例外は「競艇」のみ。
他に、現在、僕の人生で「ゲーム」に費やす時間はない。
世の中で盛んな、スマホやPC、ゲーム機を使ったそれは皆無。
子供時代に興じた、将棋、双六、オセロ、人生ゲーム、トランプなども今は昔。
嗜好は人それぞれ。
きっと僕は、ゲームへの思い入れに欠けるのだろう。
自分の過去を振り返ってみたところ、
それなりの期間、それなりの情熱を傾けたのは---「麻雀」しかない。
主に、高校生~社会人初期にかけ遊んだ。
経験者はお分かりだろうけれども、一応そのあらましを簡単に記しておこう。
基本プレイヤーは4人。
横2センチくらい、縦3センチほどの「牌(パイ)」を使う。
牌は大別して4種類、34個づつ、計136個。
それぞれが無作為に混ぜた13個を所有してスタート。
136-52=84個を、種類が分からない状態で順番に1個づつ引き、
取捨選択しつつ14個で規定の組み合わせ「役(ヤク)」を作る。
誰か1人が役を完成させ上がったら対戦終了。
コレを何度か繰り返す。
役はカタチによって点数が定められていて、最も点を稼いだ人が勝利者となる。
まだ色々あるのだが、ざっとこんな感じだろうか?
目指す役の選択、アガリまでの駆け引き、運などが絡み合い、なかなか面白い。
実際に卓を囲むリアルゲームに加え、
珍しくコインを投入して遊ぶ「アーケードゲーム版」も嗜んだ。
--- 何故ならそこには「妖しい魅力」が漂っていたのである。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十八弾「脱衣麻雀」。
ネットを介したオンラインゲームは影も形もない。
家庭用ゲーム機の普及は始まったばかり。
80年代半ばのゲームセンターは賑わっていた。
カップルの嬌声が飛び交うパンチングゲームやモグラたたき。
子供たちの歓声が心和ませるクレーンゲーム。
派手な音と光の明滅を振りまくピンボール。
デジタル炸裂音と共にレバーやボタンを操るシューティングゲーム。
それらに背を向けた、奥の一角。
「脱衣麻雀」は薄暗い吹き溜まりに鎮座していた。
集う人種もどこかアウトローな男たち。
ネクタイの首元をゆるめたサラリーマン。
ドカジャンを羽織った肉体労働者風。
僕と同じ、いかにも不真面目な学生。
咥え煙草で背中を丸め、独り平らなブラウン管を睨みながら麻雀を打っていた。
対戦はゲーム機との1対1。
「女性キャラクター」が相手だ。
キャラは、こちらがアガルたびに一枚づつ脱衣してゆく。
脱ぐものがなくなったら負けだ。
こちらは、持ち点が尽きたら負け。
真剣勝負である!(アホ)
序盤の1回、2回は、割合簡単に勝てた。
“あ~ん負けちゃったぁ--- 強いのねっ♡”
とか言いながら上着とシャツくらいは脱いでくれるのだが、そこからモードが変わった。
3巡目でリーチがかかり一発ツモ!
今度こそと思い臨む次戦は、ポン、ポン、チー、ロン!
たちまちクレジットを使い果たし、あんぐり呆然自失の僕。
すかさず挑発が始まる。
“ここでやめるなんて男らしくないわねっ!”
“意気地なしなんだからぁ!”
“ホラあと10秒よ、どーするのっ?!”
タイムリミットまでに課金しなければゲームオーバー。
一度終局すれば、最初からやり直しだ。
軽く舌打ちしながら100円硬貨を手に取ったのは言うまでもない。
勝ったり、負けたり、負けたり、負けたり、勝ったりするうち、
気が付くと20枚あまりが吸い込まれてしまっているのである。
彼女は強く、男たちは打ちのめされた。
散財したが、誰も戦いを諦めはしない。
倒れても、倒れても、立ち上がった。
「ビーナスの誕生」を目にするためだけに。(大アホ)
--- さて、そんな男のロマンを掻き立た「脱衣麻雀」。
90年代までは盛んだったようだが、僕は早くに情熱を失う。
その後、風紀上好ましくないと規制が入り駆逐されたと聞いたが、
末路は見届けていない。
果たしてゲーセンの片隅にでも、
前時代の生きる化石として残っていてくれるのだろうか。
20年ぶりくらいに足を踏み入れてみた。
初めて見る機種。
初めて知るメダルやカードを購入する常識に戸惑うばかり。
競艇シュミレーションゲームにも食指は動かず。
僕は「浦島太郎」だ。
当然ながら麻雀も様変わり。
4人打ちで「プロ雀士」(という設定のコンピュータ)が相手。
見知らぬ誰かともオンラインで打てるらしい。
レトロな初期型スタイルも見つけた。
しかし、彼女はもう何処にもいない。
あの蠱惑的な微笑みは、消えていた。
予想はしていた。
否、もう会えないだろうと確信していた。
でも、別れには、一抹の寂しさが付きまとった。