つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

第37回県民みどりの祭典

2023年04月29日 16時26分26秒 | 日記
                       
わが津幡町には「石川県森林公園」がある。
石川県政100周年記念事業の一環として昭和48年(1973年)5月に開園。
ちょうど半世紀前の事だ。



【津幡町北部の丘陵地から三国山(みくにやま)にかけて広がる石川県森林公園は、
 総面積1,150ヘクタールに及ぶ全国屈指の規模を誇る森林公園です。
 東京ドームの246倍もの広大な森林をそのまま生かし、
 四季折々の変化に富んだ里山の自然を楽しむことができます。
 公園は「家族団らんの森」「スポーツの森」「学習の森」「散策の森」「たんれんの森」の
 5つの森で構成され、各エリアには目的に応じた数々の施設があり、
 自然学習やスポーツ、キャンプなどさまざまな体験ができます。】
※【   】内、津幡町観光ガイドより引用/抜粋

僕がまだ子供だった頃、遠足の行き先はこの森林公園ばかり。
緑豊かないいトコロなのだが、男子小学生に自然を愛でる素養は少なく、
少々辟易とした思い出がある。
--- オジサンになった今は、時折、現地へ足を運び、
樹々の葉や花々を眺めて季節の移り変わりを楽しめるようになった。



さて、本日(2023/04/29)そんな森林公園・緑化の広場で、
「第37回 県民みどりの祭典」が開催された。









間伐材を利用した遊具。
ウッドバーニング体験。
(→木に電熱ペンなどを使って文字や絵柄を焼き付ける技法のこと。
  焼き絵、焦がし絵とも呼ばれる)
ステージでのゲームイベント。
緑化苗木の無料配布。
---など、様々な催しを実施。

僕がお邪魔したのはイベントの開始間もないタイミングだったが、
午前中は好天に恵まれたこともあり沢山の人手で賑わう。
コロナウイルスの感染症法上の位置づけが来月から「5類」へ移行するのを受けてか、
ノーマスクも多い。
石川県知事、津幡町町長らも来賓。
来場者たちと気さくに会話を交わしていた。



さぁ黄金週間がスタート。
拙ブログをご覧の皆さまは、いかがお過ごしだろうか?
僕はと言えば、これから久しぶり(数年ぶり)の飲み会である。
                           
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名優、そろい踏み。<追記>

2023年04月23日 23時03分33秒 | 賭けたり競ったり
※以下本文:4月23日午前11時投稿 末尾に追記アリ                       

【名人】 を辞書で引くと以下の記載がある。
「技芸にすぐれている人。また、その分野で評判の高い人。」
競艇の場合は、本来の意味合いに「年齢」が加味される。

今夜(2023/04/23)福岡県・若松競艇場に於いて行われるプレミアムG1レース、
「第24回 マスターズチャンピオン(名人戦競争)」優勝戦。
以下のメンバーが最後の6ピットに舳先を進めた。



1号艇:井口佳典 (45/三重)
2号艇:濱野谷憲吾(49/東京)
3号艇:中沢和志 (46/埼玉)
4号艇:瓜生正義 (47/福岡)
5号艇:魚谷智之 (47/兵庫)
6号艇:今垣光太郎(53/福井)

名前に続けた数字は、レーサー個々の年齢。
「マスターズチャンピオン」の出場資格は、級別、性別は不問ながら、
当年4月1日に満45歳以上になる選手から選出される。
つまり大会出場選手52名はキャリア20年以上、歴戦の業師(わざし)揃い。
その中で6日間しのぎを削り生き残った訳だから、
いずれ劣らぬ「名優揃い踏み」である。

順当に考えれば、勝者は「井口」だろう。
おととい、きのうと同じ時間帯に同じ枠番で走っているし、
おそらく気象条件も同じ追い風基調。
予行練習は充分、優勝への流れが来ている。
プレッシャーに縛られなければ戴冠の確率は高い。
--- が、しかし。

思えば、ここ2年あまり彼はビッグタイトルから遠ざかっていた。
2021年4月「新型コロナ給付金」の不正受給が発覚。
制度の趣旨を理解しないまま安易に受給していた(悪気はなかった)とは言え、
艇界トップ選手としての自覚に欠けていた。
しばらく出場停止となり復帰するも、以前の輝きには及ばない。
今回は「汚名挽回のチャンス」。
何としても獲りたいところだろうが、その気持ちが重圧にならないだろうか?

優勝戦メンバーの中で機力が光るのは「魚谷」。
ゆうべの準優10レース。
2着に甘んじた「魚谷」が駆るモーター52号機は、とても力強かった。
1着になった「濱野谷」よりもパワーは上位。
彼を軸にした舟券を買ってみたい気もしている。

6人の名優による舞台にシナリオはない。
どんなドラマが繰り広げられるのかは神のみぞ知る。
幕が開くのは、午後8時40分頃。
ネットでも、TVでも生中継アリ。
よろしかったら、是非、ご覧くださいませ。
                    
※以下追記:4月23日午後11時投稿    

<千両役者は1年生>

いずれ劣らぬ「名優揃い踏み」。
「第24回 マスターズチャンピオン(名人戦競争)」優勝戦を勝ったのは、
白いカポックの「井口佳典」だった。



やはり、過去2日の予行練習が活きた。
プレッシャーを撥ね退け「井口」は負けないスタートを決め、
やや出遅れた3号艇が果敢に繰り出した捲りを受け止め、先陣を切ってファーストターン。
周り終わった直線で追いすがる3号艇に先行を許さず、セカンドターンで突き放した。
これで勝負アリ。
きわどい競り合いを制し、2周目からは堂々の一人旅となった。



激しかったのは2着争い。
上掲画像、黄色い丸で囲った5号艇はファーストターンを周った時点で、
1と3の水飛沫を浴び3番手。
だがセカンドターンで3号艇が攻めあぐねている間に内側へ潜り込む。



力強い推進力を発揮し、たちまち2番手を取り返してみせた。
鮮やかな逆転劇は、実に見応え充分。
やはり「魚谷」が駆るモーター52号機は、とても力強かった。
結局1-5-2で決着。
わが舟券は的中を恵んでもらった。



上掲画像、矢印の下が「井口」。
真っ先にゴールしたチャンピオンは、他艇を見送り最後尾でピットへ向かう。
優勝戦メンバーの中では最も年が若くマスターズ初参戦の1年生として、
諸先輩に敬意を表したのだ。
ともかく、久々のビッグタイトルを手にした千両役者が復活の狼煙をあげた。
今後が、楽しみである。

おめでとう!
                   
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Sweet Seasons.

2023年04月22日 23時00分00秒 | 日記
                     
今回は、最初に歌を一つ取り上げてみたい。

Sometimes you win, sometimes you lose
And most times you choose between the two
Wonderin', wonderin' if you have made it
(But) I'll have some kids and make my plans
(And) I'll watch the seasons running away
And I'll build me a life in the open, a life in the country

人生は勝つ時もあれば 負ける時もある
うまくいったかどうか気にかけ振り返りながら白黒つけたがるのが世の常
でも私は生まれてくる子供たちのことや この先の未来について考えるわ
そして季節の移ろいを感じながら
豊かに開けた人生、豊かな自然に抱かれた暮らしを想うようにしている

I'm Talkin' 'bout sweet seasons on my mind
Sure does appeal to me
You know we can get there easily
Just like a sailboat sailin' on the sea
Talkin' 'bout sweet seasons ......

私が言っているのは心に浮かぶ「素晴らしい季節」のこと
誰もがそこへ惹きつけられてゆくわ
海風を帆に受けて進む舟のように
この曲は 心の中にある「素晴らしい季節」について歌っているの

Carole King - Sweet Seasons/意訳-りくすけ



70年代アメリカの女性シンガーソングライターを代表する「キャロル・キング」。
彼女が最初の夫「ジェリー・ゴフィン」と共に手掛けたヒットソングは多い。
「シュレルズ」の「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」。
「リトル・エヴァ」の「ロコモーション」。
「アレサ・フランクリン」の「ナチュラル・ウーマン」などは、
今やスタンダードナンバーと言っていいかもしれない。
自身が歌う秀作・名曲も数多いが、
個人的に好きなナンバーの1つは「スウィート・シーズンズ」だ。

僕の心の中にある「素晴らしい季節」は、2つに大別されるかもしれない。
1つはちょうど今時分--- 春から初夏にかけて。





ほんの2カ月前まで冬枯れていた樹々の枝に萌え出づる若葉。
鮮やかな色を誇るかのように開く花々。
「立夏」(2023/05/06)まではまだしばらく間があるが、
柔らかく暖かな雨が田畑を潤す「穀雨」(2023/04/20)はつい先日過ぎたばかり。
実に穏やかでいい季節だと思う。

もう一つは年を重ねたせいか、ついつい過去を振り返ってしまう。



現在6月25日(日)まで「津幡ふるさと歴史館 れきしる」にて、
春の民俗資料展「時を知る」が開催中。
昨年も同時期に行われていた。
期間中に「時の記念日(6/10)」を迎えるからだろう。
展示スペースに並ぶ時を告げる機械の中で、目に留まった1台があった。



令和4年(2023年)3月に閉園した「つばた幼稚園」にあった掛け時計。
平成9年(1997年)2月から園児たちをずっと見守り役目を終えた時計。
僕は、コイツを眺めてある種の感慨を覚えてしまったのである。
時代はかけ離れているが、まだ幼かった当時の自分を思い出し、
そう言えば、あの頃も「Sweet Seasons」だったな--- と。



「れきしる」から外に出ると、かわいい後輩たちが池の鯉を見て歓声を上げていた。
彼らは「素晴らしい季節」の真っ只中にいる。
                            
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歴史が繰り返すのは必然か?それとも偶然か?

2023年04月16日 22時00分00秒 | 手すさびにて候。
                            
「ナチス」は政党の名前である。
「国家社会主義ドイツ労働者党」。
「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」の略称「ナチ(Nazi)」の複数形だ。
彼らがドイツを率いた1933年から1945年、わずか10年あまりの間に、
数々の犯罪・蛮行が繰り返されたことは、今さら説明するまでもないだろう。

敗戦後、ドイツは謝罪・賠償に留まらず、国民の教育、法律の制定など、
国を挙げて、過去の膿を絞り出してきた。
その根底にある1つは「原罪意識」。
ナチス政権は民主的な選挙により誕生しているからだ。
禁断の果実(ナチズム)を食べるよう勧めたのは蛇(ナチス)だが、
手を伸ばし口にしたのは、当時のドイツ国民たち---アダムとイヴの意志だった。

今回は、その出来事を“舞台劇”に例えてみようと思う。
但し、スポットライトを当てるのは「アドルフ・ヒトラー」に非ず。
主演は3人の裏方である。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十三弾「第三帝国の立役者たち」。



企画演出・広報:「パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス」

権力を握ったヒトラーは「国民啓蒙・宣伝省」を創設。
目的は、あらゆるメディアを総動員してドイツをナチス一色に染め上げる事。
大臣に任命されたゲッベルスは辣腕を振るう。

映画、演劇、音楽、美術、
娯楽の裏にナチスの意図や思想を忍び込ませ、
観客の潜在意識に語りかけ、刷り込み、大衆が「自ら進んでナチスに賛同するよう」誘導。
また、ラジオも大いに活用。
安価で海外の放送が聞けない「国民ラジオ」受信機を大量生産・普及させ、
全国どこにでも、リアルタイムでヒトラーの演説を直接届けた。
徹底的なプロパガンダにより、7000万国民の大半を洗脳。
“ヒトラーがゲッベルスを創り、ゲッベルスがヒトラーを創った”のである。

大道具・書割り:「アルベルト・シュペーア」
          
ヒトラーが最も寵愛した建築家。
「廃墟価値の理論」を提唱した。

“建物とは数千年先の未来、廃墟となってなお美しさを感じさせなければならない。
 古代ギリシャやローマの遺構が美しさを伴っているのは、
 劣化した建築材と絡み合う自然との調和があるから。
 朽ちてなお、かつて繁栄した偉大な文明と暮らし、
 悠久の時を夢想させる建築にこそ価値がある”

そんな考えに基づき、ヒトラーが理想とする古典的で重厚な石造建築群を生み出す。
代表的な一つは「ベルリン・オリンピアシュタディオン」。
現在も廃墟になることなく現役を務める競技場は、
「第11回 夏季オリンピック大会」のメイン会場となった。

こうしてゲッベルスが演出し、シュペーアが整えた舞台に、
いよいよ3人目のキャストが登場する。

映画監督:「レニ・リーフェンシュタール」

「我々が政権を獲得したら、あなたは私の映画を撮影してくれますね」

初対面でそう言ったヒトラーは、嘘をつかなかった。
首相に任命されるや正式に依頼があり、
ナチス党大会のドキュメンタリー映画『意志の勝利』が製作された。
16台のカメラ、100人を超えるスタッフを動員。
当時としては大規模な現場で指揮を執ったのは、30歳を過ぎたばかりの女性だった。

彼女「レニ・リーフェンシュタール」は、20世紀の幕が開いた翌年、
ベルリンの裕福な家庭に生まれる。
水泳、体操、アイススケート、ピアノ、テニス。
子供の頃から様々なことに取り組み、ダンサーとしてプロデビュー。
将来のスター候補として階段を登り始めた矢先、膝を負傷。
舞踏家の道を断念せざるを得なかった。
失意の中で観た一本の映画に感銘を受け、女優に転身。
監督と主演を務めた作品が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。
映画人の地歩を固めた頃、ヒトラーに出逢いナチスとの二人三脚が始まる。

前述した『意志の勝利』に続いて取り組んだ素材が、ベルリン・オリンピックだった。
・聖火リレー、開会式などの大会演出と、
 古代オリンピックから受け継がれる陸上競技を記録した『民族の祭典』。
・陸上以外で美しさを感じる競技や、選手の横顔をまとめた『美の祭典』。
2本の異なる作品を通称『オリンピア』と呼ぶ。

焦点距離の異なるレンズを駆使し、撮影対象に合わせてフィルムを使い分けたり。
レールの上に置いたカメラでアングルを変えながら被写体を捉えたり。
地面に掘った穴にカメラを据えて撮影したり。
大胆なクローズアップで群衆の一人を切り取って見せ、観客に臨場感を抱かせたり。
競技後、選手たちを呼び戻し、スタジアムにエキストラを集め、
改めて録り直した映像・音声、効果音を巧みに交えたり--- 。
様々な工夫を凝らし、監督の感性を前面に押し出した作品の芸術的完成度は極めて高い。
再現フィルムというファンタジーを加えたそれは厳密なドキュメンタリーとは言えないが、
五輪史上初の本格的長編公式記録映画として、大ヒットを記録した。

1936年開催の「ベルリン・オリンピック」は、
ナチスが総力を結集した壮大な目くらまし。
競技場の建設、大会運営に至るまで金と労力を惜しまず注ぎ込み、
過去最多の選手と観客を集め、世界記録とオリンピックレコードを量産。
過剰なまでに一分の隙も無く文句が付けにくい大会をやり遂げ、
「平和で寛容なナチス・ドイツ」を印象付けることに成功した。

だが、程なく世界は知ることになる。
その裏にひた隠しにされた人種差別政策や領土拡大の野望を。
そして僕たちは知っている。
ナチスが歴史のタブーになったこと。
タブーが過去になっていないことを。

80年代以降、景気の悪さなど不満のはけ口を、
自分達とルーツが異なる人々に向ける勢力「ネオナチ」が台頭した。
また近年、世界各国で排他的な流れが起こっている。
ロシアの大統領は、ウクライナ侵攻について、
しばしば「ネオナチと戦うため」とまやかしを口にしている。

今投稿冒頭で書いたとおり、
ナチスは、民主的な憲法の下、民主的な選挙によって生まれた。
民主主義は万全ではない。
我々扱う側が常に試めされているとも言えるのではないだろうか。

結びとして拙作イラストに掲載した「言葉」について紹介したい。
ドイツの哲学者「フリードリヒ・ヘーゲル」曰く
「Wir lernen aus der Geschichte, dass wir überhaupt nichts lernen」
「我々が歴史から学ぶことがあるとすれば、
 我々は歴史から何一つ学んでいないということだ」
                            
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令和5年度、津幡町。

2023年04月15日 21時21分21秒 | 日記
                  
新年度(令和5年度)の幕が開いて半月余りが経った。
春は“出会いと別れの季節”とか“新生活の始まり”と言われるが、
今年は僕の人生にも、節目が訪れた。
私生活上のこと故、多くを語るつもりはないがそれなりに大きな変化である。
ま、拙ブログは変わらずに継続してゆく。
今後とも何卒よしなに。



さて、毎月、町内の各家に配布される「広報つばた 令和5年4月号」に、
今年度の一般会計当初予算が掲載されていた。
「145億4100万円」。

歳出のうち最も占有率が高いのは、高齢者・児童・障害者福祉に充てる「民生費」。
以下、土木→教育→公債→総務→衛生--- と続く。
対する歳入は、町税を主とする自主財源が36%。
地方交付税、国庫支出金などの依存財源は64%あまり。
--- 正直、自主的な財政運営に於いて優等生とは言い難いと思う。



【津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、
 古来、加賀国・能登国・越中国(石川県加賀地方・能登地方、富山県)を結ぶ
 交通の要衝として栄えてきました。
 <中略>
 県都・金沢市からは、IRいしかわ鉄道線(旧JR西日本北陸本線)で約10分、
 車なら国道8号津幡バイパスを利用して約20分で往来可能となっており、
 ベッドタウンとして急速に人口を増やしてきました。<後略>】
(※津幡町公式HPより抜粋引用)

上記文面にあるとおり、僕が子供だった頃と比べ人口は増えた。
しかし、少子高齢化の流れには逆らえない。
今後の自主財源確保のためには産業の創出が必要だ。
一足飛びにはいかない困難を伴う道のりだろうが、行政には一層の努力を望みたい。
微力ながら協力は惜しまないつもりだ。
                     

                            
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