つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

闇にひらく花。

2022年07月31日 12時23分23秒 | 手すさびにて候。
                         
【昔の中国の王宮には「宦官(かんがん)」と呼ばれる召使いが大勢いた。
 彼らは男として生まれたが、男のしるしを取り、男ではなくなった。
 声は女のようにかん高く、ひげも生えていない。
 中には、女より女らしく美しいものもいたという。】


一言一句をハッキリと覚えている訳ではないが、
僕がそんな趣旨の記述を目にしたのは、小学生の頃。
世界の不思議を集めた読み物の短い補足説明だったと思う。

--- 一読した時、背筋がゾクリとした。

男ではなく、女でもない、正体不明の美しい人。
少年にとって、理解の範疇を越えた存在に驚き、
長い歴史を持つ大国の深淵を覗き見た気がした。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百六弾「宦官」。



「宦」は「神に仕える奴隷」または「王に仕える者」。
「官」は「国家の機関。役所。官庁」また「そこに勤める人」。

古代中国に端を発し、朝鮮、ベトナムなどの東アジア。
オスマン帝国、ムガル帝国といった、中東~西アジア。
エジプト、ギリシア・ローマの地中海世界に至るまで、
王族・貴族階級が、去勢された男子「宦官」を用いた例は少なくない。

その起こりは「刑罰」。
時の王朝が、征服した先住民が子孫を残さないよう、
あるいは重罪人のペナルティーとして、生殖器を切り取った。
去勢後は皇帝への貢ぎ物として奴隷になる。

配属先の1つが、後宮(ハレム)。
千人単位の美女たちに奉仕し、彼女らを管理するのは「宦官」が打って付け。
何しろ過ちを犯す心配がなかった。

また彼らは「皇帝の黒子」でもある。
古代東洋世界の絶対君主は、人に非ず。
民が見つめる表舞台では、生身の自分をひた隠し、神の代弁者を演じなければならない。
楽屋裏で身の回りの世話をする役目は、
世間を捨てた「満足な人ならざる者」が相応しかった。

料理、掃除、洗濯。
身辺警護や皇族の教育係、礼儀作法の指導。
役人や官僚の監視、皇帝と重臣たちの連絡係。
武器製造、公共事業の管理など、担う仕事の範囲は次第に広がり、
重要度を深めてゆき、やがて欠くことの出来ない存在となってゆく。

そんな「宦官」。
最盛期には10万人を数えたという。
去勢手術が失敗すれば死ぬかもしれないのに、
志願者が後を絶たなかった理由は、「サクセス」。
庶民階級にとって富と権力を得るための貴重な手段だった。

殷代から清朝まで。
紀元前17世紀から20世紀まで続いた「宦官」制度。
3500年を超える歴史の中では、時折、政治を乱す元凶になり、
ややもするとネガティブな印象を抱くが---
傑作の呼び声高い歴史書「史記」を著した「司馬遷(しばせん)」。
現代に通じる記録メディア・紙を開発した「蔡倫(さいりん)」。
7度の大航海でアフリカに到達した「鄭和(ていわ)」。
--- など、功績を残した例もある。
更に、権力の中枢に食い込むトップクラスになると、
莫大な財産を手にして、広大な土地・豪邸を持つ者もいたという。

しかし、それはレアケース。
多くは裏方の悲哀に暮れた。

宦官になれば、幽閉されたも同じこと。
生きる場所は、権謀術数渦巻く後宮のみ。
外出禁止。
口外禁止。
自由も、男の悦びも奪われ、
鬱気を紛らわせようと手を伸ばした阿片が香る白い肌。
歴史の闇に咲く妖かしの花だ。
              
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青い夏空の真下で。

2022年07月30日 22時34分56秒 | 日記
                             


今日(2022/07/30)撮影した、津幡町の空。
漂う白を包む一面の青は、いかにも夏の佇まいである。
--- ところで、皆さんは「青(BLUE)」にどんな印象を抱くだろうか?

明るい、清々しい、新しい、美しい。
寒い、恐ろしい。
(気が)滅入る、不安、憂鬱。
光の三原色の1つであり、色の三原色の1つ。
ベーシックな色「青」は、なかなか複雑な意味合いを持つ。

青空を見上げていると、どれも当て嵌まる気がしてきた。
突き抜けるような色彩は、確かに「明るく、清々しく、新しく、美しい」。
反面、他の色が混在することを拒絶する「恐ろしさ」があり「寒々しい」。
その主張の強さに「気が滅入り」、どこか「不安」とか「憂鬱」を覚える。

そして、脳裏に歌が浮かんだ。


                
「青空」(作詞・作曲: 真島昌利 /編曲:THE BLUE HEARTS)

曲名の読みは「あおぞら」ではなく「あおいそら」。

“生まれたところや 皮膚や目の色で
 いったいこの僕の 何が分かると言うのだろう“
“こんなはずじゃなかっただろう? 歴史が僕を問いつめる
 眩しいほど 青い空の真下で”


4/4拍子、単純なコード進行にのせ、
「青(BLUE)」が内包する意味合いを重ね合わせたかのような歌詞。
実に味わい深いのである。



「全国選抜社会人相撲選手権大会」
青い夏空の真下、3年ぶりに張り出された横断幕。
明日(2022/07/31)開催の同大会会場「津幡町 常設相撲場」に隣接する施設
れきしる」は、協賛企画実施中。
明日は無料観覧デーだ。
                          
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賭けたり、競ったり、実ったり。

2022年07月25日 22時00分00秒 | 賭けたり競ったり
                     
きのう(2022/07/24)、兵庫県・尼崎市にある「尼崎競艇場」に於いて、
年間9回のSG(スペシャルグレード)競争1つ
「第27回 オーシャンカップ」優勝戦が行われた。
最後の6ピットへ舳先を進めたのは、以下のメンバー。



1号艇:椎名 豊(群馬)
2号艇:稲田浩二(兵庫)
3号艇:丸岡正典(大阪)
4号艇:太田和美(大阪)
5号艇:桐生順平(埼玉)
6号艇:片岡雅裕(香川)

優勝戦前日、セミファイナル3レースは波乱が続いた。
1つ目は、本番で風向きが変わり本命サイドが出遅れ、高配当決着。
2つ目は、勝負を賭けたレーサーが勇み足、フライングに散った。
しかし3つ目は、シリーズリーダーが堂々のイン逃げ。
それが「椎名 豊」だった。
ただ一人、順当な勝ち上がり。
出来そうで出来ない離れ業を演じてのけた。
---戦前、僕は彼の優勝を確信した。



果たして、上州の若武者はやはり強かった。
他艇に何もさせず、影をも踏ませぬ完勝劇。
SG初の優出でビッグタイトルを手にした。





勝利者インタビューでは、時折、顔をゆがめ、目に涙を浮かべながら、
「実感がわかない」「信じられない」と連発した「椎名」。
デビュー戦から9年あまり。
レースの出走回数は2000近く。
重ねた努力が1つの実を結んだ。
それが、どれだけ「豊か」なものになるのか?
初々しい王者の今後に期待を抱かずにいられない。

おめでとう!
                    
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monotone Journey 10(+1).

2022年07月24日 16時16分16秒 | 白と黒の旅
                    
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第十篇。
今回は最後に敢えてカラー画像を加え(+1)とした。


                 

今朝(2022/07/24)午前6時過ぎ、散歩を始めて程なく気が付いた。
「光の射し具合と、影の落ち具合がいいな---」
左程暑くなく湿度低めで、太陽の高度も低い。
写真撮影技術については素人を自認する僕に理屈は分からないものの、
いつもに比べ、何となく「いい感じ」。
モノクロで味わいが出るかもしれないと考え、幾つかシャッターを切った。


津幡中央銀座商店街のスナップ。
建物に遮られ日光は地表まで届いていないが、
一部、窓ガラスや壁面に反射し路面を照らす一角も見受けられる。
陰影が際立つと受ける印象が普段とはまるで違う。
時間まで超越したような、過去へスリップしたような錯覚を覚えるのだ。


「勝泉米穀店」店頭の幟は、女子レスリング五輪金メダルコンビ。
津幡町出身の「川井姉妹」だ。
暦の上では「大暑」ながら、ひたひたと、季節は歩みを進めている。
そう遠くない未来に控えるのは、実りの秋だ。




現在、津幡町に唯一残る造り酒屋「久世酒造」の板塀。
同社が創業した天明6年(1786年)は江戸時代後期。
もちろん、それ程の昔からではないが、
風雪を耐えてきた木材をモノトーンにすると枯淡の趣きが増す。
また、窓枠に腰かけコチラを凝視するブチネコ、店舗ショウウインドの達磨も同様だ。

                               


モノクロ画像の最後は「久世酒造」傍、
標高15メートルの小高い丘陵地・大西山への案内。
その坂を上った上には、看板の遺構・施設がある。
@津幡城跡--- 源平合戦の折、平家軍が津幡に陣を敷き、街道を見下すこの地に砦を築いた。
@れきしる--- 津幡町の遺物を集めた歴史館。
@為広塚--- 室町~戦国時代の公卿・歌人「冷泉為広」墓所。
そして、かつてはわが母校「津幡小学校」の校舎も建っていた。

先回投稿では、大西山の小学校について「司馬遼太郎」氏の名作を引き合いに出し、
丘の上の青天に輝く 時の雲を目指してと題した。
これが「丘の上の青天に輝く雲」である。


                      
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丘の上の青天に輝く 時の雲を目指して。

2022年07月23日 12時12分12秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                        
来年(2023年)春。
わが母校「津幡小学校」が、創立150年を迎える。



「司馬遼太郎」氏の言葉を借りるなら、150年前の日本は
“坂の上の青天に輝く一朶の雲を目指して”歩み始めた頃。
欧米列強に追い付き、やがて追い越すため、三大改革を実施した。

徴兵により強力な国民軍隊を作り上げる---「兵制」。
国家財政を安定・充実させる---「税制:地租改正」。
そして、未来を背負う人材を育成する---「学制」だ。
明治5年(1872年)に、小学校から大学校までの学校制度が公布された1年後、
「津幡小学校」は、産声を挙げた。



同校では「150周年記念事業」について協議がスタート。
と、同時に母校の節目を側面からサポートしようと、
卒業生有志による応援団が発足。
何と、僕「りくすけ」にもお声がかかり末席に加わることに。
きのう(2022/07/22)「津幡地域交流センター(公民館)」に於いて、
最初の顔合わせが行われた。



上掲画像、メンバー達が囲む机上に広げられているのは、
応援団長手作りの「津幡小学校年表」である。

創設間もない黎明期。
大西山に建築された木造校舎で70年あまり。
僕自身も通った鉄筋校舎は半世紀近く。
校舎が大西山を降り、現在の姿になって10年ちょっと。
大きく4つのパートに分かれる校史に、戦争、災害などの出来事を重ね合わせ、
まずは、150年全体を俯瞰しつつ、活動の指針を探った。



続いて、小学校内に場所を移し「創設150周年事業 準備委員会」の皆さん、
校長先生、教頭先生、PTA役員各位とも顔合わせをした。

周年事業の詳細・スケジュールは、これから決まってゆく。
僕の係り方、立場、役割なども、次第に定まってゆくだろう。
その様子は、拙ブログを通じ、随時紹介予定。
別途「150周年専用サイト」を立ち上げることになるかもしれない。
改めてご案内いたします。

拙ブログをご覧の津幡小学校にゆかりの皆さま、
色々と情報提供をお願いすることもあるだろう。
その際は、何卒よしなに。
                           
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