の負担であり、しかも火災現場で命をかける火消し衆は、
基本的に無報酬。
いわば名誉職だったと聞く。

現代の消防団の方々も、これを生業にしているわけではない。
「自分たちのまちは自分たちで守る」
…この高潔な精神は、脈々と受け継がれているのだ。

「今日の一枚」は、今年の初夏に、津幡町・井上の住宅街で撮影した。
この地域の消防団の備品が収められた倉庫である。
中を覗いてみると…半鐘、太鼓、放水ポンプ、ホースなどが見て取れる。



津幡町内には、他の地域にも消防団があり、
散歩をしていると、こうした倉庫の前を通るのは珍しくない。
ま、おそらく大きな火事になれば、不十分な装備だろう。
しかし、町には消防署が控えているから、
初期消火の対抗措置としては有効だ。
いざという時には頼りになる心強い存在である。

冬は、他の季節に比べ、火を扱う機会が増えるだろう。
まずは出火しないよう気をつける事が肝要。
火の用心は、自分の家だけでなく地域全体への配慮でもあるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の津幡に咲く花。

2010年12月25日 09時41分35秒 | 草花
きのうの朝から降り始めた冷たい雨は夜更け過ぎに雪へと変わり、
津幡町はすっかりと冬の装い。
雪の白と暗い空が織りなす様子は、モノトーン。
水墨画を思わせる風景が広がっている。
これはこれで趣深いのだが、如何せん色彩に乏しい。
春から秋にかけて目を楽しませてくれた木々の緑や紅葉、
花々が見当たらないのだ。

一方、花屋に足を運べば、一年中、たとえ冬であっても、
沢山の花々が絶えることなく店頭に並んでいる。
しかし、これらは、気温や環境を人の手で調節して育てられていたり、
海外や遠方から運ばれてきたもの。
純粋に「冬の花」ではない。
北陸をはじめ雪が降る地域の冬は、花にとって厳しい条件だ。

それでも冬に咲く花がある。
例えば「今日の一枚」…3日ほど前、晴れた朝に撮影した「山茶花」である。

寒風の吹く中、山茶花は華やかに、そして凛として咲いてる。
野生の花の色は「白」になるそうだが、
園芸用として品種改良され、現在は「桃色」や「赤」など多種多様。
花の形は「椿」よく似た大輪だ。
椿との見分け方は、散り方。
椿が花ごとポトリと落ちるのに対し、山茶花は花びらが一枚一枚散る。
こんな具合に。



また、花に香りがあるのも特徴の一つ。
鼻を近づけてみると気持ちが安らぐ「和」の風情。
この季節しか愛でられない「山茶花」は、
冬の津幡を彩る貴重な存在である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イブ×7⇒2011。~津幡の初春へのカウントダウン。

2010年12月24日 09時58分08秒 | 日記
クリスマス・イブである。
つまり新しい年まで、あと一週間。
「今日の一枚」は、「住吉神社」の「初詣で」のお知らせである。
毎年、この紅白のポスターを見かけるようになると、
年末と同時に、新しい年が近づいてきたのだなと実感するのだ。

以前、9月19日の投稿にも記載したが、
津幡中心部の4つの町はそれぞれの鎮守が御座す。

津幡地区は「太白神社」。
清水地区が「八幡神社」。
加賀爪地区が「白鳥神社」。
そして、庄地区は「住吉神社」。

どれも決して大きくはないが、地域との結びつきは深い。
正月の初詣、小正月の左義長、秋祭り、七五三など、
各種の行事で人々が訪れる。
もちろん、折に触れて拝殿へ参拝する姿があり、
鎮守の森は一年を通じて子供たちの遊び場だ。

世の中はイエス・キリスト降誕の日を前に盛り上がっている。
しかし、日本でのそれは宗教的な行事ではなく殆どイベント。
確かに賑やかで楽しげではあるのだが、
僕は厳かな神事の方に、より親しみを覚える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする