つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

夏の終わりの幻影。~津幡町と伊太利亜。

2012年08月30日 07時35分24秒 | 旅行
「今日の一枚」は、8月25日、津幡南中学校吹奏楽部にて行われた
「夕涼みコンサート」のチラシ。
近所の掲示板に貼附してあった。
果たしてどんな演奏だったのか?
足を運んでいない僕にとって、知る由もない。
しかし、そのデザインに組み込まれた尖塔と町並みは知っている。
…サンマルコ広場だ。
何度が訪れた事のある水の都の景観である。

以前(※2010年9月30日)投稿したが、
僕は1979年から1年間にわたりNHKで放送されていた
アニメ「マルコ・ポーロの冒険」が好きだった。
主人公の生まれ故郷こそ「ベネチア」。
ユーラシア大陸を往復する壮大な旅の出発地であり終着地。
僕にとっては憧れの町だったのである。

果たして…叶った初訪問。
世界でここの他にはない、唯一無二の様相に驚き、夢中になった。
何しろ、ベネチアに自動車は1台も走っていない。
町中の道は人間専用。すれ違うのもやっとの幅しかないのも珍しくない。
石造りの建物の間を走る、入り組み、不規則な路地。
見晴らしの効かず薄暗いそこは、まさに迷路のよう。
あてもなく彷徨うのが楽しくて仕方がなかった。

また、ベネチアの醍醐味は静かな水の上にもあり。
鏡のように波の立たない水路を渡りながら眺める、
建物の外壁の装飾や、窓際の花々。
次々と現れては過ぎてゆく大理石や木造の橋。
行き交う観光客の笑い声。 
小さな広場でサッカーを楽しむ子どもたち。
目に映る風景全てが詩的に融合した様子は、心地よい感覚に誘ってくれる。

そんな、過去を切り取ったような時間が流れるベネチアで、
最も賑やかな場所こそ、中央に大きな塔が聳える「サン・マルコ広場」だ。

町の入口…鉄道駅で買ったピザを頬張りながら、
前述の迷路を歩くこと1時間余り。
辿りついたそこは、奥行175メートル、幅57メートルのスペース。
両サイドには、3階建ての美しい石造りのアーチが並ぶ。

『マルコも、こんな景色を見ながら旅立っていったのかな?』
などと考え、僕は感無量だった。

   
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津幡町で交錯する、夏と秋の虚と実。

2012年08月28日 22時15分21秒 | 日記
今朝の散歩中、アスファルトの上に佇む油蝉を目にした。
それが「今日の一枚」。
日中は猛暑となるも…いやだからこそか?朝晩は流石に涼を感じる今日この頃。
屋外は、去りゆく夏と来る秋が鬩ぎ合っている。
木立からは蝉の声。
草叢からは虫の声。
前者は控えめで、後者は勢いを感じる。
季節が移ろいゆこうとしている表れだ。

田園もまた同じ。

  

実りが進み頭を垂れる稲穂。
上空から無色透明の日差し。
日中の空気はまだ夏の面影。
朝晩はそれなりの涼が漂う。
夏と秋 2つの姿が見え隠れ 行きつ戻りつ 時は流るる。

(※2011年9月29日に関連記載アリ)
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43年前の偉業を讃え、津幡町の夜空に追悼。

2012年08月27日 23時58分57秒 | これは昭和と言えるだろう。
今朝のニュースで知った。
月面着陸に成功した米宇宙船アポロ11号に乗り、
人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロング船長が25日、死去。
82年の生涯を閉じた。
残念至極である。

大昔、宇宙は【神話の世界】だった。
「竹取物語」や「ギリシャ神話」に描かれたそこは、神々の領域。
夜空を見上げ、人はこう思いを馳せたに違いない。
『あの輝く星には、何があるんだろう? どうやったら辿り着けるのだろう?』
人は星の海に恋をして、少しでも宇宙を身近に感じられるようにと考え、
「望遠鏡」を創り出し、そこは【空想の世界】になる。
やがて、宇宙をモチーフにした歌や物語が生まれ、
ますます思いを募らせ、星の海に漕ぎ出す船…「ロケット」を開発。
【手の届く世界】にしたのは20世紀。
西側の代表「アメリカ」と東側の代表「ソ連」、大国による宇宙開発戦争…
「スター・ウォーズ」の幕が切って落とされ、宇宙との距離は急接近した。

前述の偉業達成の発端は、そんな最中の1961年5月、
「ジョン・F・ケネディ」行った歴史的な演説だった。

   
『我々は60年代が終わるまでに月へ行く。~勿論、困難は承知の上。
 だが、我々の漕ぎ出す海には、
 得るべき新しい知識と、勝ち得るべき権利がある。
 人類の発展のため それらを手に入れねばならない。
 我々は38万キロ彼方の月に向けてヒューストンから
 ロケットを打ち上げる。
 人類の歴史上最も危険で最も大規模なこの冒険に、
 神のご加護があらん事を。』
   
60年代の終わりが差し迫った、1969年7月16日午前9時32分。
3人の宇宙飛行士を乗せた巨大なロケット「アポロ11号」は、
眩い炎を吹きながらゆっくりと、しかし力強く地球の引力を振り切って、
月へ向けて旅立った。
発射を見守る群衆は、歴史的瞬間に立ち会っている事を確信して、
ある者は神に祈り、またある者は大空を見上げ歓声を上げた。

7月19日に月を廻る軌道に乗り、
翌20日の朝「アームストロング船長」と「オルドリン操縦士」の乗った
月面着陸船「イーグル」が、司令船から離脱。
打ち上げから102時間45分40秒を経て、
「静かの海」と名付けられた月面に着陸。
人類は、地球以外の天体に初めて降り立った。

   
『一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ。』

このコメントを得る為に使われたお金は、およそ300億ドル。
当時の為替レートで考えれば、日本円で10兆円以上。
プロジェクトに動員された人数は、延べ350万人。
「ケネディ」の言葉どおり、史上最大の冒険だったのである。

「今日の一枚」は、先ほど撮影した津幡町の夜空。
まるで満月のように見えるかもしれないが、今宵は半月。
僕の携帯電話に付いたカメラでは「夜景モード」で撮影しても、
月の輪郭はボヤけたまま。
人類最初のムーン・ウォーカーの訃報に接し、涙で滲んだかのようだ。
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昭和の津幡町で感じた、晩夏の憂鬱。

2012年08月25日 19時03分52秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、スガイ書店の店頭に張り出されたポスター。
タイトルは『第28回 北國夏の読書感想文・感想画コンクール2012』。
夏休み中の小学生を対象とした、地元紙主催による文芸競技会の告知だ。

上から順に、幼児の部~低学年の部~中学年の部~高学年の部…と、
課題図書が掲載されている。
「読書感想画」は幼児の部のみ。
他は「読書感想文」でのエントリーとなるようだ。

僕の小学生時代も、やはり夏休みの宿題として読書感想文が課されたが、
その提出先は開催回数からして、上記催しではない。
「全国図書館協議会」が主催する「青少年読書感想文全国コンクール」だろう。
翻ってみれば、ちょうど今時分…夏休みの終盤、
憂鬱な気持ちで原稿用紙と向き合っていた事を思い出す。

取り立てて読書が嫌いだった訳ではない。
しかし、好きなジャンルが歴史物、戦記物、推理小説などに偏っていた為、
課題図書に選ばれる作品はどうも反りが合わず、
読み込むのに骨が折れ、その感想をまとめるのは難を極めた。
要領が悪く、不得手な事を後回しにする性格も災いし、
毎年、最後に残してしまうのが定番。

何度もため息を付いては、マス目とにらめっこしながら、
刻々と残り少なくなる期限を無駄に食いつぶしていた。
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津幡町のサンドバッグに浮かんで消える少年時代。

2012年08月24日 22時59分20秒 | これは昭和と言えるだろう。
「冒頭の一枚」は、津幡町・津幡にある美容院「スリー・ピース」。
何時ごろから店を構えているのだろう?
店名の由来は何だろう?
店内の雰囲気は?
経営者は?
つまり、僕は、この美容院について何も知らない。
勿論、一度として足を踏み入れた事もない。
しかし、店頭に「サンドバッグ」が吊り下がっている事は、よく知っている。

   

サイズは1メートル弱の小型。
細身の形状から想像するに、重量は40キロくらい。
軽量級のボクサーがウォーミングアップなどに使う部類だ。
…などと考えていたら。
僕の脳裏に、まぶしいカクテル光線に照らされたリングの映像と共に、
あのナンバーが流れてきた。

『サンドォォバッグにぃぃ 浮かんでぇ消へぇぇぇるぅぅ 
 憎いぃぃあんちくしょぉぉの 顔めがけぇぇぇ~
 叩け!叩け!たぁたけぇぇぇ~
 俺らにゃぁぁぁ けもののぉぉぉ 血がぁぁさわぁぁぐぅぅぅ
 だぁけど ルルル、ルルルゥルルルゥルゥルゥ…
 あしたはぁぁ~ きぃぃっとぉ~ なにかぁはぁるぅぅぅ
 …あしたはぁ どぉ、おっち、だぁぁぁ♪』

 

作詞は、稀代の芸術家「寺山修司」。
作曲は、60年代~70年代の邦画界の鬼才「八木正生」。
唄うは、ロカビリーシンガーの「尾藤イサオ」。
哀愁と熱気、相反する世界が同居した「名曲」だと思う。
その主題歌を頂く「あしたのジョー」は「名作」だと断言する!

昭和43年(1968年)「週刊少年マガジン」で連載開始以来、
これまでにコミック累計発行部数2500万部。
昭和45年(1970年)から放映されたテレビアニメでは最高視聴率30%超えを記録。
同じ年、日本初のハイジャック「よど号事件」を起こした
赤軍派の声明文は、あまりにも有名。

「われわれは明日、羽田を発たんとしている。
 われわれは如何なる闘争の前にも、これほどまでに自信と勇気と確信が
 内から湧き上がってきた事を知らない。
 …最後に確認しよう。 われわれは明日のジョーである」。

全共闘が封鎖したキャンパスのバリケードの中で、
「あしたのジョ-」は一種のバイブルだったという。
それは僕にとっても同じだ。
これまで幾度読み返した事だろう。
少年時代の一時期、津幡町の自室で繰り返し読み漁ったものだ。

ウルフ金串との、息詰まるクロスカウンター合戦。
力石 徹との、文字通りの死闘。
カーロス・リベラとの激闘。   
金 竜飛とのイデオロギー闘争。
白木 葉子との恋に似た、淡い交流。
そして真っ白に燃え尽きた、
ホセ・メンドーサとの世界バンタム級タイトルマッチ…。
思い出深いシーンや台詞を通じ、僕が「あしたのジョー」から学んだものは多い。

そう言えば…
美容院「スリーピース」の場所は、津幡川に架かる「中津幡橋」の袂。
「矢吹丈」がトレーニングに打ち込んだ「丹下拳闘倶楽部」は、
名もなき川に架かる「泪橋」の袂にあった。
どうやら僕の脳裏にジョーのテーマが流れてきたのは、、
共通した場面設定のためもあったのかもしれない。

(※2011年2月3日、9月2日に関連記載アリ)
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